本記事は、3月 1日の 「注目記事ジャズ ランキング 」、
2月27日の「 注目記事クラシック音楽鑑賞 ランキング 」で 
それぞれ 第1位 の栄誉を賜りました。 皆さまのおかげです、
これからも 何卒よろしくお願い申し上げます。



スケルツォ倶楽部 Club Scherzo
「アフター・シュトラウス & “ バイ・シュトラウス ”」
After-Strauss & “By Strauss”
  もくじ Index は ⇒ こちら

(31)番外編 キース・ジャレット「マイ・ワイルド・アイリッシュ・ローズ 」、クレンペラー、ラウロ、ゴドフスキー「なつかしいウィーン 」、マレーネ・ディートリヒ、「魅惑のワルツ (ファッシネーション ) 」、「エデンの東 」、「ケ・セラ・セラ 」、トゥーツ・シールマンス「ブルーゼット 」、ビートルズ「シー'ズ・リーヴィング・ホーム 」、「夢の旅人 」 & 映画 「ハンニバル 」から 「グルメ・ワルツ・タルタール 」・・・

 拾遺集の番外編です。
 1899年の「金と銀(レハール )以来、ずっと時間を辿って漸(ようや )く ここまで到達する間、うっかり拾い遺してしまった「聞き捨てならぬ 」ワルツたちを 補足しようと思います。

1914年 チャウンシー・オールコット
マイ・ワイルド・アイリッシュ・ローズ My Wild Irish Rose

キース・ジャレット Keith Jarrett(1945~ ) キース・ジャレット_The Melody At Night, With You(ECM )
キース・ジャレット Keith Jarrett (ソロ・ピアノ )
アルバム「メロディ・アット・ナイト・ウィズ・ユー The Melody At Night, With You 」から
収録曲:
I Loves You Porgy、I Got It Bad And That Ain't Good、Don't Ever Leave Me、Someone To Watch Over Me、My Wild Irish Rose、Blame It On My Youth / Meditation、Something To Remember You By、Be My Love、Shenandoah、I'm Through With Love
音 盤:ECM(POCJ-1464 )

 「マイ・ワイルド・アイリッシュ・ローズ My Wild Irish Rose 」は、Traditional  - アイルランド民謡 - と表記されることも多いワルツですが、米国の舞台俳優で歌手だったチャウンシー・オールコット Chauncey Olcott(1858 – 1932 )が1899年に作曲した、列記としたアメリカの歌曲です。しかし これを世界的にヒットさせたのが、「アイルランド 」出身の伝説的なテノール歌手ジョン•マコーマック John McCormack (1884-1945 )による1914年4月に吹き込まれたS.P.録音でした。
チャウンシー・オールコット Chauncey Olcott(1858 – 1932 ) ジョン・マコーマック John McCormack (1884-1945 )
(左から )チャウンシー・オールコット Chauncey Olcott、ジョン・マコーマック John McCormack
 マコーマックは ミラノに留学後、ヴェルディアルフレート(ラ・トラヴィアータ )、ラダメス(アイーダ )、マントヴァ公(リゴレット )、そして プッチーニロドルフォ(ラ・ボエーム )などを主要なレパートリーとして多くの歌劇場で活躍しましたが、渡米してからは 主にレコーディング・アーティストとして世界的な成功を収めました。その人気の秘密は、オペラのアリアクラシックの歌曲 だけでなく、親しみやすいイタリア民謡フォスターの歌曲など、録音を通して、その美声でポピュラーなレパートリーを披露していたという背景も手伝って、その流れで 自国アイルランドの伝統曲も歌ってヒットさせていたのです。
 アメリカ人であるオールコットの作曲だった「マイ・ワイルド・アイリッシュ・ローズ 」は、その歌詞に「アイルランドのばら 」が歌いこまれていることから、アイルランド出身の歌手マコーマックが取り上げたことによって、一般のリスナーには図らずもアイルランド民謡であるという誤ったイメージを植えつけてしまったのではないでしょうか。 
 一時 慢性疲労症候群という難病のため 長い闘病生活を送っていた今世紀最大のジャズ即興演奏家のひとり キース・ジャレットが 1998年になってようやく回復した体調を気遣いつつ自宅のスタジオで録音を開始した最初の曲のひとつが この「マイ・ワイルド・アイリッシュ・ローズ 」だった - 療養中のジャレットを献身的に支えた愛妻「ローズ 」・アン・ジャレットに捧げられた - そうです。
 これを収録した、初めてのピアノ・ソロによるスタンダード曲集でもある このアルバム「メロディ・アット・ナイト・ウィズ・ユー(ECM ) 」は 極めて高い評価を受け、これ以降 復活を遂げたジャレットは 再び本格的な演奏活動を 精力的に再開、現在に至るのでした。

▼ 「マイ・ワイルド・アイリッシュ・ローズ
 - こちらは、オリジナルなヴォーカル・ヴァージョンが聴ける 推薦

ジョエル Joelle「ザッツ・オール That’s All 」 ジョエル Joelle
ジョエル Joelle (ヴォーカル )
録 音 : 2007年 スウェーデン
音 盤 : キング(KICJ-524 )「ラヴ・レターズ Love Letters 」所収

