スケルツォ倶楽部
名優ゲアハルト・シュトルツェの演技を聴く
 オルフ「オイディプス王」(クーベリック)D.G.ゲルハルト・シュトルツェ(最小サイズの肖像写真)   目次は こちら

(29)ライヴ「サロメ 」 激烈なヘロデ役を聴く

■ 1965年 「ヘロデ」 ~ R.シュトラウス:楽劇「サロメ
ヘロデを演じるシュトルツェ サロメ1962(コシュラー) Anja Silja as Salome
(左から )シュトルツェ、CD(MYTO盤 )のジャケット、アニヤ・シリヤ(タイトルロール )

 R.シュトラウス:楽劇「サロメ 」
  アニヤ・シリヤ(サロメ )、
  エバーハルト・ヴェヒター(ヨカナーン )、
  ゲアハルト・シュトルツェ(ヘロデ )、
  アストリッド・ヴァルナイ(ヘローディアス )、
  フリッツ・ヴンダーリヒ(ナラボート )、
  マルガリータ・リローヴァ(小姓 )、
  マレイ・ディッキー(第1のユダヤ人 )、
  ハインツ・ツェドニク(第2のユダヤ人 )、
  クルト・エクウィルツ(第3のユダヤ人 )、
  カール・ターカル(第4のユダヤ人 )、
  ヘルベルト・ラックナー(第5のユダヤ人 )、
  ゲルト・ニーンシュテット(第1のナザレ人 )、
  ロバート・カーンズ(第2のナザレ人 )、他
  ズデニェク・コシュラー指揮
  ウィーン国立歌劇場管弦楽団
 録 音:1965年11月25日、ウィーン国立歌劇場 ライヴ
 音 盤:MYTO(輸入盤2MCD.001.212 . )

 
 このウィーンでの実況録音が残される半年ほど前(同年 6月 )、ゲアハルト(ゲルハルト )・シュトルツェを含むドイツ・グラモフォン契約下の声楽家たちがD.G.=チェコ・スプラフォンの共同制作として プラハで グノー「聖セシリア・ミサ 」を録音したことは 前回述べたとおりです ⇒ 前回の記事をご参照
 今回は 逆に チェコスロヴァキア側から 当時の若手ホープ指揮者だったズデニェク・コシュラー Zdeněk Košler(1928-1995 )が、ウィーン国立歌劇場に客演指揮者として登場した時の記録なのです。次回と今回の話題とを紐付けるものは、両国の文化芸術交流が この時期たいへん活発だった、という事実です。
 Zden#283;k Ko#353;ler
 ↑ コシュラーは、この数年前にミトロプーロス国際指揮者コンクールで、クラウディオ・アバドと同率優勝したばかりで、チェコ国内でも脚光を浴びていた時期でした。

シュトルツェの「安定した狂気 」の演技
 シュトルツェは、これより7年後 カール・ベームが指揮するメトロポリタン歌劇場でも「サロメ 」のヘロデを演じていることからも察せられるとおり、この古代ユダヤ領主役での客演依頼が 世界の一流歌劇場から当時殺到していました。もし その気になって探してみれば、この頃に録音されたシュトルツェヘロデを演じた欧米のライヴ録音をマイナー盤なら相当数発掘出来るのではないでしょうか。それは、やはり1961年のニルソン=ショルティ=ウィーン・フィルとの金字塔的なデッカ録音によって シュトルツェの歌唱演技力の凄まじさが広く周知された証でもありましょう。
 このMYTOライヴ盤を 数年前 初めて入手することが出来た日、私は 実況録音でシュトルツェヘロデが聴けるという幸運に 激しく興奮していました。ただ、同時に懸念する材料も無いわけではありませんでした。それは、デッカのスタジオ盤におけるシュトルツェの素晴らしさは、既に述べたとおりですが、しかし よく聴き直してみれば、その要所要所に録音時 原テープを繋いだような痕跡が耳につくのです(文字どおり「珠(たま )に瑕(キズ ) 」 )。スタジオ録音に編集作業が伴なうのは当然、いえむしろ逆に 繋ぎ編集が無いことなど現実にはあり得ないほどですが、シュトルツェデッカ盤で聴かせた 凄まじい「あのテンション 」を、実演の舞台では 果たしてどこまで維持できていたのだろうか、それをこの耳で確かめることも 私にとっては このライヴ盤を聴く目的のひとつでありました。
 ・・・で、結論から先に申し上げてしまうと、その懸念は全くの杞憂に終わりました。
 素晴らしい出来映えだったスタジオ盤から 約 4年が経過した時期の録音でしたが、ここに聴くシュトルツェの生の歌唱には さらに磨きがかかり、全体的に引きずるようなレガート気味の歌唱となって、むしろ そこには余裕さえ感じられるほどでした。また 台詞を強調すべき個所では たとえ旋律線を犠牲にしてもリズム表現を優先させるという、典型的なシュトルツェの歌唱姿勢を繰り返し確かめることが出来ます。
 ヘローディアスや客人・取り巻きらを引き連れ舞台に登場して間もなく、自決したナラボートの血だらけの遺体を「わしは見たくない! 」と嫌がってみせる台詞の激しい嫌悪の表現、天空を吹きぬける風や鳥の羽音といった幻聴を感じる狂気の兆候、いずれもスタジオ盤で聴く以上に その演技がダイナミックなのは、やはり聴衆の存在が大きな理由でしょうか。
 ライヴ故 ディスクの音質こそ今ひとつでしたが、シュトルツェが演じるヘロデの見事さは やはり別格のものでした。驚異的なスタミナも絶倫で、その高いテンションも楽劇の幕切れ 濁声による「殺せーい、あの女を! 」まで、全く途切れずに持続させていたことを確かめることが出来た私は、心から満足したのでした。

