本記事は 8月 3日「 人気記事ランキング クラシック音楽鑑賞 」で 第1位 となりました。
皆さまのおかげです、これからも 何卒よろしくお願い申し上げます。


スケルツォ倶楽部
名優ゲアハルト・シュトルツェの演技を聴く
 オルフ「オイディプス王」(クーベリック)D.G.ゲルハルト・シュトルツェ(最小サイズの肖像写真)  目次は こちら

(26)ベルク「ヴォツェック 」の 大尉 を演じる

■ 1965年 「大尉 」~ ベルク : 歌劇「ヴォツェック
ヴォツェック(ベーム) 
ベルク : 楽劇「ヴォツェック 」
カール・ベーム指揮
ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団・合唱団
  ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(ヴォツェック )、
  イヴリン・リアー(マリー )、
  ゲアハルト・シュトルツェ(大尉 )、
  フリッツ・ヴンダーリヒ(アンドレス )、
  カール・クリスティアン・コーン(医者 )、
  ヘルムート・メルヒェルト(鼓手長 )、
  クルト・ベーメ、ローベルト・コフマン(若い職人 )、
  マーティン・ヴァンティン(白痴 )、他
録音:1965年3月、4月 ベルリン
ドイツ・グラモフォン(ポリグラムPOCG-2671~2 )

 ここでゲアハルト(ゲルハルト )・シュトルツェが演じている「大尉 」という役は、ワーグナー「ジークフリート」における「ミーメ 」と並んで、私 “スケルツォ倶楽部 ”発起人 が、この偉大な性格テノールの凄さに 初めて開眼させられた時の 個人的にも記念すべき名盤のひとつです。

 このオペラは、1821年にライプツィヒで実際に起きた痴情のもつれによる ありふれた(と思われた )殺人事件に取材した原作が その基礎になっています。 
 その事件の犯人ヨハン・クリスティアン・ヴォイツェック Johann Christian Woyzeck(1780~1824 )が、生来心臓の著しい動悸に悩み、しばしば幻覚・幻聴を体験していたことなどから 精神異常者であった疑いが持たれ、当時としてはめずらしく精神鑑定が行なわれましたが、結局 宮廷医師アウグスト・クラールスらによる鑑定の結果、彼には犯罪責任を問えるものとして 事件の翌年に 死刑判決が下され、その2年後(1824年 )に死刑が執行されました。これはライプツィヒで行われた最後の公開処刑でもあったそうで、その意味でも歴史的な事件だったそうです。

Woyzeck.jpg Georg Buuml;chner Alban Maria Johannes Berg
(写真左から ) モデルとなった実在のヴォイツェック
原作者ゲオルク・ビュヒナー、作曲者アルバン・ベルク


 そう言えば、ゲオルク・ビュヒナー Georg Büchner (1813~1837 )が創作した戯曲「ヴォイツェック 」を原作とし、アルバン・ベルク Alban Berg(1885~1935 )自身が台本も書き直した上 この革新的なオペラ作品に仕上げた年は、その基となった殺人事件から ちょうどぴったり100年後の1921年だった ということは - 偶然でしょうが - 興味深いトリヴィア情報です。
 オペラの初演は 1925年、ベルリン国立歌劇場でした。
 カルロス・クライバーの実父でもある、戦前の偉大な指揮者エーリッヒ・クライバーが なんと137回ものリハーサルの末、実演に臨んだという有名な史実は、当時この作品が それほどまでに演奏困難であったことを今に伝えています。しかし、その結果 オペラは称賛の嵐によって受け容れられ、異才アルバン・ベルクの名は 一夜にしてヨーロッパ全土に響き渡ったのでした。
 初演直後から「ヴォツェック 」を指揮し続け、作曲者ベルク自身からも親しく指導を受けてきた若きカール・ベームは、戦後 メトロポリタンを含む 世界中のオペラハウスで この作品を上演し続け、いずれも圧倒的な成功を収めてきました。
カール・ベーム
 このD.G.盤の歴史的録音は、そんなベームベルク作品に対する熱意、経験、自信などが結実した文化遺産とさえ言い得る名盤です。前衛音楽特有の無機質さをまったく感じさせない別格の逸品、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ D.F=D )、リアー、シュトルツェ、ヴンダーリヒ をはじめとする、ここで起用された主要歌手たちの豪華さも 後世のリスナーがファースト・チョイスとするに足る 価値ある根拠となっています。

