本記事は 8月30日「 注目記事ランキング クラシック音楽鑑賞 」で 第1位 となりました。
皆さまのおかげです、これからも 何卒よろしくお願い申し上げます。


スケルツォ倶楽部
名優ゲアハルト・シュトルツェの演技を聴く
 オルフ「オイディプス王」(クーベリック)D.G.ゲルハルト・シュトルツェ(最小サイズの肖像写真)  目次は こちら

(27)R.シュトラウス「ばらの騎士 」、ヴァルツァッキを演じる 

■ 1965年「ヴァルツァッキ 」~ R.シュトラウス:楽劇「ばらの騎士
 R.シュトラウス:楽劇「ばらの騎士」
 ヨーゼフ・カイルベルト指揮
 バイエルン国立歌劇場管弦楽団、合唱団、
ばらの騎士(カルベルト)Orfeo D’or リヒャルト・シュトラウス
 クレア・ワトソン(元帥ヴェルデンベルク夫人 マリー・テレーズ )、
 ヘルタ・テッパー(オクタヴィアン )、
 クルト・ベーメ(オックス男爵 )、
 オットー・ヴィーナー(ファーニナル )、
 エリカ・ケート(ゾフィ )、
 ゲアハルト・シュトルツェ(ヴァルツァッキ )、
 アンネリー・ヴァース(マリアンネ )、
 ブリギッテ・ファスベンダー(アンニーナ )、
 フリッツ・ヴンダーリヒ(歌手 )、他
録音:1965年3月21日(ライヴ )バイエルン国立歌劇場
音盤:Orfeo D’or(海外盤 C425.963D )


 R.シュトラウスの「ばらの騎士といえば、もう3~ 4年ほど前になるでしょうか、凄まじいほどの勢いがある カルロス・クライバー(1973年録音Orfeo D’or C581.083D 海外)盤が正規発売されて 大きな話題となりましたが、この存在も忘れることは出来ません。なぜなら、今回のカイルベルト盤は、そのクライバー録音に先立つこと 8年前 - 1965年 - の「同じバイエルン国立歌劇場 」における上演の記録であるからです。
 歌手達の世代はそれなりに過去へと遡り、録音は残念ながらモノラルではあるものの ヘルタ・テッパー、エリカ・ケート、クルト・ベーメ など、当時の水準でも最高に豪華な出演者です。
 クレア・ワトソンだけが このカイルベルト盤とクライバー盤の両方で「公爵夫人 」役を共通して演じていることが興味深いです。彼女は カイルベルト盤の上演時には まだ38歳とかなり若く、その瑞々しく美しい声に やはり注目が集まります。尤も 時間の流れをその肉体で感じ、年齢を意識し始めたマルシャリンが役の深みを演じてみせるには、その後のワトソンがさらに高めてゆく表現力にリアリティをも加味した8年後のクライバー盤(今度は声の衰えを指摘する向きも多いですが )のほうに軍配が上がるのでしょうか。
Claire Watson 1965年 Orfeo D’or Claire Watson 1973年 Orfeo D’or ばらの騎士「これは天国からの挨拶のようです 」Orfeo D’or
元帥夫人を演じるクレア・ワトソン
(左から )カイルベルト盤(1965年 )、クライバー盤(1973年 )、クライバー Orfeo D’or 盤のジャケット

 その他、クライバー盤では もうひとりの主役格オクタヴィアンを演じることになるブリギッテ・ファスベンダーですが、ここカイルベルト盤では ヴァルツァッキの相棒アンニーナという端役を演じていたキャスティングにも注目です。
 端役と言えば、このオペラ「ばらの騎士 」第1幕で 点景的に登場して 少し歌うだけの「歌手 Ein Sänger 」役には、昔からスタジオ・レコーディングに際して ニコライ・ゲッダカラヤン旧盤 )、プラシド・ドミンゴバーンスタイン盤 )、ルチアーノ・パヴァロッティショルティ盤 )、そしてホセ・カレーラスエド・デ・ヴァールト盤 )などといった、若き日の名歌手が「特別出演 」的に起用されてきたことは 皆さまもよくご存知のとおりですが、カイルベルト指揮による この実況録音盤には フリッツ・ヴンダーリヒが起用されていたことに注目です。
 フリッツ・ヴンダーリヒ「不滅の声 オペラアリア集(COCQ‐84633)1959年 ジャケット写真
 不世出のテノール歌手 フリッツ・ヴンダーリヒ
 
 ご存知のように 「歌手 」役は ごく短い出演、ごく僅かな歌唱ですが、ヴンダーリヒのそれは もう期待に応える素晴らしさです。もっといつまでも聴いていたくなってしまうほど、これには感動します。オックス男爵にはテーブルを叩いて欲しくなかったなー !