■ 豪華な出演者の顔ぶれ
 サロメを演じるアニヤ・シリヤ(1974 DECCA ) フリッツ・ヴンダーリヒ(ナラボート )MYTO
(左 )「サロメ 」を演じるアニヤ・シリヤ(DECCAドホナーニ盤ジャケットより )
(右 )若い兵士 ナラボードを演じるフリッツ・ヴンダーリヒ


 開幕の第一声を発してから その31分後には死体となっているナラボート役のフリッツ・ヴンダーリヒはじめ、ソリストたちの陣容も超豪華ですが、その中では やはりタイトルロールのサロメアニヤ・シリヤに注目です。

アニヤ・シリヤ(左 )とヴィーラント・ワーグナー
▲ 彼女は、よく知られているように 晩年のヴィーラント・ワーグナー(写真 右 ) から 公私ともにわたって愛され、バイロイト音楽祭にも たいへん若い時期から出演、当時は エルザエリーザベト、フライア、エヴァ などといった、ワーグナー楽劇の中では 比較的軽量級の 可憐な「お姫さま 」的イメージのソプラノとして そのキャリアをスタートさせました ( 後年には ブリュンヒルデなど バイロイト以外の歌劇場で演じてはいますが ‐ )。
 この 「サロメ 」 を演じた1965年、彼女はバイロイトでは「オランダ人 」のゼンタスウィトナー指揮 )、「タンホイザー 」のヴェーヌスクリュイタンス指揮 )、そして「指環 」ではフライア第3のノルンベーム指揮 )を、すべてヴィーラント演出下で歌っています。
アニア・シリヤAnja Silja ヨカナーンの首をみつめるアニヤ・シリアのサロメ

