本記事は 3月11日「 注目記事ランキング クラシック音楽鑑賞 」で 第1位 となりました。
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スケルツォ倶楽部 Club Scherzo
「アフター・シュトラウス & “ バイ・シュトラウス ”」
After-Strauss & “By Strauss”
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(32)エピローグ 
 ~ 2012年の「美しく青きドナウ 」

Musikverein_Vienna.jpg Mariss Jansons
ウィーンフィルの恒例ニューイヤー・コンサート、2012年の指揮者は 期待のヤンソンス

 2012年のお正月、ヨハン・シュトラウス二世は、天国の衛星TVモニターマリス・ヤンソンスの指揮するウィーン・フィルハーモニーチャイコフスキーのバレエ「眠れる森の美女 」のワルツを演奏するのを聴きながら、弟のヨーゼフ・シュトラウス と一緒に ホイップ・クリームをたっぷり浮かべた ホテル・ザッハーアインシュペナー を 仲良く飲んでいます。

ヨハンⅡ  「ふふん、このラトヴィア出身のマリス・ヤンソンスという若者、なかなか良いではないか。たまに 曲の振り始め 一旦上げかけた指揮棒をなぜか降ろし また上げてからセットアップし直すような、もし これがマウンド上だったら 審判に 絶対ボークとられるような素振りが 時々 気にはなるものの - 」
ヨーゼフ  「若者? 兄さん、ヤンソンスは 1949年生まれですから、もうそろそろ古稀を祝おうかという年齢ですよ」
ヨハンⅡ  「われわれから見れば 彼はずっと年下の若者だよ。おい、あごひげがクリームの泡で汚れてるぞ、ヨーゼフ。私のハンカチーフを貸してやるから、ほら 拭きなさい 」
ヨーゼフ  「そう言う兄さんこそ ご自慢の口ひげがクリームで真っ白じゃありませんか(笑 ) ・・・擦ってもダメですよ、洗ってこられた方が宜しいかと 」 

ヨハン・シュトラウス二世(Wiki ) ヨーゼフ・シュトラウス(Naxos)
▲ 兄 ヨハン二世、弟 ヨーゼフ (右 ) の シュトラウス兄弟

ヨハンⅡ  「しかし 戦後は毎年恒例となった、ウィーンフィルによるニューイヤーコンサートも 今までお前とずーっと聴いてきたが、もうすっかりウィーンの 旧き良きローカル色は失われ、今やタレント指揮者による 商業的なイベントに変質してしまった、隔世の感さえあるなあ 」
ヨーゼフ  「どうしたんですか、急に辛辣なご意見ですね、兄さん。ここらで歴代の指揮者たちを振り返ってみませんか、1939年の記念すべき第1回、クレメンス・クラウスが振った初回は まだニューイヤー・イベントではなく 年末の大晦日コンサートでしたよね。クラウスが 翌年(1941年 )から4年後の1944年まで4年間振った後で第二次世界大戦も ナチス・ドイツの敗北という形で終戦となりました。その年(1945年 )は さすがにコンサートも自粛されましたが、翌1946年からはヨーゼフ・クリップスの指揮で再スタート、翌年までタクトを取るものの 1948年からは再びクレメンス・クラウスが復帰し、1954年まで指揮台に立ちました 」
ヨハンⅡ  「ふふん、あの頃は よかった - 」
晩年のクレメンス・クラウス 1953年 クレメンス・クラウス_1954年

ヨーゼフ  「クレメンス・クラウス没後は ウィーン・フィルの名コンサート・マスターだったウィリー・ボスコフスキーが 自らヴァイオリンの弓を振りながら指揮し、これが何と1979年まで続きました、25年という最長不倒記録 -
ニューイヤーのボスコフスキー ボスコフスキー_1979年

「 1980年から86年までは ロリン・マゼールボスコフスキーのスタイルを踏襲、やはりヴァイオリンを携えながら指揮台に上がって 話題を集めたものでしたね
ニューイヤーのロリン・マゼール 1980~1983