 このジョエル Joelleという女性は日米ハーフですが、北欧の透明な大気さえ感じさせるたいへん美しい響きが魅力的な声質です。Wikiで確認する限り、2011年以降 夫の母国ニュージーランドへ移住されてしまい、以前ほど 活発な音楽活動はされていないようです。これほどの才能にもかかわらず、残念ですね。
 残されし この一枚 - 「マイ・ワイルド・アイリッシュ・ローズ 」の歌唱が聴ける - このアルバムは、ピアノ(アンダーシュ・パーション )とアコースティック・ベース(森 泰人 )の二人だけを従えた シンプルにしてインティメイトな編成、実は 以前も こちらで 紹介しましたが、その素晴らしさのあまり 繰り返し話題にします。
 このアルバム中、マイルス・デイヴィスの「フラメンコ・スケッチズ(名盤「カインド・オヴ・ブルー 」 所収 )における ビル・エヴァンズのプレイを下敷きにした一曲「ザッツ・オール That's All 」の 驚きのアイディアも 併せ ご一聴ください。


1915年  オットー・クレンペラー
「メリー・ワルツ 」

Otto Klemperer(Wiki ) クレンペラー_メリーワルツ  EMI
オットー・クレンペラー(指揮 )
フィルハーモニア管弦楽団
録 音:1961年10月30日 ロンドン、キングスウェイ・ホール
音 盤:EMI (TOCE-55436 ) 
ウィーン気質、序曲「こうもり 」、皇帝円舞曲(J.シュトラウスⅡ )、管弦楽組曲「三文オペラ」(ワイル )併録

 残念なことに かつて一度も上演されたことのない歌劇Das Ziel ”(ゴール、終着点 )、それは人生の到達点 = 「死 」を意味するタイトルである - と、自身で台本も手がけた作曲者クレンペラーの言葉が残っています( 「クレンペラーとの対話ピーター・ヘイワース = 佐藤章 訳、白水社 )が、その歌劇の舞台が高地のサナトリウムにあり、登場人物が長期療養者であるという設定を聞けば、知る人は誰しもトーマス・マンの長編小説「魔の山(1924年 ) 」 - やはりスイスのベルクホフにあるサナトリウムが舞台 - を連想せずにはいられないでしょう。
 このR.シュトラウスを思わせる響きのワルツは、もともと歌劇の第2幕 - 入院療養者たちが開く病院内の舞踏会の場面で演奏される音楽で、本来の楽器編成も室内楽レベルのごく小さなものだったようです。クレンペラーは、この貴重なEMI録音のために1961年、オーケストラ用に編曲の手を加えたわけですが、その中間部には 軽快なギャロップ風の「ワン・ステップ 」を配してトリオとし、これを 「メリー(楽しい )ワルツ 」という 2枚のパンで その前後を サンドウィッチするという 簡潔な三部形式に仕立て直しています。

1916年  オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ一世 崩御。

1917年  アントニオ・ラウロ
ベネズエラ・ワルツ第3番「ナタリア 」

ラウロ_ベネズエラ・ワルツ第3番「ナタリア 」_ジョン・ウィリアムス(ギター )SONY
ジョン・ウィリアムス(ギター )
録 音:1988年11~12月 ロンドン
音 盤:CBS-SONY(30DC-5217 )
収録曲:
サンバースト、ララバイ(ヨーク )、アコンキーハ、最後のトレモロ、クエカ(バリオス )、ブエノスアイレスの夏(ピアソラ )、スケルツィーノ・メヒカーノ(ポンセ )、ベネズエラ・ワルツ「ナタリア 」、「エル・ニーニョ 」、「マリア・ルイサ 」(ラウロ )、子守歌、性格的な舞曲(ブローウェル )、3つのブルース(C.バード )、ショーロス第1番(ヴィラ=ロボス )、はちすずめ(サグレーラス )、ノルテーニャ(クレスポ ) 
 かつて谷戸基岩氏が、古今の「ギター独奏曲の中で最も魅力的な 」作品として紹介されていた、ベネズエラ生まれの作曲家アントニオ・ラウロ Antonio Lauro (1917 – 1986 )によって作曲された、テンポの速い小粋なワルツ。リズミカルに旋回する短調の前半メロディと 歌謡的な旋律も甘美な長調の後半部分の繰り返しで構成された、短いながら素敵な一曲です。