■ 個人的な思い出 1
 私 “スケルツォ倶楽部”発起人が、初めてベルクの「ヴォツェック 」に触れたのは、私立中学校に入って最初の冬休みのことだったと記憶しています。
Pierre Boulez_CBS Columbia ピエール・ブーレーズ指揮 クリーヴランド管弦楽団 ピエール・ブレーズ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック
 その頃、ピエール・ブーレーズ - 当時CBS-SONYのレーベルでは「ブレーズ 」と表記されていたことを思い出します - の指揮するストラヴィンスキー「春の祭典(クリーヴランド管弦楽団 ) 」 バルトーク「オーケストラのための協奏曲(ニューヨーク・フィル ) 」 などの素晴らしさに ハマリ込んでいた勢いで「よし、次は十二音オペラなるものでも聴いてみるか 」などと、怖いもの知らずにも パリ・オペラ座の「ヴォツェック 」セットを お年玉つぎ込んで購入したのでした。
ヴォツェック ブレーズ盤
 ・・・今 振り返ると、このレコードから聴こえるオーケストラの どこか不自然で奇妙な音響(録音のせいも大きかったことは 後で判るようになりましたが、それは後述 )を、この時はどうしても生理的に受け入れることが出来ぬまま、それでもひたすら我慢して聴いていましたが、とうとうマリーの死の絶叫の強烈なリアリティと、これに続くオーケストラによるあまりにも壮大なクレッシェンドの恐怖に耐えきれなくなり、結局 この時には 音楽とドラマの内側にまで入り込むことは許されませんでした。
 ベルク先生からは「ふふん - 坊や、君にはまだ早い、もっと勉強してからおいで 」と、とても高所から言われたような気がしたものです・・・。
 それから4年後、次に 私が出会ったレコード(普通のリスナーなら 順序は逆だったのでしょうが )、それが このベーム盤だったのです。緊張しながら針を降ろすと・・・あれ? 一体どうしたことでしょう、(ブレーズ盤と比較すると )とても同じ音楽とは思えぬ「古典的 」でわかりやすい演奏として 耳に流れ込んでくるではありませんか。聴き進むうちに、ああ わかる・・・わかる・・・ って、そんな 染(し )みてくるような感覚、お察し頂けるでしょうか? 

■ 個人的な思い出 2
 ・・・ここでまた さらに脱線ばなし
 さて、そんな 「わかる 」こととは 一体どういうことなのでしょう。
- イプセンなど北欧演劇研究の国内第一人者 毛利 三彌(みつや )先生から、「対象とする作品に接した時、もし君たちが それを“おもしろい”と思えたとしたら、その時 すでに君たちは その作品が 半ば“わかった”ということなのだよ 」というお言葉を かつて頂きました。
成城大学キャンパス・マップ 毛利 三彌 教授.
(左 )成城大学キャンパス・マップ 
(右 )当時の 毛利 三彌 教授
 ( まだ お若い! )
 ・・・それは、 “スケルツォ倶楽部” 発起人の 大学時代、ある夏の日の講義での おそらく何気ない毛利先生からの一言でした。学生だった私が 将来 出会うことになるであろう まだ触れる前の 膨大な量の芸術作品たちの山脈に臨んで、まだ殆ど最初の一歩を踏み出していた頃のことでした。毛利先生にかけて頂いた この お言葉に 当時 とても勇気づけられたのでした(勝手に自分で都合よく解釈しただけかも知れませんが・・・ ) それでも、そして「それゆえ 」今もなお 忘れ難き言葉として、私の心の深い場所で 今も脈打っているのです。
 もちろん 芸術作品に接するスタートは たとえ同じ場所からであったとしても、鑑賞しようとする芸術対象への理解の深浅には 個人差もあります。その後は 鑑賞者側の意識次第でしょうが・・・。

