スケルツォ倶楽部 Club Scherzo
「アフター・シュトラウス & “ バイ・シュトラウス ”」
After-Strauss & “By Strauss”
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The Last Waltz(ザ・バンド The Band ) カットスロートに興じるバンド・メンバー
(30)1976年 ロビー・ロバートソンラスト・ワルツ
  - ザ・バンド の「解散 」 - 


 ハプスブルク帝国の遺産、ウィーン育ちのワルツは、今回 1970年代のアメリカへと渡ります。
 “スケルツォ倶楽部 ”会員の皆さまの殆どが クラシック音楽の愛好家でいらっしゃいますから、今回のように 記事カテゴリーが異なる( 70年代アメリカン・ロックのような )話題だと、あるいは どなたにも読まれることなく、 悲しくもパスされてしまうかも。
 見る人もなくて散りぬる奥山の紅葉は夜の錦なりけり (紀貫之 ) 

 ・・・それでも 私たちは、今宵も 自分たちが書きたいことを 勝手に書かせて頂きます。今回も よろしくお願い申し上げます。

1976年  毛沢東 没。 文化大革命、頓挫。
      ライヒ、「十八人の奏者のための音楽 」。 
      ルキノ・ヴィスコンティ 没。
      ザ・バンド 解散コンサート「ラスト・ワルツ 」


ロビー・ロバートソン:「ラスト・ワルツのテーマ 」
~ 映画「ザ・ラスト・ワルツ 」
ザ・バンド The Band with Strings

The Last Waltz(ザ・バンド The Band ) 映画「The Last Waltz 」DVD ロビー・ロバートソン
(左から )LPジャケット表紙、 映画DVD表紙、 ロビー・ロバートソン
解散コンサート・ライヴ盤に収録された楽曲
 ( 注 : 演奏された順でなく、オリジナル三枚組L.P.に収録された曲順です )
1.ラスト・ワルツのテーマ Theme From The Last Waltz(ザ・バンド The Band )、
2.クリプル・クリーク Up On Cripple Creek(ザ・バンド The Band )、
3.フー・ドゥ・ユー・ラヴ Who Do You Love - (The Band with ロニー・ホーキンス Ronnie Hawkins )、
4.ヘルプレスHelpless - (The Band with ニール・ヤング Neil Young )、
5.ステージフライトStagefright(ザ・バンド The Band )、
6.コヨーテ Coyote - (The Band with ジョニ・ミッチェル Joni Mitchell )、
7.ドライ・ユア・アイズ Dry Your Eyes - (The Band with ニール・ダイアモンドNeil Diamond )、
8.イット・メイクス・ノー・ディファレンス It Makes No Difference(ザ・バンド The Band )、
9.サッチ・ア・ナイト Such A Night - (The Band with ドクター・ジョン Dr. John )、
10.オールド・ディキシー・ダウン The Night They Drove Old Dixie Down(ザ・バンド The Band )、
11.ミステリー・トレイン Mystery Train - (The Band with ポール・バターフィールド Paul Butterfield )、
12.マニッシュ・ボーイ Mannish Boy - (The Band with マディ・ウォーターズMuddy Waters )、
13.ファーザー・オン・アップ・ザ・ロード Further On Up The Road - (The Band with エリック・クラプトン Eric Clapton )、
14.シェイプ・アイ’ム・イン Shape I'm In(ザ・バンド The Band )、
15.ダウン・サウス・イン・ニューオーリンズ Down South In New Orleans - (The Band with ボビー・チャールズ Bobby Charles )、
16.オフィーリア Ophelia(ザ・バンド The Band )、
17.アイルランドの子守唄Tura-Lura-Lural (That's An Irish Lullaby ) ~ キャラヴァン Caravan - (The Band with ヴァン・モリスン Van Morrison )、
18.カーニヴァル Life Is A Carnival(ザ・バンド The Band )、
19.ベイビー・レット・ミー・フォロー・ユー・ダウン Baby Let Me Follow You Down ~ アイ・ドン’ト・ビリーヴ・ユー I Don't Believe You (She Acts Like We Never Have Met ) ~ フォーエヴァー・ヤング Forever Young ~ ベイビー・レット・ミー・フォロー・ユー・ダウン(リプライズ )Baby Let Me Follow You Down - (The Band with ボブ・ディラン Bob Dylan )、
20.アイ・シャル・ビー・リリースト I Shall Be Released - (出演者全員 All )、
録音:1976年11月25日(ライヴ )サンフランシスコ、ウィンターランド