 今、あらためて録音でアニヤ・シリヤの声質を確かめてみると、私の勝手な先入観を大きく裏切って、十分に強靭で芯の太い声に驚かされます。思い込みの印象や外見から受けるイメージとは当てにならぬものです。そこで あらためて「サロメ 」を演じた二人のソプラノ歌手を、その声質の面で冷静に聴き比べてみると、これも意外なことに アニヤ・シリヤよりも むしろビルギット・ニルソンの声質のほうが 客観的にはずっと「可愛らしく 」聴こえるほどです。
 シリヤが 殆んど憑かれたように 「わたしは欲しいの、ヨカナーンの首が 」と、一定の音型を地声で激しく繰り返しながら ヘロデに迫る、その恐ろしい声は 徐々に苛立ちを増幅させ、怖いほどの地声も剥き出しになります。
 後年になると、シリヤは たとえば1997年のシャンドス CHANDOS(CHAN-9611.2. ミハエル・シェーンヴァント Michael Schønwandt指揮 / デンマーク国立放送交響楽団、インガ・ニールセン Inga Nielsen / サロメ 他 )盤などでも聴けるように ヘローディアス役も演じるようになります。
 Salome_Schoslash;nwandt(CHANDOS)盤
 若き日にサロメを歌っていたソプラノ歌手は、長じて その母親役ヘローディアスを演じるようになることは多いようですが、そう言えば このコシュラー / ウィーン国立歌劇場盤「サロメ 」で ヘローディアスを歌っているアストリッド・ヴァルナイ Astrid Varnay もまた、戦後のバイロイト音楽祭で おそらく最も多い回数 ブリュンヒルデを演じてきたドラマティック・ソプラノでしたが、過去 「サロメ 」 も重要なレパートリーとしてきた歌手でした。
 Astrid Varnay (2)
 当録音で、↑ この ヴァルナイの“女を捨てた ”ような「怪演 」を聴くかぎり、舞台でシュトルツェの最強のヘロデと張り合える、実に存在感の大きなソプラノ歌手であったことに感じ入りました。これに比して ショルティDECCA盤で聴けるグレース・ホフマンのほうは まだお高く気品さえ残している妃を演じていますが、片やこのライヴに聴けるアストリッド・ヴァルナイ ベーム指揮の映像版「サロメ 」(D.G.-DVD )にも出演している あのイメージ(映像をご覧になられた人なら、あの迫力もお判りでしょう! )のとおりです。
 ・・・ただ、難点は ヴァルナイが「必要以上に笑い過ぎる 」ことです。その多くが、夫のヘロデを見下して嗤(わら )っているわけですが、その演技はいささか過剰です。たとえば、サロメが「わたしが欲しいものは、銀のお盆に載せたヨカナーンの首 」と初めて告白する・・・ さすがにこの時だけは、その瞬間だけは、舞台に立っている全員が 恐怖で凍りついて欲しかったのです。しかし、ヘローディアスひとりだけは・・・ここで、楽しそうに笑ってしまうのです。彼女の気持ちは判らないでもないですが、ここだけは ちょっと自粛してほしかったなあ、オスカー・ワイルド渾身のシーンなのになあ、あの「軽率な 」笑声で緊張感が薄れてしまうではありませんか・・・。これ、演出家が 指示したのでしょうか。

■ ここでの「ユダヤ人 」たちに 些(いささ )か不満が。
 ついでながら、脇役 5人の「ユダヤ人 」たちも この実況録音盤では 不必要に笑い過ぎています。もうひとこと言わせてください。
 マレイ・ディッキー、ハインツ・ツェドニク、クルト・エクウィルツ、カール・ターカル、ヘルベルト・ラックナー という、ベテランのメンバーの名前も見える 結構ぜいたくな顔ぶれなのですが、せっかくゲルト・ニーンシュテットの演じる 渋い「ナザレ人 」が ユダヤ各地でキリスト・イエスがもたらしている福音の数々を敬虔に語って聞かせているというのに、いちいち そのワン・フレーズ毎に 声を揃えて嗤(わら )ってみせる - 古代ユダヤの律法学者たちが キリストに否定的な意見を持った存在であることを示そうとする演出 - その意図は判らないでもありませんが、しかし ここはあまりにも抑制が無さ過ぎて耳障りです。うるさい、お前たち。出番が少ないからと言って 目立たとうとしなくてもよろしい。
 そうかと思えば、シュトルツェヘロデ サロメヨカナーンの首をあきらめさせようとして必死になる迫真の場面、ヨカナーンの代わりに「祭司長のマントでも 神殿の垂れ幕でも与えよう 」と宣言する時、ト書きで「ユダヤ人 」たちが張り上げることになっている叫び声は、神をも畏(おそ )れぬヘロデの不遜な言葉への激しい抗議の意思表明でなければなりません。が、今度は逆に 到底そうは聞こえません、あれでは全然腰砕けではないですか。あそこは 己の信じるものを全否定された侮辱に対する最大限の抗議と怒りの叫びを上げるべきなのです。「宗教学者 」の役として、(単に演技力が足りなかったというだけかも知れませんが、 )彼らの声には 驚きも嘆きも不満も抗議も切迫感も全然感じられません。そんな彼らと同じステージに立って ヘロデ役を務めている天下の名優ゲアハルト・シュトルツェは、おそらくコイツらの演技を傍らで聴きながら、その腹の裡で一体どんな感想を持ったことでしょうか・・・。これらは舞台演出家の意図が不徹底だったことにも原因があるでしょう。

■ 同年シュトルツェの舞台における活躍の記録
 さて、シュトルツェは同年(1965年)、ハンブルクギゼルヘル・クレーべ Giselher Klebe という作曲家の 歌劇「ヤコボウスキーと連隊長 」世界初演の舞台に主役で登板したそうです。
 作曲者クレーベは 十二音主義から出発した戦後の前衛音楽家で、ダルムシュタットドナウ・エッシンゲンなどの現代音楽祭で活躍していたそうですが、情報不明のため 本件、これ以上語ることは出来ません(すみません )。

次回 (30)「ファルスタッフ」医師カイウスを演じる に続く・・・

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