1918年  第一次世界大戦終結。
       オーストリア=ハプスブルク帝国崩壊。
      
1919年  パリ講和会議、ベルサイユ講和条約調印。
       オーストリア共和国(第一共和国 )成立、
       サン=ジェルマン条約締結。
      
1920年  ラヴェル「ラ・ヴァルス 」


1920年  レオポルド・ゴドフスキー
「なつかしい ウィーン 」
レオポルド・ゴドフスキー ゴドフスキー_古きウィーン _ボリス・ベレゾフスキー(ピアノ )
ボリス・ベレゾフスキー(ピアノ )
録 音:2005年4月19~20日 サフォーク
音 盤:Warner Classics(WPCS-11879 )
収録曲:
“ショパンの練習曲”に基づく53の練習曲(抜粋 )、及び ショパンの原曲とを併置 ~ 作品10-1 ハ長調と編曲「全音階 」、作品10-2 イ短調と編曲(第2ヴァージョン )「鬼火 」、作品10-4 嬰ハ短調と編曲「左手のための 」、作品10-5 変ト長調「黒鍵 」と編曲 ハ長調「白鍵のエチュード 」、作品10-5 変ト長調「黒鍵 」と編曲 イ短調「タランテラ 」、作品10-6 変ホ短調と編曲「左手のための 」、作品10-12 ハ短調「革命 」と編曲「左手のための 」嬰ハ短調、作品25-1 変イ長調「エオリアン・ハープ 」と編曲(第2ヴァージョン )、作品25-5 ホ短調と編曲(第2ヴァージョン )嬰ハ短調「マズルカ 」、作品10-5「黒鍵 」と作品25-9「蝶々 」の組合せ 変ト長調「冗談 」、作品10-11と作品25-3の組合せ ヘ長調、 「なつかしいウィーン 」~「トリアコンタメロン 」作品11より、作品64-1 変ニ長調「小犬のワルツ 」
 ポーランドの作曲家レオポルト・ゴドフスキー Leopold Godowski(1870-1938 )は 敬意をこめて「ピアニストの中のピアニスト 」と呼ばれるほど、その優れたピアノの才能は 幼い頃から高い評価を得ていました。なにしろ 晩年のサン=サーンスから「ぜひ養子に迎えたい 」と望まれた(本人は辞退! )などという興味深いトリヴィア情報もあるほどです。
 作曲家としては、「“シューベルトの未完成交響曲冒頭部による44の変奏曲 」、「“ショパンの練習曲に基づく53の練習曲 」など、既存の名曲を極限まで困難なピアノ技法で変換させた、幾多のパラフレーズによって名高いでしょう。
 しかし第一次大戦後1930年以降のゴドフスキーは 脳卒中のため演奏不能になってしまったところへ息子の自殺、愛妻の病死と不幸が続き、経済的にも世界恐慌の煽りを受けて困窮、長く胃ガンの進行に苦しみつつ 故郷から遠くニューヨークの病院で亡くなります。
 このノスタルジックな雰囲気の「なつかしいウィーン 」は、全30曲からなるピアノ組曲トリアコンタメロン Triakontameron 」中の一曲ですが、かつてゴドフスキーウィーン音楽院で ピアノのマスター・クラスの教授を務めていた頃 - それは おそらく栄光に満ち、健康でもあった1909年から1914年頃 - の ばら色だった 古きよきウィーン時代懐かしき回想 だったに相違ありません。

1921年  ウィーン市立公園にヨハン・シュトラウス二世記念像の除幕式。   
     
1925年  チャップリン、映画「黄金狂時代 」~ワルツ「感謝祭のディナー 」

1926年  マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、生まれる。
       ゲアハルト・シュトルツェ 生まれる。
       エルノ・ラペー、「シャルメーヌ Charmaine 」

1929年  ニューヨーク、暗黒の木曜日、世界経済恐慌。
       オーストリア共和国憲法改正。
     
1930年  ベナツキー、喜歌劇「白馬亭にて」


1930年 フリードリヒ・ホレンダー
「また恋に落ちて Ich Bin Von Kopf Fuß Auf Liebe Eingestellt 」
~ 映画「嘆きの天使 Der Blaue Engel 」主題曲
(マレーネ・ディートリヒ )

ディートリヒとホレンダー(左 )1948年 映画「A Foreign Affair 」から Marlene Dietrich_Ich Bin Von Kopf Fuszlig; Auf Liebe Eingestellt(CRCL-8897 )
ディートリヒホレンダー(左 )1948年 映画「A Foreign Affair 」から  
 独語の原題を直訳すると「私は頭から爪先まで 全身で愛を感じます 」という意味だそうですが、むしろ英訳名の「フォーリング・イン・ラヴ・アゲイン Falling In Love Again 」というタイトルによって知られる三拍子の名曲です。
 作曲者フリードリヒ・ホレンダー Friedrich Holländer(1896 – 1976 )は、ドイツ国民劇場(Deutsches Theater )でマックス•ラインハルトと共に評論を手がけていた作家フェリックス・ホレンダーの甥にあたり、若い頃から地元の映画館で無声映画の伴奏ピアニストを務めていた縁で 1930年マレーネ・ディートリヒ Marlene Dietrich(1901 – 1992 )の出世作となったスタンバーグ監督による ドイツ初のトーキー映画嘆きの天使 Der Blaue Engel 」の音楽を担当したことによって大きな成功を収めます。その後、ユダヤ系であったためディートリヒ(彼女は生粋のアーリア系 )やスタンバーグ(ユダヤ系 )と同時期に渡米し、大戦終了後までアメリカで仕事を続け、ビング・クロスビーオードリー・ヘプバーン(「麗しのサブリナ 」 )など 100本以上の映画作品の音楽を手がけました。戦後1956年にドイツに戻り、1976年にミュンヘンで亡くなりました。
 マレーネ・ディートリヒが 彼女の映画で歌ったホレンダーの作品には、「ボーイズ・イン・ザ・バックルーム See What the Boys in the Back Room Will Have(1939年 ) 」 、「アイ`ヴ・ビーン・イン・ラヴ・ビフォー I've Been in Love Before(1940年 )、「ブラック・マーケット Black Market(1948年 ) 」、「イリュージョン Illusions(1948年 ) 」、「廃墟のベルリンThe Ruins of Berlin(1948年 ) 」などがあります。
 私 "スケルツォ倶楽部" 発起人 ディートリヒへの敬慕の念については また必ず別の場を設けて 改めて語らせて頂きたいと考えておりますが、この「また恋に落ちて 」以外でワルツのリズムで知られる 彼女の有名なレパートリーには このほかにも・・・
「モロッコ 」でアミー・ジョリーを演じるマレーネ・ディートリヒ
 ・・・渡米して最初のハリウッド映画出演作となった「モロッコ(1930年 ) 」で 男装アミー・ジョリーとしてステージで歌う「恋が終わるとき Quand L'amour Meurt 」、ビリー・ワイルダー監督による映画情婦(検察側の証人 )1956年 」で容疑者の妻クリスティーネ役に扮して歌う「故郷には帰らない I May Never Go Home Anymore 」 - どちらも 秀逸な節回しを持った感傷的なワルツ - 特に 後者のワルツのタイトルは、マレーネ・ディートリヒの半生を考えると 何と象徴的な表題であったことでしょう。また いつか!