(以下は 同年 スタジオ録音 ) LPでは3枚目 B面
21.「ザ・ラスト・ワルツ 」組曲“The Last Waltz”Suite
  ザ・ウェル The Well(ザ・バンド The Band )、
  エヴァンジェリン Evangeline (The Band withエミルー・ハリス Emmylou Harris )、
  アウト・オヴ・ザ・ブルー Out Of The Blue(ザ・バンド The Band )、
  ザ・ウエイト The Weight(The Band withザ・ステイプルス The Staples )、
  ザ・ラスト・ワルツ・リフレイン The Last Waltz Refrain(ザ・バンド The Band )、
  ラスト・ワルツのテーマTheme From The Last Waltz (ザ・バンド The Band with Strings )
音 盤:Warner Bros. (海外盤 3146-2 )


■「ザ・バンド 」について
 1967~1976年にアメリカで活動した5人組のロック・グループ、ザ・バンド(The Band – バンド名が「ザ・バンド 」です )は、この時代のロックのカテゴリー的にはウェスト・コーストということになるのでしょうか(? ) - しかし彼らが培った音楽的要素はR&RはもちろんですがR&B、ブルース、フォークやカントリーの香りまで濃厚に漂わせています。中にはラグタイムを持ち込んだ楽曲もありながら ジャズの生命たる即興の占める部分には意図的に抑制を効かせているとも言えます。何よりバンドの最重要人物の筆頭である リヴォン・ヘルム の強力な存在感に牽引された 古き良き南部アメリカ の空気を体現させる力強さを持ったグループでした。
レヴォン・ヘルム
リヴォン・ヘルム

 しかし 意外なことに、ザ・バンドのオリジナル・メンバーの中で 生粋のアメリカ人って アーカンソー州出身のこの リヴォン・ヘルム(1940~ ドラムス、ヴォーカル )ただ一人だけなのです。グループ成立時の事情によって(その詳細について、ここでは話題の本筋から外れるため 1963年まで そのバック・バンドとして活動していたロニー・ホーキンスとの経緯等もすべて省略しますが - )リヴォン・ヘルムが当時トロントで集めた他の4人のメンバー - ロビー・ロバートソン(1943~ ギター、ヴォーカル )、リック・ダンコ(1942~1999 ベース、ヴォーカル )、リチャード・マニュエル(1943~1986 ピアノ、ヴォーカル )、ガース・ハドソン(1937~ オルガン、サックス ) - は、いずれもカナダ出身だったのです。その中でも ユダヤ系でネイティヴ・アメリカンとの混血という変わった出自を持つ、才能豊かなエレクトリック・ギター奏者ロビー・ロバートソンは、その後 バンドの主導権をリヴォン・ヘルムから奪うことになるという意味でも、もう一人の重要人物です。
ヘルムとロバートソン
リヴォン・ヘルムロビー・ロバートソン(右 )

 間もなくザ・バンドは、ボブ・ディランのバック・バンドとしての活動によっても徐々に知名度を上げてゆきます。1968年の第1作「ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク Music From Big Pink 」と、翌1969年 「ザ・バンド The Band 」という二枚のマスターピースは、その質の高さから好セールスを記録していましたし、その年にはアメリカン・ニューシネマの傑作「イージー・ライダー(1969年 デニス・ホッパー監督 ) 」では 彼らのアーシーな名曲「ザ・ウェイト The Weight 」が使われてヒットし、同年8月にはウッドストックワイト島ロック・フェスティヴァル など歴史的なロック・イベントにも参加しています。
Music From Big Pink The Band

 1971年「カフーツ Cahoots 」、1972年にはライヴの名盤「ロック・オブ・エイジズ Rock Of Ages 」、1973年にカバー集「ムーンドッグ・マチネー Moondog Matinee 」と、毎年コンスタントにリリースし続け・・・
Cahoots.jpgIn Concert_Rock of Ages Moondog Matinee