ベーム盤「ヴォツェック 」で “シュトルツェ大尉”を聴く
  「ヴォツェック 」冒頭、転げながらゆっくりころがってくるような 例の「田園 」交響曲冒頭を連想させられる動機から、ベーム盤は どこか可愛いらしい とさえ感じてしまいます。
 ここでの ベームによる管弦楽の有機的な鳴らし方は、まるでR.シュトラウスの演奏のようです。良い悪いではなく、ブレーズ盤の無機的で即物的な(それは、まるで個々の楽器に意思があって、皆が好き勝手にあちこちで音を鳴らしているような )音響とは明らかに異質。
 歌手の人選も絶妙で、たとえばアンドレス役のヴンダーリヒの無垢で善良な若々しさ、カール・クリスティアン・コーンの「医師 」の滑稽なほどの怖さ、マリーを演じるイヴリン・リアーの真摯な歌唱にも襟を正しました。リアーマリーは、根がとても真面目な女性(ひと )に聞こえるので、なぜ鼓手長にあれほど簡単に身を任せてしまうのか、聴けば聴くほど考え込んでしまいましたが、しかし 中でもタイトル・ロールのF=ディースカウの演技には、心底惹きつけられました。高潔で友情に篤いロドリーゴヴォルフラム、一途で誠実なマンドリカ、正義と威厳のドン・フェルナンドなどを演じてきたD.F=Dが、まさか情婦を殺害する下層階級の兵卒役とは、あまりにも今までのイメージと違い過ぎる・・・ と思いつつ、その歌唱の上手さ、わかりやすさには 最後まで引き込まれてしまう 驚くほど強い磁力がありました。
 しかし、誰よりもここで「大尉 」を演じているゲアハルト・シュトルツェの歌唱ほど個性的な存在は無かったでしょう。もともと「大尉」を演じる歌手には、喜怒哀楽の激しい特異な人格を演じ分ける難しさが求められますが、シュトルツェが演じる大尉の、まるでチャンネルを切り替えるように音楽に合わせて 「笑う 」、「怖がる 」、「怒りだす 」、「偉ぶる 」、「はしゃぐ 」、「説教する 」、「得意がる 」、「泣く 」と、次々に繰り出してみせる その歌唱技能の高さ、「この歌手は 本物の役者のようだ・・・ 」と、初めて針を降ろした時の驚愕を 私は決して忘れないでしょう。
Wozzeck、Hauptmanを演じるStolze
大尉を演じるシュトルツェ 
 笑い過ぎて咳き込み、激しくむせながらも しかし それがしっかりと「音楽になっている 」という凄さ。「医者 」に健康を脅かされ、目に涙を一杯溜めながら 脳梗塞で急死した自分自身の葬儀を想像しながら、めそめそ泣いてみせる場面のおかしな、情けなさ。沼で溺れている男(ヴォツェック )を卑怯にも見捨てて「さあ早く、立ち去りましょう 」と「医者 」を促す時の台詞 - それは奇しくも「サロメ 」の幕切れ近く ヘローディアスに退場を促す時のヘロデの台詞と同様でありながら、全く異なるシチュエーションで使い分ける巧みな表情、それは見事でした。
 いえ、これらに限らず、「ヴォツェック 」におけるシュトルツェの全歌唱、そこに垣間見えるひとつひとつの局面に聴ける「大尉 」の役作り、表情、演技、その素晴らしさは、すべてが 当時の私にとって「衝撃的 」だった と言っても過言ではありませんでした。

 主にシュトルツェの「演技 」に惹かれて、1か月ほど ほぼ毎日 高校から帰ってくると(休日は 朝から )取り憑かれたように 繰り返しベーム盤を聴いていましたが、そんなある日、ふとブレーズ盤のボックスを4年前から封印して段ボール箱の中に仕舞い込んでいたことも思い出しました。
 これを引っ張り出してホコリを掃い、おそるおそる針を降ろしてみると・・・何と、ブレーズの「ヴォツェック 」が 今度は よくわかるではありませんか。何と、オモシロイ音ではありませんか。4年前の自分は 一体 何を聴いていたのか、何をコワがっていたのか - 。
・・・尤も、私自身の愚耳も4年間も経つうち 大量の種々雑多な音楽と触れ合うことで、知らず知らず鍛えられていたものかもしれません。ベルク先生には漸く聴くことを許されたのかも・・・と、そんな気がしたものです。
 ブレーズ盤を過剰な「鋭 」とすると、温もりさえ感じさせられるようなベーム盤は 適度に「鈍 」(決して悪い意味ではありませんが )、そんな印象です。けれど 今にして思えば、今度は 逆に ブレーズ盤を「先に聴いていて良かった 」とさえ感じられるようになりました。複数の異なる演奏の録音を相対的に鑑賞する(聴き比べる )ということが、かくも有効にして楽しいことであるのかと、この時「初めて 」実感したものです。
 それ以来、私 “スケルツォ倶楽部”発起人は、「音楽鑑賞 」と呼ばれる 決して終着点の見えない 遥かに長い「クラヲタ道 」という旅を (皆さまと一緒に? )歩き始めたのでした。