「 しかし ピーター・ゲルプの画策によって カラヤンが 1987年にキャスリーン・バトルを連れて ニューイヤーに登場してからというもの、インターナショナルなメジャー指揮者が 毎年 交代で現れる お祭り になってしまいましたね、いえ、決して それが悪いことだとまでは 言ってませんよ、僕は・・・
カラヤン_1987 カラヤン_1987年

「 クラウディオ・アバド(1988、1991年 )、カルロス・クライバー(1989、1992年 )、ズビン・メータ(1990、1995、1998、2007年 )、リッカルド・ムーティ(1993、1997、2000、2004年 )、そして再びマゼール(8回目の登板が1994年、その後1996、1999、2005年 )・・・ 
クラウディオ・アバド_1991年 クライバー_1992 マゼール_1996年 (1)

「 ニコラウス・アーノンクール(2001、2003年 )、小澤征爾(2002年 )、今年のマリス・ヤンソンスが初めて登場したのは 6年前の 2006年でした
ニコラウス・アーノンクール_2001年 小澤征爾_2002年 第一回目のマリス・ヤンソンス_2006年

「 ・・・それからジョルジュ・プレートル(2008、2010年 )、意外に遅い初登場だったダニエル・バレンボイム(2009年 )、そして 昨年が ウェルザー=メスト(2011年 )でしたよね 」
プレートル_2008年 バレンボイム_2009年 ウェルザー=メスト_2011年

ヨハンⅡ  「(あくび ) さあ、そろそろ飲み物を フライアの林檎酒 に代えるとするか。自分のグラスを持っておいで ヨーゼフ、お前にもついでやろう。・・・(弟のグラスに酒を注ぎながら )しかし、いままで天上からずっと見守ってきたが、近年のワルツの凋落ぶりには目を覆いたくなってきたな。我々がここに移ってから、ワルツの歴史にも ひとつの大きな転機があったが、明らかに その時期から 音楽の質が変化してきていることに、おまえ 気づいたか」
ヨーゼフ  「それは、オーストリア=ハプスブルク帝国の終焉ということですか 」
ヨハンⅡ  「うむ。残念ながら、正解だ。1918年以降に作られたワルツは、もはや皇帝フランツ・ヨーゼフ崩御以前のワルツとは、決定的にその本質を異にするのだ。帝国終焉以降のワルツで 最も注目すべき最初の曲が ラヴェルの“ラ・ヴァルスだが、これはダンス音楽を装ってはいるものの、なんとも詐欺のようなワルツだよ。このフランス人のヤツは ワルツを使うことによって我がオーストリアを、爛熟して枝から落ちる腐った林檎のように音楽で描いてみせおったのだ(テーブルを叩く ) 」
ヨーゼフ  「(揺れるグラスを押さえながら )兄さん、ラヴェルは、ウィンナ・ワルツに 敬意を払いこそすれ、そんな悪意まで 込めていなかったと思いますよ。 ただ 確かに、それからというもの、ワルツのリズムが使われる度、反射的に 人々の脳裏には“あー、これは 滅んだ かつての帝国の音楽!”という無意識の信号が明滅するようになっちゃったのは事実ですけどね 」
ヨハンⅡ  「たとえば ロベルト・シュトルツベナツキージーツィンスキーのように、オーストリア人・ハプスブルク領内の出身者がつくるワルツには 悪意を感じることはないのだが、その代わり なんと言うか、どこか 郷愁 とでも呼ぶべき 一種軟弱なる感情が加味されるようになってしまった、実に嘆かわしい。あ、ヨーゼフ お酒を頼むよ 」
ヨーゼフ  「(兄に酒をつぎながら )ははあ、郷愁 ですか。なんとなくわかります。失われた過去を慈しむ感情は フランス人にも例がありましたよ。 プーランクの 歌曲“愛の小径は、そのフランスがナチス・ドイツ軍に占領された年に作曲された作品でしたが、あたかも“かつて美しかったが、今は失われた”過ぎ去りし日の思い出を悼むような雰囲気でしたね 」
ヨハンⅡ  「ふん、だんだん我々のワルツが そんな効果を演出するための機能的な使われ方がされるようになってゆくハプスブルク崩壊後に生まれた20世紀以降のワルツなどは、常に『失われた過去のなにか 』を表現するための『記号 』になり下がってしまったではないか。 アントン・カラスの奴だって 荒廃した かつての帝都=ウィーンの街の雰囲気を表現するのに、やっぱりワルツを使いおった が、大方“映画に合うようなシュランメルン風のワルツを作ってツィターで弾いてくれ”などと イギリス人の映画監督に きっと頼まれたんだろうよ。おい、ヨーゼフ お代わり 」
ヨーゼフ  「(兄に酒をつぎながら )でもエーデルヴァイスワルツである必然性を持っていますよね。ナチスが台頭したこの時、オーストリアは国名が地図から消えようとしていたわけで、国民は 祖国の象徴であるワルツ“エーデルヴァイス”を唱和することによって、反戦の意志を力強くナチスに表明したわけです 」 
ヨハンⅡ  「・・・本当に おまえはお人好だなあ、ヨーゼフ。あの場面のエピソードは 映画用に作られたフィクションなんだぞ 」