 1973年にはボブ・ディランとの金字塔「偉大なる復活 Before The Flood 」、そして翌年にはアルバム「南十字星 Northern Lights Southern Cross 」を発表、特に高い評価を受けています。
Bob Dylan_Before the Flood Northern Lights Southern Cross

ロビー・ロバーソンの狡猾な企て
 傑作アルバム「南十字星 」の全ての作曲を手掛けた (登記上 そういうことになっている ) ロビー・ロバートソンは、このレコードの成功によって確かな手応えを感じ、その評価にも自信を深めました。彼はそろそろ長いツアー活動に疲れており、倦怠感とマンネリも自覚していたところから これを機会に「バンドはライヴ活動を止め、これからはアルバム制作を重視すべき 」との意見を持つようになりました。しかしヘルムはツアー活動を停止することには毛頭反対であり、ロバートソン以外のメンバーも皆 ヘルムを支持したため、グループ内では激しい対立が起きてしまったのです。

 このような場合、普通なら 少数意見のメンバーがグループから脱退 - という展開になりそうですが、何とロビー・ロバートソンは 自分一人がバンドを辞めるのではなく、あろうことか バンド自体を解散させることを公けに宣言、しかも派手な「ラスト・コンサート 」に超豪華なゲスト・ミュージシャンを招き(ゲストは 交通費・宿泊費以外 殆どノーギャラだったそうです )、会場の聴衆を「解散の証人 」に仕立て、さらにコンサートを撮影して記録映画にするという企画案までプロダクションに持ちかけ マーティン・スコセッシを監督に起用するなど、たたみ掛けるように辣腕のマネジャーと どんどん仕事を進め、解散に反対するバンド・メンバー全員が日頃から尊敬の対象としていた偉大なブルース・シンガー マディ・ウォーターズ Muddy Waters(1915~1983 )にまで 実は出演依頼中なんだよー などといった「美味しい 」情報までチラつかせることによって、どちらかと言えば 成り行き任せで自堕落な傾向があった他のメンバーらの目を眩(くら )ませている隙に、ふと気づいたら すでに周囲は「ザ・バンドの解散 」を既成事実として認識している - という、まるで鵯越(ひよどりごえ )のように大胆な作戦を 独断で決行してしまったのです。 ・・・ロビー・ロバートソンの、なんと物凄いエネルギーでしょうか。

 それが、この「ザ・ラスト・ワルツ(The Last Waltz ) 」と名付けられた一大企画でした - すなわち1976年11月25日 カリフォルニア州サンフランシスコウィンターランドで行われたラスト・コンサートと、その実況盤であるL.P.三枚組のライヴ・アルバム(前作「南十字星 」までの契約先キャピトルではなく、新たにワーナー・ブラザーズから発売されることに )および このイベントの記録映画(マーティン・スコセッシ監督 )です。
 コンサート当日は感謝祭の祝日でもあり、会場のあちこちには花が飾られ、聴衆にはディナーがふるまわれ、演奏の始まる一時間前まで会場ではワルツを踊る時間が設けられたりしていたそうです。
The Last Waltz
 そのステージは、かつて映画「ウエストサイド・ストーリー 」のデザインを手がけていた才人ボリス・レヴェンによるもので、会場となったウィンターランドのホール天井に3個の巨大なシャンデリアを飾るというアイディアも彼の発案でした。その豪華なステージったら まるでオペラの舞台のようだなーなどと昔から思っていましたが、スコセッシ監督の回想を聞いていたら 何とサンフランシスコ歌劇場から借りてきた ヴェルディの「椿姫 ラ・トラヴィアータ 第1幕のセットなのだそうです。なるほど! と合点がいきました。

 ライヴが始まると、空前絶後のゲスト・ミュージシャンが次々とステージに上がってきます。
ロニー・ホーキンスボブ・ディラン という、ザ・バンド にとって最も重要な二人はもちろん -
「ラスト・ワルツ」のホーキンス、ダンコ、ロバートソン_スケルツォ倶楽部 「ラスト・ワルツ」のボブ・ディラン Bob Dylan_スケルツォ倶楽部