1931年  国際金融恐慌が全欧に波及する。
      トスカニーニ、ファシスト党歌の指揮を拒否、ムッソリーニと衝突。
      エジソン 没


1932年  フェルモ・ダンテ・マルケッティ
魅惑のワルツ Fascination

魅惑のワルツ
フランス・ブリュッヘン(ソロ・リコーダー )
収録曲:
ソナタ ハ長調~アレグロ(J.S.バッハ )、魅惑のワルツ(マルケッティ )、終わり(ルイ・アンドリーセン )、ヴァイオリンのための小品~パッサケーグル(J.F.レーベル )、「アポロの饗宴」~ブドロ(アイルランド舞曲、作者不詳 )、「アマリリ美わし 」、「甘いりんご 」~リチェルカータ(V.アウレーリオ )、リコーダーまたはヴァイオリンのための独奏(ヘンリー・パーセル )、「まんだらげ 」(R.モーザー )、「サルタレロ 」(作者不詳 )、組曲Op.35~ロンドー「レ・シャリテ 」(ボワモルティエ )、「華麗なソナタ 」~アレグロ・モルト・ア・ラ・メヌエット(A.ヘーベルレ )、トラヴェルスフレーテのためのパルティータ イ短調BWV1013~イギリス風ブーレー(J.S.バッハ )、「楽節装飾論 」~レセルカダ(P.オルティス )
録 音:1980~1981 オランダ、ルーテル教会
音 盤:ドイツ・ハルモニア・ムンディ(BMG –JAPAN / BVCD-38233 )
 
 オードリー・ヘプバーンが主演した映画「昼下がりの情事 Love In The Afternoon (1957年製作、ビリー・ワイルダー監督 ) 」のテーマ音楽だそう(発起人 未視聴 )ですが、イタリアのフェルモ・ダンテ・マルケッティ Fermo Dante Marchettiが このワルツを作曲したのは 1932年 (注 1904年説もあり )で、当初タイトルも「ボヘミアのジプシー円舞曲 」というシンプルなものでした。
 その後 一度は完全に忘れ去られていたこのワルツが、もしワイルダー監督によって1957年に「発掘 」されなかったら、また 映画に使われなかったとしたら、この美しいメロディは完全に忘却の彼方へと消え去ってしまったかも知れません。
 さて、ここで紹介させて頂くディスクは、その映画のサントラ (フランツ・ワックスマンという指揮者による同楽団によるもの )ではなく、ピリオド楽器による「18世紀オーケストラ (Orchestra of the 18th Century ) 」を率いる指揮者として大躍進を遂げる以前の、“カリスマリコーダー奏者だった当時のフランス・ブリュッヘン Frans Brüggen(1934年 ~ )による 短いアンコール・ピースを集めた「ソロ 」パフォーマンス集の中の、純粋な透明感さえおぼえる魅力的な 無伴奏による演奏です。

1933年  ヒトラー首相になる、3月には独裁体制。
       ナチスとローマ法王庁との政教協約(コンコルダート)
       ロベルト・シュトルツ、「2人のハートをワルツに乗せて Zwei Herzen im Dreivierteltakt 」

1934年  ヒトラー「総統 」になる、ドイツ第三帝国時代へ。

1938年  ドイツ、オーストリアを併合。

1939年  独ソ不可侵条約。ドイツ、ポーランドに侵攻。 
       第二次世界大戦勃発。
       ウィーン・フィル、クレメンス・クラウスの指揮で 翌々年以降の
       ニューイヤー・コンサートの原型となる「大晦日コンサート 」開催。
     
1940年  ドイツ軍、パリ占領。
       プーランク、歌曲「愛の小径」

1941年  ウィーンフィル 最初のニューイヤーコンサート、
       日本軍、真珠湾を奇襲、太平洋戦争(~1945年 )。  
       レールモントフ「仮面舞踏会」、ハチャトゥリアン音楽により再演。

1944年  連合軍、ノルマンディー上陸。
       パリ解放。

1945年  連合軍、ウィーン国立歌劇場、聖シュテファン教会など空襲、全焼。
       ベルリン陥落、ヒトラー自決。
       広島・長崎に原子爆弾投下、日本軍 無条件降伏。
       第二次世界大戦終結(戦死者1700万人、負傷者2700万人 )。

1948年  クレメンス・クラウスの指揮により、ウィーンフィルのニューイヤー・コンサート再開。   
       イスラエル独立宣言。      
       映画「第三の男 」 ~ A. カラス「カフェ・モーツァルト・ワルツ 」

1949年  北大西洋条約(NATO ) 西側12カ国がワシントンで調印。
       ドイツ連邦共和国(西ドイツ )、ドイツ民主共和国(東ドイツ )成立。

1950年  朝鮮半島38度線全域で 韓国-北朝鮮軍衝突、朝鮮戦争始まる。
       ルロイ・アンダーソン「ワルツィング・キャット 」

1951年  アメリカ、ネヴァダ州で核実験。
       バイロイト音楽祭、再開。
       ユベール・ジロー 「パリの空の下 」

1952年  エリザベス二世女王即位。
       歌曲「ウィーン わが夢の街 」の作曲者ジーツィンスキー、シュテファン教会の上空を舞う

1953年  スターリン 没。同日、プロコフィエフ 没。
       コルンゴルト、組曲“シュトラウシアーナ ”