■ ヴァルツァッキの仕事「Ein Intrigant 」とは 何?
 さて、テレビやラジオが存在しない「ばらの騎士 」時代のこと、有名人のゴシップやスキャンダルといった 皆が興味本位で喜ぶような話題を、貴族らはお金を払って買っていたわけです。さしずめパパラッチのような取材活動とワイドショーのような発信機能とが一体化し、しかも そんな情報を個人宅配するような口コミ屋? といった存在でしょうか。 コナン・ドイル作の 一連のシャーロック・ホームズ のストーリーに顔を出す ラングデル・パイク Langdale Pike なる人物を ご存知でしょうか、 「Ein Intrigant 」 とは、あのイメージにも近いと思います。
 さらに、この「口コミ屋 」なる仕事は、一度依頼人から要請を受ければ、オプショナルに、情報提供以上の危ない仕事もやってのけるという、この原語「Ein Intrigant 」は、現代にはもはや存在しない職業のようなので 訳しようがないのでしょうが、「情報屋 」「陰謀屋 」「いたずら者 」という、どこかピンとこない従来の訳語以外に、もっと適切な言葉は何か無いものでしょうか。 ・・・いっそ「隠密 」とか「忍びの者 」とでも呼んだほうが、その任務の中身的には しっくりくるかも知れぬではござらぬか(・・・二重否定の肯定文でござる )
 ともかく そういった有名人の噂話やゴシップの類は、生きた情報としての「鮮度 」こそが命ですから、生鮮食料品と同様 一切保存がききません。ヴァルツァッキが生業(なりわい )としている仕事は、次々と新しい情報を収集しなければ、古い情報などはその端からどんどん腐っていくわけですから、常に過ぎゆく時間との勝負に追われ続ける、相当厳しい毎日だったことでしょう。
 時間との勝負・・・ 楽劇「ばらの騎士 」のテーマのひとつとして、しばしば「時の流れ 」が指摘されるとおり、ヴァルツァッキのように 時間に逆らって泳いでいるような存在が ドラマの中に登場しているということは、一種「象徴的 」でもあります。しかも、そんな「存在 」がドラマの終幕で果たすことになる役割は、実は 決して小さいものではありませんでした。

■ Ein Intrigant とは「敵(かたき )役 」!
 ・・・そうなんです。
 現代独和辞典で引いてみると、この言葉 Intrigant には 他に 演劇専門用語で「敵(かたき)役 」と言う意味もあることに気づきました。
 また少し脱線してしまうかも知れませんが、楽劇「ばらの騎士 」の台本を、もしホーフマンスタールなどではなく、たとえばダ・ポンテが書いていたとしたら(笑 )、オックス男爵の「あること無いこと 」すべてを暴露してファーニナル家から男爵を引き離す策謀を実行するのは、全部オクタヴィアン自身が仕組んだ、彼「ひとり 」の画策という筋書きに変わっていたに違いありません、それこそフィガロのように。
 でもR.シュトラウスの時代には もう それでは上手くないのです。たとえオクタヴィアンが指示した「悪戯 」が「陰湿な企み 」だったとしても、オクタヴィアン本人が「敵役 」になってしまってはマズイのです。オクタヴィアンの影の部分を本人に代わって背負い、そのイメージを清らかに保つ役割、そんな存在が必要だったのです。しかも オクタヴィアンに代わって「陰謀 」を実行する者の行動する動機も、「オクタヴィアンさまのため 」「義のため 」「愛のため 」などという いわゆる相互信頼関係に成り立たせてはダメです、それでは別のドラマになってしまうからです。
 ヴァルツァッキの行動は、もっとドライな動機に基づいていなければ・・・ それは、やはり「お金 」のためにやる、彼の自由意志に基づいた「仕事 」である - ということにしなければ 都合がよくないでしょう。
 裕福なオクタヴィアンの提示した報酬額に目を眩ませ、ケチなオックス男爵をあっさりと裏切って 第3幕すべての陰謀、すべての画策、すべての大騒ぎの段取りを用意周到に計画するのが「隠密 Ein Intrigant 」ヴァルツァッキでなければなりません。その手腕にこそ、ドラマの中で この男が存在する「意味 」があるからです。
 彼 ― ヴァルツァッキが たったひとりで「敵役 」をすべて背負い、あらゆる「汚物 」を掃除しつつ 舞台から運び去ってくれたからこそ、あたかも雨上がり 万物をすっかり洗い去った後に 初めてその美しい姿を現すことになった風景のように キラキラ輝く終幕の「三重唱 」が、わたしたちの胸に染み込んでくるのではないでしょうか。