ムジークフェラインザールに ジュリー・アンドリュースのお姿が!
ヨーゼフ  「あ、ほら 兄さん!  ムジーク・フェラインザールの会場客席に 映画『サウンド・オブ・ミュージック 』で マリア先生役を務めていたジュリー・アンドリュースの懐かしい姿が見えましたよ 」
ヨハンⅡ  「あのミュージカルは よく出来てはいるが まったくの作り話だ。実際 歴史的にもオストマルク民衆の大部分は、祖国がナチスドイツに合併されることを むしろ熱狂的に望んだものだ。第一 そこで機能的に使われたワルツ“エーデルヴァイス”は ザルツブルク民謡を装ったレントラーだが、実は オーストリアには縁もゆかりもないアメリカ人の作曲だったんだぞ ・・・って、こら 酒がなくなったーっ 」
ヨーゼフ  「兄さんったら、飲み過ぎですよ。いくら天国だからって、ここで酔って暴れたりしたら 神様に怒られちゃいますよー 」
ヨハンⅡ  「うるさい、我々が いのちを削りながら作ってきたワルツが、近年の商業音楽業界や 映画を中心に、ご都合よく微塵(みじん )切りに刻まれながら消費されていくのを、もうこれ以上 素面(しらふ )では観ていたくないだけだ、特に 1970年代に ユダヤ系カナダ人のロビー・ロバートソン坊やが 一度 自分が乗っ取ったロック・バンドを計画解散させるための イベントテーマ曲にまで わざわざワルツ を使いおって、そのタイトルもまた あまりにベタなラスト・ワルツじゃと? いかにも若者の青春の思い出が あたかも惜しまれつつ あらかじめ葬られたかのような効果を 見事にかもし出していたものだ、それもワルツのおかげで! う~いっ 」
ヨーゼフ   「その『ラスト・ワルツ』と言えば、近年 内容を深めた仕事を続けているマーティン・スコセッシが 監督を務めていた映画でしたよね。僕は、戦後の映画の中で ワルツが登場する作品に注目してきました。僕たちのワルツだって、もともとは踊るための 伴奏/機会音楽として 文字どおり“機能的”に、ダンスホールで使い捨てられていたわけじゃないですか。同じ使い捨てなら、繰り返し再現可能な 現代の芸術手法の中で その変容を聴けるという方が、ずっと面白いと思うんですけど・・・ 」
ヨハンⅡ  「知らん、下界の様子はもう観たくない。したたかに酔ったし、先に私は寝ることにするぞ、ヨーゼフ

■ 映画の中に効果的に登場した「青きドナウ
ヨーゼフ  「・・・でも とりわけ兄さんの“美しく青きドナウ”は、良い意味で“利用価値が高かった”ということだと思いますよ。特に、スタンリー・キューブリックの 驚異的な映画『2001年宇宙の旅 ( 2001:A Space Odyssey ) 』とか・・・
「2001年 宇宙の旅」美しく青きドナウ (2)「2001年 宇宙の旅」に現れるヨハン・シュトラウスの名前

