スケルツォ倶楽部
名優ゲアハルト・シュトルツェの演技を聴く
 オルフ「オイディプス王」(クーベリック)D.G.ゲルハルト・シュトルツェ(最小サイズの肖像写真)  目次は こちら

(32)オルフ「カルミナ・ブラーナ 」で、
   白鳥の丸焼き を演じる


 「ヨッフムの演奏は、この曲の カンタータと同時に劇場で演奏されるという要素が判る演奏ですね。(相対的に )他の人たちの演奏は、完全な演奏会形式の演奏だけれども、ヨッフムの場合は この曲が作曲された当時の 新しさと やぼったさの感じがうまく出ていますね。それに、シュトルツェ が絶品 でした 」 (浅里公三 氏 / 音楽之友社 レコード芸術 誌 2002年10月号より )

■ 1967年(テノール独唱 )~ オルフ:「カルミナ・ブラーナ
 カール・オルフCarl Orff カルミナ・ブラーナ(ヨッフム盤 )D.G.
 カール・オルフ : 「カルミナ・ブラーナ 」
 オイゲン・ヨッフム指揮
 ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団、合唱団 
   グンドゥラ・ヤノヴィッツ(ソプラノ )、
   ゲアハルト・シュトルツェ(テノール )、
   ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン )
 監修:カール・オルフ
 録音:1967年10月 ベルリン
 ドイツ・グラモフォン(ポリドールPOCG-9763 )


 私たちの “スケルツォ倶楽部” における 当連載記事「名優 ゲアハルト・シュトルツェの演技を聴く 」を お読み頂いた結果、この稀代のキャラクター・テノールの声に興味を覚え、もし初めて「何か 聴いてみようかなー 」などと思ってくださった方がいらっしゃったとしたら(喜 )、そうですね、 このディスク辺りが シュトルツェの出演したレコードの中でも 今なら 最も入手しやすい一枚 と言えるのではないでしょうか。
 と申しても、この中でシュトルツェは 僅か一曲だけしか歌っておりませんが・・・。けれど「その一曲 」こそが、歴史的キャラクター・テノールである彼の個性を あたかも ギュッと凝縮したような、実に見事な仕上りなのです。
 過去シュトルツェの才能を見込んで、自作の舞台作品「オイディプス王 」において作曲者自身が タイトルロールとして抜擢した、カール・オルフの 代表作「カルミナ・ブラーナ 」。
 シンプルな和音、単純に繰り返される強烈なリズム、そして独特のメロディ・ラインなど、オルフ以外の誰のものでもない音楽。
 Eugen Jochum Gundula Janowitz Dietrich Fischer-Dieskau (3)
(左から )オイゲン・ヨッフム、グンドゥラ・ヤノヴィッツ、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ

 若く瑞々しい声の グンドゥラ・ヤノヴィッツのソプラノ、自由自在で 恐ろしく雄弁なフィッシャー=ディースカウ(特に 第13曲「我は大修道院長さまぞ 」の大迫力 )らと並んで、この栄(は )えある場に われらがシュトルツェも 独唱者としてその列に加えられたことは、この録音に立ち会い 自身監修も執り行った作曲者オルフの推薦によるものと考えて間違いないでしょう。ここでの オイゲン・ヨッフム のダイナミックな指揮、力いっぱいの混声合唱が生のエネルギーを大らかに発散し、割れんばかりのパーカッション群も大炸裂、その1曲1曲が極め付けの名演です。
 演奏のレベルも録音の質も、もはや半世紀近くも前のレコーディングとなってしまった この録音より優れたレコードは、以後すでに何枚かリリースされているでしょうが、しかし 作曲者自身の監修という この音盤の持つ価値を超える録音は、二度と現れないでしょう。これに加えて 私にとっては、ゲアハルト・シュトルツェが参加している、という付加価値によって「カルミナ・ブラーナ 」と言えば 真っ先に指を折る 必携の名盤です。

 記事 第28回「グノー『聖セシリアのための荘厳ミサ 』 において、シュトルツェが「演じるべき対象 」を持たない声楽曲などの場合には 精彩を欠くことがある、ということについて 述べたばかりでしたね。この理屈から推測されると、演技を伴わない「世俗カンタータ 」といったら、今回も同じで 今ひとつの出来なのではないか・・・と、不安に思われる向きもあるかも知れません。たしかに、「カルミナ・ブラーナ 」はオペラ作品ではありません。
 しかし、彼はしっかりと一個のキャラクターを「演じ 」ているのですよ。鉄串に刺されて ぐるぐる回され、息も絶え絶えな「白鳥の丸焼き 」という大役を!
 ロースト・チキン !