■ シュトルツェヴァルツァッキ 」を演じる
 さて、Wikipedeia に目を通していたら とても興味深い記述がありました。それは R.シュトラウスの「イタリア・オペラ嫌い 」 (? )という説で、この見解は 私にとっては初めて耳にするものですが、オモシロイと思いました ≪ 以下、引用します ≫
 
 (・・・このオペラは )ほとんどが重唱曲でアリアは一切なく、テノールは第1幕でかなり揶揄的な扱いで登場するのみであるなど、シュトラウスのイタリアオペラ嫌いがかなり反映されている。また、2人の小悪党がイタリア人として設定され、オクタヴィアンもロフラーノという姓からイタリア系貴族であることが暗示されており、オックスが怒りのあまりイタリア人差別的な言葉をわめき散らした後、2人がオクタヴィアン側に寝返る伏線となっている(基本的には金で転んだのだが)。これらは、ハプスブルク帝国が中東欧や北イタリアへ支配を広げた結果、イタリアをふくむ非ドイツ系貴族の一部がドイツ風の名乗りでオーストリア宮廷に仕えていた当時の状況を反映している。なお、シュトラウスのイタリアオペラ批判は、後年、自ら台本にも加わった最後のオペラ『カプリッチョ』で、より徹底的な形で(擁護的な立場も取り入れる一方、揶揄の描写としては遥かに痛烈に)繰り返されることになる。
( 以上Wiki. より引用 ⇒ 原文は こちら 