1954年  フルトヴェングラー、クレメンス・クラウス 没。


1955年  レナード・ローゼンマン
映画「エデンの東 」テーマ曲

Spectrum EJS-415_ビクター・ヤング~スクリーン・ヒッツ集 WPCR-10770「ジェームス・ディーンのすべて 」
(左 )ヴィクター・ヤング楽団(Spectrum EJS-4150「ビクター・ヤング~スクリーン・ヒッツ集 」から )
(右 )サウンド・トラック (ワーナーミュージック WPCR-10770「ジェームス・ディーンのすべて 」から )

 24歳で急逝した名優ジェームス・ディーンの初主演作だった名画「エデンの東(1955年製作、エリア・カザン監督 ) 」の主題曲。その大反響にもかかわらず 封切られてしばらくの間、何故かサウンド・トラック盤が発売されなかったため、代わりにビクター・ヤング・オーケストラのレコードがヒット・チャートに入り続けていました。このため一部では「作曲もビクター・ヤング 」などという誤まった情報が 当時は錯綜していたそうです。
 もちろん作曲者は レナード・ローゼンマン(1924年~ )です。この人はシェーンベルクに師事したほどの、本質は硬派な十二音技法の作曲家で、たまたま親交があったJ.ディーン自身が 映画「エデンの東 」への出演が決まった際、カザン監督に 彼が音楽担当者候補として推薦した、と伝わっています。当初ローゼンマンは 本来の自分の作風である無調音楽を「エデンの東 」で使おうと考えていましたが、これに反対するカザン監督と衝突した挙句 やむなく妥協、わかりやすくて穏やかなワルツのメロディでテーマ曲を書き直した結果、これが大ヒットすることになるわけです。
 映画公開から数年経過して、もう今さらという感じで やっと映画「エデンの東オリジナル・サントラ盤は発売されるものの、一般の人気は ビクター・ヤング楽団の わかりやすい演奏の方が圧倒的でした(当時、何と3年間もチャート・インしていたそうです )。で、結局 ヤング盤とほぼ同じアレンジによる演奏で ローゼンマン(にとっては屈辱的? だったかどうか・・・ )自ら指揮だけを 手がけた、他人がアレンジした版のレコード(Imperial盤 )まで 後日 発売されたそうです。
 さらに 後日談ですが、ローゼンマンディーン主演となる次作「理由なき反抗(1955年製作、ニコラス・レイ監督 ) 」では念願かなって 彼本来の「前衛的な十二音技法 」で作曲することを許されますが、作曲者自身の満足度はさて置き、一般の迎合度人気度を考えた場合、「エデンの東ワルツの比でなかったことは 言うまでもありません。

1956年  コルンゴルト、没。

1956年  レイ・エヴァンス
ケ・セラ・セラ (ドリス・デイ )

Que Sera, Sera_Doris Day_Philips ケ・セラ・セラ_ドリス・デイ
ドリス・デイ
音 盤:Daydreaming 右写真( Very Best of Doris Day ) 
収録曲:
Move Over Darling、Secret Love、Que Sera, Sera、Lullaby of Broadway、Love Me or Leave Me、It's Magic、Everybody Loves a Lover、Dream a Little Dream of Me、Pillow Talk、Cheek to Cheek、Fly Me to the Moon、Close Your Eyes、Quiet Nights of Quiet Stars (Corcavado )、Night and Day、Let's Face the Music and Dance、Pennies from Heaven、Over the Rainbow、I'll Never Stop Loving You、If I Give My Heart to You、Bewitched, Bothered and Bewildered、Very Precious Love、The Black Hills of Dakota、Teacher's Pet、Makin' Whoopee、Ready, Willing and Able、Sentimental Journey
音 盤:CBS Columbia(487361 2 )
 明るいカンツォーネを思わせるマンドリン・アンサンブルが印象的なラテン調ワルツ。サスペンス・スリラーの傑作映画「知りすぎていた男(1956年製作、アルフレッド・ヒチコック監督 ) 」の中で、効果的に使われていました。
 ジェイ・リヴィングストン(詞 )とレイ・エヴァンス(曲 )のコンビネーションによるこの主題歌を歌うドリス・デイのレコードはミリオン・セラーの大ヒットを記録、同年のアカデミー映画主題歌賞を受賞しています。
 タイトルは「Whatever Will Be、Will Be(なるようになる ) 」という楽天的なもので「未来は計り得ないもの 」という寓話的なストーリーがわかりやすい佳曲でした。親しみやすく 何故か耳に残るワルツで、何度も繰り返し聴きたくなってしまう不思議な磁力を持っています。

Que Sera, Sera
    ケ・セラ・セラ
When I was just a little girl
I asked my mother what will I be
Will I be pretty? will I be rich?
Here's what she said to me
Que sera, sera
Whatever will be, will be
The future's not ours to see
Que sera, sera
What will be, will be
    小さな女の子だった頃のわたし、
    ママに尋ねたわ、
    大きくなったら わたしどうなるの
    きれいになれるかしら、お金持ちになれるかしら
    ・・・はい、これがママの答え -
    ケ・セラ・セラ、ちゃんとなるようになるものよ
    先のことなど 見える人など いないもの
    ケ・セラ・セラ、なるべくして万事なるのよ