「 ・・・シュレンドルフギュンター・グラスの原作を映像化した映画『ブリキの太鼓(Die Brechtrommel ) 』における “ドナウ ” の その効果的な使われ方と言ったら もう・・・
「ブリキの太鼓」ナチス党大会が舞踏会上に 「ブリキの太鼓」
オスカル少年が叩く三拍子のリズムが ナチスの演説会を一気にダンス会場に変えてしまう名場面

「 ・・・あ、もうひとつ 映画『恐怖の報酬 』のラスト・シーンと並んで -
映画「恐怖の報酬 」イヴ・モンタン ラストシーン 映画「恐怖の報酬 」ラストシーン 
「 そのアイデアの見事さ において、これら三作品は 映画芸術史上 『青きドナウ 』を 引用して 成功を収めた三傑とも言える素晴らしさではないでしょうか 」
ヨハンⅡ  「・・・ 」
ヨーゼフ  「あ、ほらほら ウィーンフィルの連中が また今年もニューイヤーの挨拶をすませて、いつもどおり 兄さんの『美しく青きドナウ 』の演奏を 始めましたよー・・・ って、あれ? 」
ヨハンⅡ  「(いびきの音 ) 」
ヨーゼフ  「なーんだ、兄さんったら 良い所で 本当に寝ちゃったのか・・・ 」

ニューイヤー・コンサート2012 ヤンソンス&ウィーン・フィル(Sony) ウィンナ・ホルン 
ウィーンフィルニューイヤー・コンサート
2012年の指揮者は マリス・ヤンソンス
収録曲 : 祖国行進曲(ヨハン・シュトラウス2世/ヨーゼフ・シュトラウス 共作 )、 ワルツ「市庁舎舞踏会でのダンス 」(ヨハン・シュトラウス2世 )、ポルカ「あれか、これか 」(ヨハン・シュトラウス2世 )、トリッチ・トラッチ・ポルカ(ヨハン・シュトラウス2世 )、ワルツ「ウィーンの貴族 」(ツィーラー )、アルビオン・ポルカ(ヨハン・シュトラウス2世 )、ポルカ「騎手 」(ヨーゼフ・シュトラウス )、悪魔的ダンス(ヘルメスベルガー )、フランス風ポルカ「芸術家の挨拶 」(ヨーゼフ・シュトラウス )、ワルツ「楽しめ人生を 」(ヨハン・シュトラウス2世 )、シュペール・ギャロップ(ヨハン・シュトラウス2世 )、コペンハーゲン蒸気鉄道(ロンビ、あるいは ルンベイ )、鍛冶屋のポルカ(ヨーゼフ・シュトラウス )、ビゼーの「カルメン 」によるカドリーユ(エドゥアルト・シュトラウス )、バレエ「眠りの森の美女 」から「パノラマ」「ワルツ 」(チャイコフスキー )ピッツィカート・ポルカ(ヨハン・シュトラウス2世/ヨーゼフ・シュトラウス )、ペルシャ行進曲(ヨハン・シュトラウス2世 )、ポルカ「燃える恋 」(ヨーゼフ・シュトラウス )、ワルツ「うわごと 」(ヨーゼフ・シュトラウス )、ポルカ「雷鳴と電光 」(ヨハン・シュトラウス2世 )、チク・タク・ポルカ(ヨハン・シュトラウス2世 )、ワルツ「美しく青きドナウ 」(ヨハン・シュトラウス2世 )、ラデツキー行進曲(ヨハン・シュトラウス1世 )
   マリス・ヤンソンス(指揮 )
   ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン少年合唱団
   録音時期:2012年1月1日 ウィーン、ムジークフェラインザール
   音 盤:SONY – CLASSICAL( SICC-1478 ~ 9 )


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・・・長い間 おつきあいくださり、どうも ありがとうございました、
「アフターシュトラウス エピローグ 」 おわり

あ、でも あと もう一回だけ・・・
次回は バイ・シュトラウス By Strauss 」(一話で完結予定 )

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