マディ・ウォーターズ、ポール・バターフィールド、
マディ・ウォーターズ ポール・バターフィールド

エリック・クラプトン、ニール・ヤング、
クラプトン、ヘルム、ロバートソン ダンコ、ロバートソン & ニール・ヤング

ヴァン・モリスン
、そして ジョニ・ミッチェル
ヴァン・モリスン (2) ダンコ、ジョニ・ミッチェル & ロバートソン

・・・挙句に ローリング・ストーンズロン・ウッドビートルズリンゴ・スターまで ステージに駆け上がります・・・
ロン・ウッド リンゴ・スター
   
 音楽的背景も広範囲に渡りながら それらをすべて単一のバック・リズム・セクションとして“ザ・バンド”自身が務める、というアイデアも興味深く、多少の破綻はありながら どの演奏もたいへん熱気溢れるロック・ファンにとっては感動的なもの。
アイ・シャル・ビー・リリースト
 特にロバートソンの気合いの入り方、かきむしるようなギター・ソロの荒れ狂うフレーズの噴出には やはり何かあったのか という気がしますし( - あったんだよ! )、そして リヴォン・ヘルムの殺気立つドラムスと 喉から血を吐くようなヴォーカルの凄さ、名曲「オールド・ディキシー・ダウン The Night They Drove Old Dixie Down 」の掛け値ないほどの素晴らしさ・・・その灼熱の燃焼度と 当夜の彼ら全員の演奏に宿っていたテンションの高さは過去にないほど - まさしく本物だった、という想いは 強調しておきたいです。


ロバートソンは 一体 何故「ワルツ 」を使ったのか?
白面のロビー・ロバートソン ラストワルツを演奏するザ・バンド 
(左 )白面のロビー・ロバートソン
(右 )「ラスト・ワルツ 」を演奏する ザ・バンド

 コンサートの当日 ドキュメンタリー・カメラが回っているのを唯一意識している(常にステージ中心に立ち、彼だけメイキャップしているため白粉で「一人だけ 」白面に映っているのが妙に違和感あり過ぎの )ロビー・ロバートソンが、映画というパッケージの中に「解散コンサート 」を さらに劇的に収めようとして用意した音楽が、弦楽オーケストラで補強された 過剰に豪華な主題曲「ラスト・ワルツ 」だったのです。
 このワルツメロディ雰囲気などは、この数年前にヒットしていたデヴィッド・リーン監督による映画「ドクトル・ジバゴ Doctor Zhivago (1965年 ) 」の 有名な“ ララのテーマ ” (モーリス・ジャール作曲 ) にどこか似ていますが、しかし “ ララ ” よりも さらにセンチメンタルで、感傷的な要素だけをわざわざ蒸留させたような、そして どこか作りものじみた音楽へと堕しているということに、直観的にでも気づいた人は 決して少なくなかったのではないでしょうか。ワルツは、「フェアウェル(さよなら ) 」コンサート開幕前の序曲として、そして映画のエンド・タイトルにも相応しい B.G.M.として 機能的に 」使われ ています。

 今まで この“アフター・シュトラウス ”をずっと読んでくださった読者の皆さまにとっては、ハプスブルク崩壊後に生まれた20世紀以降のワルツ常に「失われた過去の何ものか 」を表現するための「記号 」ではないか - という“スケルツォ倶楽部 ”発起人の意見に もうお気づきのことと思いますが、まさに ここでも 都合よくワルツがある「役割 」を与えられ、「安易に 」使われてしまいました。 ・・・と言いつつも、巷間言われるように この映画「ラスト・ワルツ 」に、「70年代ロックの総括と終焉 」というレッテルを貼る ことも可能ですから、結果的にそのテーマとして ここで ワルツ を 選んだのであれば、確かに その効果は絶大であった と言えないこともありません( - 二重否定の肯定文です )。