 われらが ゲアハルト・シュトルツェが そんな「イタリア人 」を演じるのは、「ネロ帝 」や「枢機卿ノヴァジェリオ 」以来のこと。「ヴァルツァッキ 」なら、シュトルツェのキャラクターとしてもぴったりですから、スタジオ盤を含め、もっと録音の数も多いのではないかなーと思いながら、今回も調べてみましたが、意外や 目下「正規盤では 」このライヴ盤のみのようですね。
 彼は もうこの時期すでに、ヨーロッパ各地の歌劇場を飛び回って客演するような存在となっていましたので そう考えた場合、ヴァルツァッキのような出番も少ない端役としての出演機会などは、たしかに多くはなかったかも知れません。
 このライヴを聴くと、シュトルツェが演じているヴァルツァッキ、第1幕では 黄色いネクタイ( 笑 ・・・はい、想像です )を締めた「押しの強い訪問セールスマン 」タイプ(? )。昨今の消費者には 最も嫌われそうです。
 しかも うれしいことに、ここでの歌唱は未だかつて耳にしたことがないような、シュトルツェのまた新しい「引き出し 」が聴ける録音なのです。早く舞台に出てこないかなーって、登場を待っている時間もわくわくします。
 彼の今までの役柄イメージの中で「ヴァルツァッキ 」キャラに近い人物といえば? うーん、さしずめ「ラインの黄金 」のローゲあたりでしょうか。しかし、ローゲのように陰に籠った暗い詐術を使うのとは異なり、こちらはイタリア人らしく(? )カラリと明るい上、明らかにシュトルツェは ここでは 意識的に舌先での軽い発声まで心掛けており、その辺りまで しっかり演じ分けられていることに気づくと、“ スケルツォ倶楽部 ”発起人は これでまたしても シュトルツェの優れた才能に惚れ直してしまうわけです。
 それにしても シュトルツェのセールス・トーク(第1幕 )は、実に怪しい! イタリア訛りの変てこなドイツ語を模す台詞回しも実に上手く(やっぱ役者だわ、この人 )おかげで全然信用できません(絶賛のつもり )。彼が持ってくるゴシップは 真偽のほども怪しいガセネタであるに決まってます(でも、それがまた良い! )。ネイティヴにドイツ語を理解する聴者だったら、伝わる可笑しさは きっと何倍も大きいのでしょうね。
 第3幕開始前(もしホーフマンスタールのト書きどおりに演出されていれば )、ヴァルツァッキが 悪企みを手伝う配下の手下どもに無言で指示を与えるパントマイムのシーン、さあ一体 シュトルツェは舞台上で どんな風にこれを演じていたのでしょうか。・・・私たち「未来人 」には 観ることは許されていません、うーん 残念!
 また 進行する陰謀の真っ最中、横暴な警官オックス男爵の身元を証明するよう詰問されたシュトルツェヴァルツァッキが、わざとオドオドを装いつつ、しかも この瞬間 オーケストラも まるで「時間が止まったかのように 」休止し、その無伴奏の中で「コノ人、ワタシ、知ラナイ人ネ、男爵ダカ ジャガイモダカ、ワカラナイ、ホント、見タコトモナイ人ヨ 」などと 超早口で、イタリア訛りのドイツ語をドモリつつまくし立てるや、一目散に逃げてゆくという 超難度の歌唱・演技の素晴らしさなどなど、出番こそ少ない(勿体ない! )役ではありますが、シュトルツェが演じることによって いろいろなことを考えさせてくれる、最高の「ヴァルツァッキ 」であることを 聴いて楽しめることは、私 “スケルツォ倶楽部”発起人が 力強く保証いたします。


■ カイルベルトの葬儀で
 上記「ばらの騎士」上演から3年後、1968年の7月20日、バイエルンで名指揮者ヨーゼフ・カイルベルト Joseph Keilberth(1908 ~ 1968 )が心臓発作で急死します。
 Joseph keilberth(バイロイト・アーカイヴより ) 
 カイルベルトは、彼自身が育てたとも言える バンベルク交響楽団 との活動の他、バイロイト、ドレスデン、ザルツブルクなどで偉大な実績を挙げ、1959年からはバイエルン国立歌劇場の音楽総監督でもありましたが、そこで ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ 」を上演中、オケ・ピットの指揮台で倒れたのでした。
 過去 バイロイト祝祭劇場バイエルン国立歌劇場 シュトルツェも苦楽を共にしてきた この名伯楽は、彼が作り上げる音楽が示すように 自身もまた飾り気のない温和な人柄だったと言われています。
 そんなカイルベルトの葬儀には、ヨーロッパ中から縁(ゆかり )の深い音楽家が集まったそうです。そこで号泣しているシュトルツェの 心優しき姿がよほど印象深かったのでしょう、教会で彼の隣の席に座った ひとりの偉大なバリトン歌手は、その様子を 以下のように 彼自身の伝記に書き残しています。
 「ゲルハルト・シュトルツェが、私の隣で抑えようがないという感じで泣いていた。彼は当代超一流のジングシュピール役者であり、ヴェルディの『ファルスタッフ 』の中の とてつもなく滑稽なバルドルフォ、ザルツブルクにおけるカラヤンの『ラインの黄金 』などで、私の共演者を務めていた(以下略 ) 」。*

 ・・・ ここで「当代超一流のジングシュピール役者 」という最高の評価をシュトルツェに与えた“偉大なバリトン歌手 ”とは、前回「ヴォツェック でも共演した、かのディートリヒ・フィッシャー=ディースカウです。彼がそこで書き残した言葉の 異例の重みも、ぜひ感じて頂きたいです。
 Dietrich Fischer-Dieskau
 * 文中の引用は、D.フィッシャー=ディースカウ自伝「追憶 」 實吉晴夫・田中栄一・五十嵐蕗子=共訳(メタモル出版 )より

次回(28)グノー「聖セシリアのための荘厳ミサ」で、ソリストを務める  に続く・・・


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