「カルミナ・ブラーナ 」第2部 居酒屋にて(In Taberna )から
第12番「かつては 湖で暮らしていたのに 」
Olim lacus colueram

  かつて ボクは美しい姿で 湖に暮らしていましたが、
  それは ボクが白鳥だった頃のこと
  それが・・・ ああ、なんということ
  ちょうど今、丸焼きにされているところです  
  ほら、このような まっ黒焦げの姿になって  

  料理人は ボクを貫いた鉄串をぐるんぐるん回しているし、
  薪の炎は ボクを強く炙(あぶ )っているし、
  給仕係は ボクを酔っ払いどものテーブルへと運ぶところ・・・  

  角皿に横たえられ、
  今はもう 羽ばたいて逃げることさえ出来なくなって、
  あ~あ、もうイヤだなあ、
  酔っ払いどもの歯が ボクに かじりつこうと、
  音を立てて 近づいてくるのが見えるよ!

                            (意訳 : 山田 誠 )

 これは ジークフリートのために調理場に立つ ニーベルングミーメをレパートリーとするシュトルツェに相応(ふさわ )しい、もうひとつの「料理の歌 」です。しかし前述のとおり、今回ここでシュトルツェが演じているのは、料理「する 」側ではなく 料理「される 」立場(爆笑 )なのです。シュトルツェは、こんがりと「ロースト・チキン 」に焼かれながら 自分が置かれた悲劇的な状況を説明する歌を歌い「演じて 」いるのです。
 料理人がゆっくりと 焼けた鉄串を回すリズム、それは この曲を支配する、厳粛な葬送行進曲です。でも音楽が厳粛であればあるほど 反比例してアイロニカルな効果が じわじわと肉汁のように滲(にじ )み出してきます。曲のリフレイン部分に入ると シュトルツェと一緒に真っ黒コゲの焼き鳥にされた その他の白鳥たち(かわいそうに、かなり大勢いるらしいです・・・ )も一列に並ばされて、みんなも一緒に ぐるぐると鉄串で回されながら一斉に合唱する というイメージ、その何というイタさ、そんなブラックな光景って 一体・・・ 。
 ― ああ、もう胸が詰まって何も言えません(もちろん可笑しくてですが )。あの独特なファルセット唱法で、そして思いきり泣きも入ったシュトルツェの個性的唱法が堪能できる、もう最高です。ぜひ 今夜 この機会に、あらためて「カルミナ・ブラーナ 」を “スケルツォ倶楽部 ”発起人 と一緒に 聴いてください。


■ カラヤン、ザルツブルク・イースター音楽祭を思いつく
 さて、ここで また一旦 時間は 2年ほど戻り、1965年 7月 夏のザルツブルク音楽祭カラヤン演出によるムソルグスキー歌劇「ボリス・ゴドゥノフ 」で、シュトルツェは 第1幕クレムリンの戴冠式の群衆場面の中、次期皇帝としてボリスの名を高らかに呼び上げる貴族シュイスキー公爵 を演じています(実況録音のディスクは Arkadia 海外盤KAR-210.2 )。
 ・・・と申しても 残念ながら この魅力的なライヴ盤に 発起人は出会ったことがなく、当然 未聴なので 憶測でしか語ることが出来ませんが、きっとシュトルツェが ここで朗々と「あの声 」を 張り上げることによって、ボリス擁立に傾いた政治的な裏工作の怪しい臭いが 濃厚に漂ったに違いありません。
 ちなみにカラヤンは その後 - 1970年 - 「ボリス・ゴドゥノフ 」の有名な全曲録音をウィーン・フィルと デッカに残していますが、この時 シュイスキー公爵の役を担当したのは アレクセイ・マスレンニコフというロシア系のテノール歌手で、残念ながら シュトルツェは起用されませんでした。
 60年代のカラヤン カラヤン演出による「「ボリス・ゴドゥノフ」の舞台写真
 ザルツブルクにおける この時の「ボリス~ 」の主要な配役は、ニコライ・ギャウロフのタイトル・ロール、ナデージダ・ドブリャノーヴァクゼーニヤウズノフグレゴリーセーラ・ユリナッチマリーナなどでしたが、カラヤン自身の発案による 群衆効果を狙った 総出演者数百人(! )に及ぶ大規模な合唱、シネマスコープのように 左右いっぱいに宮殿の両翼が張り出した豪華な舞台美術は「演出過剰 」と批判され、マスコミにも「マイ・フェア・レディ 」をもじって「マイ・フェア“ボリス ” 」とか、「ハリウッド調一大絵巻 」などと散々な悪評を被った公演として オズボーンによる前掲書「ヘルベルト・フォン・カラヤン 」にも辛辣に描かれています。
 しかし重要なことは、この「ボリス 」公演の幕間の休憩時間中、当時ウィーン国立歌劇場を辞任していたカラヤンが、「この新祝祭大劇場を使って、“ 自分の ”音楽祭を行なう 」という遠大な企画を 天啓のように思いついた、という伝説です。まさに それこそが 2年後の1967年、カラヤンの強力な意志によって現実のものとなる「ザルツブルク・イースター(復活祭 )音楽祭 」の原型だったのです。
 新祝祭大劇場は、ウィーン政府が所有し、ザルツブルク市当局が運営管理するホールです。記者発表に際して、カラヤンは、この企画自体を敢えて「個人的なもの 」であると公言、一切の責任を自身が負うことを宣言し、このホールの維持費だけでなく音楽祭実現のための制作費、運営費など経費の全てを 当面は自分のポケット・マネーから捻出する覚悟さえ決めていましたが、結果的には 予約会員とチケット販売の収入の他、音楽祭の公演に先立ってドイツ・グラモフォンに 待望のベルリン・フィルとの「最初のオペラ録音 」ともなる「ニーベルングの指環 」全曲のレコーディングをさせるという企画を思いつき、これを音楽祭の資金に充てることとしたのでした。