When I grew up and fell in love
I asked my sweetheart
What lies ahead
Will we have rainbows day after day
Here's what my sweetheart said
Que sera, sera
Whatever will be, will be
The future's not ours to see
Que sera, sera
What will be, will be
    大きくなって 恋した頃のわたし
    カレシに尋ねたわ、 
    わたしたちの行く手には 何が待っているかしら
    わたしたち この先もずーっと幸せかしら
    ・・・はい、これが彼の答え -
    ケ・セラ・セラ、なるようにしかならないものさ
    先のことなど 誰にも見えないもん
    ケ・セラ・セラ、なるべくして万事なるのさ

Now I have children of my own
They asked their mother, what will I be
Will I be handsome? will I be rich?
I tell them tenderly
Que sera, sera
Whatever will be, will be
The future's not ours to see
Que sera, sera
What will be, will be
Que sera, sera
    今や 可愛いわが子らに囲まれて、
    ママになったわたしが 今度は答えをせがまれる
    ね、ボク ハンサムになれる? 
    ママ、あたし お金持ちになれる?
    優しく 子どもたちに教えてあげる このわたし、
    ケ・セラ・セラ、ちゃんとなるようになるものよ
    先のことなど 見える人など いないもの
    ケ・セラ・セラ、なるべくして万事なる - ってね
    ケ・セラ・セラ
                  (対訳 : 山田 誠 )


1957年  ソ連が史上初の人工衛星(スプートニク1号 )。   
      
1958年  エジプトとシリアの合併で アラブ連合共和国発足。
     
1959年  キューバ革命。
       小澤征爾、ブザンソン国際指揮者コンクールで第1位入賞。
       ロジャース & ハマースタイン二世、
       ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック 」ブロードウェイ初演


1960年  新日米安保条約、強行採決。
       ケネディ、第35代アメリカ大統領に当選。
           
1961年  東西ベルリンの境界線が封鎖される 「ベルリンの壁」。
       エドワーズ監督、映画「ティファニーで朝食を 」
       ヘンリー・マンシーニ音楽「ムーン・リヴァー」を作曲


1961年  ソ連 ボストーク1号で ガガーリン少佐、最初の有人宇宙飛行「地球は青かった 」。
       ビル・エヴァンス、「ワルツ・フォー・デビイ 」スコット・ラ=ファロとの最後の録音

1962年  ザ・ビートルズ、メジャー・デビュー。


1962年  トゥーツ・シールマンス 
ブルーゼット Bluesette

Toots Thielemans トゥーツ・シールマンス_Milan Jazz_BVCJ-7354
演 奏:トゥーツ・シールマンス(ハーモニカ、ホイッスル & ギター )、フレッド・ハーシュ(ピアノ )、マーク・ジョンソン(ベース )、ジョーイ・バロン(ドラムス )、
収録曲:
いかないで Ne Me Quitte Pas、メドレー : ブルー・イン・グリーン~オール・ブルース、スターダスト、枯葉、ヴェラス、ブルーゼット
録 音:1986年 6月19日 ブリュッセル ライヴ
音 盤:Milan Jazz(BMGビクター BVCJ-7354 )

 一般には「ハーモニカおじさん 」として知られ、「セサミ・ストリート 」のテーマソングの作曲者としても有名なトゥーツ・シールマンス Toots Thielemans(1922~ )は、ベルギーブリュッセル出身のジャズ・ギター、ハーモニカ奏者です。1952年以降はヨーロッパを出て渡米、そこでモダン・ジャズの創始者であるチャーリー・パーカーとの共演も果たし、その後ジョージ・シアリング・クインテットのメンバーとして活躍してからは、エラ・フィッツジェラルド、ビル・エヴァンス(“Affinity ”は必聴 )、クインシー・ジョーンズ、ジャコ・パストリアス、アントニオ・カルロス・ジョビンなどのレコーディングで ゲスト・ソロイスト的な存在感で共演、ジャズのみならずロック、ポピュラー音楽 や イージーリスニングまで幅広い音楽分野で活躍してきました。
 1962年に発表された、シールマンス・オリジナルとしては最も知られるワルツ「ブルーゼット Bluesette 」は、彼独特の演奏方法である「口笛とギターの1人ユニゾン 」というスタイルでも有名ですが、シールマンスのライヴにおける定番アンコール・ナンバーです。
 そんなライヴの様子を収められたこのディスクは、シールマンスと同郷の画家フォロン Jean Michel Folon による まるで望郷の心象風景を表すような秀逸ジャケットも忘れがたい、1986年 6月に行われた彼のホームタウンでの録音です。
トゥーツ・シールマンス_1986年 6月19日ブリュッセル_ライヴ Sony盤
 ↑ これは 同じ日のまったく同じライヴを録音したソニー盤(32DP-847 )です。内容も殆ど変わりませんが、「ヴェラス 」の代わりに ジャズ・スタンダードの「オール・ザ・シングス・ユー・アー 」が聴けます。
 些か気になったのは「ブルーゼット 」の冒頭 イントロからテーマに入る直前、Milan盤では テープをつないだような音質の急変があるのに ソニー盤にはそれがありません。けれど全体の音質自体は Milan盤のほうが 若干鮮明に聴こえる気がしました。また ジャケットのほうも ソニー盤のほうは これでも悪くないとは思いますが、どちらかというと無難な風景写真に差し替えられています。
 マーク・ジョンソンは、かつては ビル・エヴァンス・トリオのベーシストでした。聴衆の温かさが伝わってくるのは やはり最後の「ブルーゼット 」です。テーマのメロディシールマンスと一緒に 全員が口笛で繰り返す、そんな会場全体の雰囲気は最高です。

1963年  ケネディ大統領、テキサス州ダラスで暗殺。

1967年  レノン = マッカートニー
シー'ズ・リーヴィング・ホーム She’s Leaving Home
(ザ・ビートルズ )