 映画監督マーティン・スコセッシの友人で、「ラスト・ワルツ 」当時からザ・バンドの取材もしてきたジャーナリスト、ジェイ・コックス に拠れば、奇しくもこの年(1976年 ) - ザ・バンドの「解散 」と 同年に亡くなっているイタリアの名匠ルキノ・ヴィスコンティ監督による名画「山猫 Il Gattopardo(1963年製作 ) 」の有名な舞踏会シーンに譬えて説明し、かつてバート・ランカスタークラウディア・カルディナーレ などが演じる イタリアの斜陽貴族たちが「美しい屋敷で時代と決別するワルツを踊る、それは俗世から遠く離れ 独自の時間が流れる世界 - ロバートソンもスコセッシも まさにそういう世界を目指していたのではないか 」と述べています。
 映画「山猫 」舞踏会の場面
 うーん、同意! まさにそのとおり、ワルツが果たす役割と本質を見事に突いていると思います。
 ついでに そのヴィスコンティの映画「山猫 」と言えば、若きアロン・ドロンが演じた貴族の青年将校 タンクレディが語る有名な台詞のひとつを 私は思い出しています。それは - 「変わらずに生きてゆくためには、自分が変わらなければならない 」 - これって、まさに向上心に燃えていた当時のロビー・ロバートソンが口にしそうな言葉だとは 思われませんか?

■「ワルツ 」は、演出上の小道具の一つだった・・・?
 すでに述べてきたとおり、この解散コンサートの企画自体が、ザ・バンドを踏み台にしたロビー・ロバートソン自身の「プロデューサー業への転身パフォーマンス 」として利用されていた(事実、ロバートソンは その後ワーナー・ブラザーズに移籍し、数年後には役員待遇で迎えられる )という 舞台裏を知る関係者からの暴露半分の後日談が あちこちから聞こえてくると、せっかくこの偉大なロック・バンドの活動の幕切れを惜しむ映画(である - と、初めて「ラスト・ワルツ 」に触れた若い頃は 純粋にこれを信じて感動していたものでしたが・・・ )を盛り上げるために、 「機能的に使われ 」る ことにも耐えてきた古典的衣装をまとった「ワルツ 」が、ここでは 映画と産業ロックに使い捨てられただけの、ちょっぴりレトロでディスポーザルな飾り物に過ぎなかったのだ、と悟った瞬間 甚だ興ざめで なんだか怒りにも似た気持ちにまでなってしまったのは、私だけでしょうか。

■ しかしスコセッシ監督は、真実を 正確に捉えていた!
 常に被写体の真実を追うマーティン・スコセッシ監督は、この映画製作のため僅かな撮影時間ながらも バンドのメンバーたちと接するうち、ロビー・ロバートソンと彼以外のメンバーとの微妙な人間関係を その冷たい空気から 鋭く感じ取っていたことは間違いなく、特にベーシスト、リック・ダンコが浮かべる表情や彼の言葉を 絶妙なタイミングでカメラにとらえさせていました。
監督スコセッシとリック・ダンコ スコセッシ監督とリック・ダンコ 

 ・・・それは 特に映画の開始から間もなく映し出されるリック・ダンコ、ロビー・ロバートソンを含む バンドのメンバー数名が シャングリラという録音スタジオに置かれたビリヤード台でゲームに興じている場面にはっきりと観られます。
 キューを振りまわしながら軽快なステップで球を撞(つ )く リック・ダンコに、画面オフからスコセッシ監督が声を掛けるのが聞こえます。
▼ 「リック、今 やっているゲームは何?
カットスロートに興じるバンド・メンバー
 上背に革ジャンが格好良いダンコ、言葉少なに答えます、
カットスロート Cut Throat だよ、自分の球だけ残して 他を落とすゲームだ - 」
 ・・・凄い ! これ、事前に台本があったのではないかと思えるほど象徴的な言葉だと思います。
カットスロート 」について調べてみましょう - ビリヤードに詳しい方なら 当然ご存知でしょうが - リック・ダンコの言うとおり、これは 他人(ひと )の球を落として ひたすら自分の生き残りを図るゲームなのです。最後の一個を落とされたら それで負け。つまり「残った者がひとり勝ちとなるルールなんです(! )。
 ― お気づきでしょうか。きっとダンコは そばにいるロバートソンに わざわざ聞こえるように こう言いたかったに違いありません、「ラスト・ワルツ 」ライヴ音源の発売権を抱え 高額な条件での契約を提示するワーナー・ブラザーズに 事実上単独で移籍することが決まっていたロバートソンに。「カット・スロート、それはまるで お前がオレたちに対してやっている仕打ちのようなものだろ! 」って・・・。
 そうです、ここで「使い捨て 」られたのは 実は「ワルツ 」だけではなく・・・ 何と ロバートソン以外のザ・バンドのメンバー全員が「使い捨て 」られていたのです。ビリヤード台の前に立ってキューを握るダンコの言葉には、とても偶然とは思えぬ真実がありました。マーティン・スコセッシ監督が、かくも些細なやり取りを 何故わざわざ この映画の冒頭に置いてみせたのか、実はそこに確かな意図があったのだ と私は思います。