■ ザルツブルク・イースター音楽祭の開幕
  ~ ニューヨーク・メトロポリタンへの進出

 1967年、カラヤンベルリン・フィルを起用し、自らが芸術総監督としてワーグナーの 楽劇「ニーベルングの指環 」全曲上演を最大の目的とする音楽祭の創設 - ザルツブルク・イースター(復活祭 )音楽祭を、堅固な意志の力によって 遂に実現させます。
 3月19日、その初年度の記念すべき最初の演目に選ばれたのは 「ヴァルキューレ 」でした。ジョン・ヴィッカース(ジークムント )、グンドゥラ・ヤノヴィッツ(ジークリンデ )、トーマス・スチュアート(ヴォータン )、クリスタ・ルートヴィヒ(フリッカ )、レジーヌ・クレスパン(ブリュンヒルデ )、マルティ・タルヴェラ(フンディング )という超豪華な主演陣でした。
 公演に先だち、計画どおりドイツ・グラモフォンへのレコーディングも、同じく「ヴァルキューレ 」からスタートさせ(但し、フリッカ役はジョセフィーヌ・ヴィージーに交替 )、1966年の8月、9月、12月に分けて、イエス・キリスト教会で録音されています。
 そして、カラヤンの次なるプロジェクトは、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場 総支配人ルドルフ・ビングの招きに応じ、ザルツブルクと同一演出、ほぼ同じ(但し この時は、ビングの強い要請によって ブリュンヒルデ役だけは ビルギット・ニルソンとのダブル・キャストに。またフンディング役もカール・リッダーブッシュに交替 )主要キャストを率いて渡米し、同年11月21日、初めてメトロポリタン歌劇場で「ヴァルキューレ 」の上演を実現させたことでした。
 メトロポリタン歌劇場(Gala  D.G.477 6540 のジャケットより ) Rudolf Bing
(左 )メトロポリタン歌劇場のイメージ画像(オペラ・ガラ D.G.盤 ジャケットより )
(右 )総支配人ルドルフ・ビング


 これは大反響を呼びました。
 カラヤンメトロポリタンでも「ニーベルングの指環 」を 一作ずつ 最終的には全て上演する計画を建てていました。すなわち、レコード録音ザルツブルク・イースター音楽祭上演メトロポリタン歌劇場で同一演出による上演、という極めて効率的なサイクルが組まれていたわけです。勢いに乗ったカラヤンザルツブルク「指環 」プロジェクトは、「ヴァルキューレ 」の次なる演目として、「ラインの黄金 」を選びます。
 そこで重要な脇役として大活躍することになる われらがシュトルツェの歌唱を、次回は聴いてまいりましょう。

次回 (33)カラヤン盤「ラインの黄金」で ローゲを演じる に続く・・・

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