Sgt. Peppers Lonely Hearts Club Band
ザ・ビートルズ L.P.「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」より
収録曲:
サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド - Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band、ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ - With A Little Help From My Friends、ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ - Lucy In The Sky With Diamonds、ゲッティング・ベター - Getting Better、フィクシング・ア・ホール - Fixing A Hole、 シーズ・リーヴィング・ホーム - She's Leaving Home、ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト - Being For The Benefit Of Mr. Kite、ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー - Within You Without You、ホエン・アイム・シックスティー・フォー - When I'm Sixty-Four、ラヴリー・リタ - Lovely Rita、グッド・モーニング・グッド・モーニング - Good Morning Good Morning、サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド (リプライズ ) - Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise )、ア・デイ・イン・ザ・ライフ - A Day In The Life
 
 ここでは彼らの偉大な功績について語ることは目的ではありませんが、ひとつのポイントにしぼると、L.P.レコードという形式で作品を制作してきたビートルズは、従来のアルバムに連なるマンネリズムに陥る事を避けて、全く新しい発想を持ち込みました。すなわち、現実には存在しない架空のロック・バンド“サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド ”が 一晩のサイケデリックなコンサートを催す - という興味深いコンセプトのもと、「ビートルズ自身が この実在しないバンドを演じる 」という極めて斬新なアイデアでした。
 アルバムのA面6曲目に収録されたワルツ「シーズ・リーヴィング・ホーム 」は 新聞に掲載されていた家出少女の話に基づき ポール・マッカートニーが大部分の創作を行ないましたが、歌詞の中で「少女の両親 」が“We gave her most of our lives ”“We gave her everything money could buy ”“bye,bye・・・ ”などと歌うパートでは、両親の役を演じるジョン・レノンが手伝っています。また この曲では ビートルズが一切「楽器を演奏していない 」ことも特筆されます。当時、ビートルズ作品の編曲を殆ど請け負っていたプロデューサー、ジョージ・マーティンは、当時繁忙なスケジュールのため この曲に限って手を入れることが出来ず、代わりにマッカートニーマイク・リーンダーというフリーの編曲家に、ハープと弦楽のみの伴奏を書くことを依頼したのでした。
 この名アルバムの中で 他にワルツ・タイム = 三拍子が用いられた楽曲といえば、「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ 」の シュールで詩的な背景が語られるヴァースの部分と、「ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト 」における カーニヴァルの雰囲気を表現する目的でスチーム・オルガンを模したパイプ・オルガンの音録音したテープを数センチ単位で刻んでランダムに繋げた上で逆回転させた部分二曲を思い出しますが、いずれも たいへん幻想的な個所でワルツが効果的に使われていたことは印象深いです。

1968年  クロイダー  ワルツ「ザッハー・トルテ 」

1969年  アメリカ、アポロ11号、人類史上初めての月面歩行。

1970年  アントニオ・カルロス・ジョビン 「チルドレンズ・ゲーム」

1973年  ニクソン大統領、ベトナム戦争終結を宣言。

1975年  アメリカのアポロ宇宙船と ソ連のソユーズ宇宙船が、ドッキング。
       TVアニメ「スヌーピーのバレンタイン 」で ヴィンス・ガラルディ「ハートバーン・ワルツ 」

1976年   ザ・バンド解散コンサート「ラスト・ワルツ 」


1977年  ポール・マッカートニー
夢の旅人 Mull of Kintyre (ウイングス )

ポール・マッカートニー_夢の旅人 Mull of Kintyre
 ビートルズ解散後の1977年、ポール・マッカートニーが自身のライヴ・バンド(ウイングス )名義でリリースしたシングル「夢の旅人 マル・オブ・キンタイア 」は、誰しもが意表を突かれた、18人のバグパイプ(スコットランドの民族楽器 )奏者 キャンベル・パイプ・バンドを従えたフォーク・タッチのワルツでした。その旋律の素朴な美しさは特筆すべきものがあります。
 このフォーク・ワルツを作曲したのは、マッカートニーと 彼の当時のバンド ウイングスの主要なメンバーだった デニー・レイン Denny Laine(1944~ )でした。デニー・レインは、「フォーク・ソング調の作風を得意とする(Wikipedeia ) 」スタイルが持ち味のひとつとされ、今振り返ると意外なことに、ウイングスに加わる前には シンフォニックでプログレッシヴなロックを指向する前の初期ムーディ・ブルースに在籍、そこでも偶然でしょうか R&B風のワルツ(! )「ゴー・ナウ Go Now ! 」で 1965年に 全英1位・全米10位という大ヒットを放った - という実績があるのです。
Wings Over America
 デニー・レインの「ゴー・ナウ 」は、1976年春に挙行されたウイングスの全米ツアーでのコンサート音源をソースとしたライヴの名盤「U.S.A.ライヴ(Wings Over America ) 」の中でも聴けます。ムーディ・ブルースによる1965年のオリジナル演奏よりも はるかに洗練されたパフォーマンスです。

1979年  ソ連軍、アフガニスタンに侵攻。
       ゲアハルト・シュトルツェ、没

1980年   イラン・イラク戦争(~ 1988年 )。

1985年  ソ連 書記長にゴルバチョフ就任、アフガニスタン撤退を提案。

1986年  チェルノブイリ原子力発電所事故。

1989年  マルタ会談(レーガン、ゴルバチョフの首脳会談) 冷戦終結宣言。
       ベルリンの壁、開放。
       ヘルベルト・フォン・カラヤン、ヴラディーミル・ホロヴィッツ 没。