■ 後日談・・・
 バンド解散後、メンバーは各自それぞれソロ活動を始めていましたが、まるで必然性のなかった1976年の解散を 取り消そうとするかのように1983年(ロバートソン以外のメンバーで )ザ・バンドは再結成されます。ツアー・メンバーもロバートソン抜きの4人に、ケイト・ブラザーズがサポート参加する形で来日公演もこなしています。その後、リック・ダンコヘロイン中毒で急死してしまう1999年まで 彼らは活動を続けるものの、皮肉なことに ロバートソンが在籍していた 往時のキャピトル・レーベル時代ほどの成功を収めることは なかったのです。
 それでも 今も多くのミュージシャンから大きな尊敬を集める存在として、1994年にはザ・バンドは 遂に「ロックの殿堂 」入りを果たします。しかし その式典の席には、かつて「ラスト・ワルツ 」で 一度バンドを解散させたロビー・ロバートソンも主催者から招かれており、これに猛反発したリヴォン・ヘルム が 「同じステージに立ちたくない 」と言いだす事態となりました。わかります。彼は かつてラスト・ワルツ「カットスロートで 独り勝ちを占めた 」ロバートソンを、決して 許そうとはしなかったのです。


最近のロビーロバートソン(2011 )by Robin Wong_Exposay.Com Robbie Robertson _How To Become Clairvoyant
最近の ロビー・ロバートソン
右は、2012年 - 13年ぶりに発表されたソロ・アルバム How To Become Clairvoyant
 うーん、「超能力を身につける方法 」 とでも 意訳しましょうか?


 今回の 文章は わが青春の友、名ベーシスト 大場K.君 に捧げます。元気ですか?


1979年  ソ連軍、アフガニスタンに侵攻。
      ゲアハルト・シュトルツェ、没

1980年  イラン・イラク戦争(~ 1988年)。

1981年  カール・ベーム 没。

1982年  マイケル・ジャクソン、「スリラー」発表。
      グレン・グールド 没。

1985年  ソ連 書記長にゴルバチョフ就任、アフガニスタン撤退を提案。
      この頃から、コンパクト・ディスクの普及が加速。

1986年  チェルノブイリ原子力発電所事故。

1989年  マルタ会談(米レーガン、ソ連ゴルバチョフの首脳会談)、冷戦終結宣言。
      ベルリンの壁、開放。
      ヘルベルト・フォン・カラヤン、ヴラディーミル・ホロヴィッツ 没。

1990年  東西統一ドイツが実現。
      ゴルバチョフ、ソ連 初代大統領に就任。
      サダム・フセイン、イラク軍をクウェートに侵攻。
      レナード・バーンスタイン 没。

1991年  アメリカを中心とする多国籍軍、イラクを空爆(湾岸戦争)。
      ゴルバチョフ、ソ連共産党を解散させる。ソ連邦消滅。
      マイルス・デイヴィス 没。

1992年  ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争。
      マレーネ・ディートリッヒ 没。
      アストル・ピアソラ 没。
      オリヴィエ・メシアン、ジョン・ケージ 没。

1993年  ヨーロッパ共同体(EC)さらに発展、ヨーロッパ連合(EU)発足。
      チェコスロヴァキア連邦解消、チェコとスロヴァキアに分離。
      オードリー・ヘプバーン 没。

1994年  アントニオ・カルロス・ジョビン 没。

1997年  アジア通貨危機。
      マザー・テレサ 没。
      スヴャトスラフ・リヒテル 没。


次回の「アフター・シュトラウス & “ バイ・シュトラウス ”」 は
番外編 - 「拾い遺したワルツ 」を 集めてみようと思っています・・・


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