1990年  東西統一ドイツが実現。
       ゴルバチョフ、ソ連 初代大統領に就任。
       レナード・バーンスタイン 没。

1991年  アメリカを中心とする多国籍軍、イラクを空爆(湾岸戦争 )。
       ゴルバチョフ、ソ連共産党を解散させる。ソ連邦消滅。
       マイルス・デイヴィス 没。

1992年  ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争。
       マレーネ・ディートリッヒ 没。
       アストル・ピアソラ、オリヴィエ・メシアン、ジョン・ケージ 没。

1993年  ヨーロッパ共同体(EC )さらに発展、ヨーロッパ連合(EU )発足。
       オードリー・ヘプバーン 没。

1994年  アントニオ・カルロス・ジョビン 没。

1997年  アジア通貨危機。
       マザー・テレサ、スヴャトスラフ・リヒテル 没。


2001年  ハンス・ツィンマー(ジマー )=クラウス・バデルト
「グルメ・ワルツ・タルタール(Gourmet Valse Tartare )」
~ 映画「ハンニバルHannibal 」から

映画ハンニバルHannibal サウンドトラック(Decca )
ギャヴィン・グリーンナウェイ指揮 Gavin Greenaway
リンドハースト管弦楽団 Lyndhurst Orchestra
発売:2001年、録音場所:ロンドン、エアー・リンドハースト
Decca(ユニバーサル・クラシック/ UCCL-1006 )

 ・・・ジャケット、怖くてすみません。
 アカデミー賞映画「羊たちの沈黙(1991年製作)」に引き続き、名優アンソニー・ホプキンスが 再び猟奇的連続殺人鬼レクター博士を演じた続編「ハンニバル(2001年製作 ) 」、このサウンド・トラック盤は 片時も目の離せない衝撃シーンが続く映画の本編以上に、音楽愛好家にとっては驚きのアイデア満載の音響です。
 ハリウッドで、職業的な映画音楽制作集団「リモート・コントロール・プロダクション(以下RCP )」を率いるドイツ出身の作曲家ハンス・ツィンマー(Hans Florian Zimmer 1957年~ )が、プロフェッショナルな技術によって手がけた、この映画音楽の機能性には圧倒されるものがあります。
 レクター博士が愛聴するレコード - グレン・グールドの「ゴールドベルク変奏曲 」 - 以上に、ツィンマー& RCPによるオリジナル音楽(特にサントラ最後の2曲 )の格調の高さは、マーラーの緩徐楽章を知るクラヲタには 驚きをもって迎えられる品質です。
 「捕らえられし すべての魂へ To Every Captive Soul 」 という曲は、まさにマーラーの第5交響曲 アダージェットの本歌取りですし、魂が浄化されるような最後の「Vide Cor Meum(ラテン語で“汝が魂を見よ”の意 ) 」 は、ルネサンス黎明期の詩人ダンテのテキスト( La Vita Nuova )に アイルランドの現代音楽家パトリック・キャシディが わざわざ作曲したもので、この世ならぬ清浄さが心に沁みる音楽です( 映画では 本当にごく一部しか聴けないのですが、 サントラ・アルバム には全曲収録されています )。 この当時は まだ新鋭だったダニエル・デ・ニース(ソプラノ )とブルーノ・ラゼリッティ(テノール )、及び 少年合唱らによる 第一級の歌唱・演奏は、最後まで聴き続けていたくなる衝動に駆られる素晴らしさです。
 ツィンマーRCPには 新進気鋭の作曲家達が数多く在籍して “親分” の仕事を分業していますが、「グルメ・ワルツ・タルタール 」には、ツィンマーと同郷フランクフルト出身の若き作曲家クラウス・バデルト(Klaus Badelt、1968年~ )の名がクレジットされており、この人の独創的な才能を起用したツィンマーの「機能性 」が窺い知れます。
 このワルツは、レクター博士に かつて重傷を負わされたために 今は車いす生活を余儀なくされている 大富豪メイスン・ヴァージャー(を演じるのは 名優ゲイリー・オールドマン )・・・
ゲイリー・オールドマン Gary Oldman as Beethoven 自傷行為中のメイスン・ヴァージャー
(左から )「レオン 」、「不滅の恋 ベートーヴェン 」、「ハンニバル 」での ゲイリー・オールドマン
 ・・・ヴァージャー が、その復讐心から レクター博士を拉致させて縛りあげた上、牙を剥き出しにして暴れている肉食豚の群れの中に 博士を生きたまま放り込もうとする、世にも恐ろしい場面に流れている音楽です。曲のタイトル Gourmet Valse Tartare とは、「美食家の微塵(みじん )切りワルツ 」とでも訳しましょうか、まったく笑えないブラック・ユーモアです。
 しかも この冒頭 弦のさざ波とホルンによるイントロダクション - 誰が聴いても「あ、“美しく青きドナウ”か 」と思わされます。しかし・・・違います。これは 「青きドナウ 」ではありません。その音楽は、シュトラウスを“断片”的に(それは 文字どおり “微塵切り” に刻んで )撒き散らしながら 徐々にグロテスクなワルツへと変貌を遂げ、不器用な回転を繰り返す その醜態は、かつてラヴェルが「ラ・ヴァルス 」の中で描いた、 崩壊しつつ倒れゆくウィンナ・ワルツの姿を 過去に目撃してしまった、そんな辛い想い出を再現するデジャ・ヴ( 既視感 )のようです。

・・・次回は アフター・シュトラウス いよいよ最終回(? )


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