以下 おまけ

■ 「大尉」を、他の名盤で聴き比べてみると

  名盤・競合盤も数多い楽劇の傑作「ヴォツェック 」の録音から、以下、私 “ スケルツォ倶楽部 ”発起人の手元にあるディスクの中から、同役を演じた他の歌手の印象などを語ることによって、逆に シュトルツェの演じた「大尉 」の優れた存在感を 浮き上がらせることも出来るのではないか - と考えたものです。

ヴォツック ミトロプーロス盤
 大尉 : ジョゼフ・モルディーノ
 ディミトリ・ミトロプーロス / ニューヨーク・フィル
 (1951年4月12~15日ライヴ録音、ニューヨーク、カーネギー・ホール、SONY MH2K-62759)海外盤

 これは、「ヴォツェック 」の世界初録音として知られる名盤で、完成度も高いですね。
 「ヴォツェック 」が初演された1925年当時 ベルリン国立歌劇場の副指揮者で、エーリヒ・クライバーの助手を(・・・ということは、すなはち あの137回のリハーサルをキャスト、スタッフらと一緒に )務めていたのが、当時29歳だった 若き日のディミトリ・ミトロプーロスでした。この縁によって「ヴォツェック 」のスペシャリストと見なされた実力者ミトロプーロスは、戦後この傑作のアメリカ初演の指揮台に立つことになったのでした。
 ここでの「大尉 ジョゼフ・モルディーノは、軽いリリックな声質で、この声を聴く限り ヘルデン・テノールとは言えないでしょう。個性的なたいへん魅力的な声で、表現も巧みです。裏声になる部分など 思いきり金切り声を上げるくせに その表情は柔質で「大尉 」に必要な横柄な表情が殆んど感じられず、なんだか「優しい大尉 」といった感じです。 ・・・優しい大尉? あり得ません。ヴォツェックを嘲笑するところも本気であざ笑っているようには聴こえませんし、咳き込んでムセる演技にも正直 不満が残ります。

ヴォツェック ホルライザー(日本初演 )盤
 大尉 : ヘルムート・メルヒェルト
 ハインリヒ・ホルライザー / ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団
 (1963年11月6日ライヴ録音、日生劇場、キャニオンPCCL-00061 )国内盤

 記念すべき本邦初演の貴重な実況録音盤です。
 ここでの大尉は、この2年後のベーム盤では「鼓手長 」を務めることになるヘルムート・メルヒェルトでした。
 そう言えば、このオーケストラもD.G.のベーム盤と同じベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団です。メルヒェルトは戦後ドイツのヘルデン・テノールに多く聞かれる(それは 私の偏見もありますが? )喉を狭く絞るような高血圧な発声法、それでいて太い声質で、横柄な役柄の性格がよく出ています。しかしこの歌手は一本調子で、然るべき個所でも裏声を披露せず、笑うべき個所でも本気で笑おうとせず、咳き込んで苦しんでみせることもせず、舞台上で「演技者 」になりきっていない詰めの甘さが感じられ、私には 大いに不満です。

ヴォツェック ブレーズ盤 Wozzeck_Boulez_CBS-Sony.jpg
 大尉 : フリッツ・ウール
 ピエール・ブレーズ / パリ・オペラ座管弦楽団
 (1966年1月~2月録音、パリ・ミュチュアリテ・ホールSONY 58DC-333~334 )国内盤

 前述のとおり、私にとって 最初に出会った「ヴォツェック 」の音盤でした。
 たいへん個性的な録音に注目です。他のディスクと比べても、同じ楽器編成である筈なのに オーケストラの音は異なって聴こえ(るような気がし )ます。特に、弦楽器独奏者による撥弦音などの響きをマイクが楽器に近寄ってリアルに捕えた録音は、ほぼ同じ時期に、やはりパリで録音されたブレーズ作曲の室内楽「ル・マルトー・サン・メートル(1965年CBS ) 」などとも似た、透徹したかのような独特の風通しのよい聴感覚があります。第2幕の第3場から第4場への「場面転換の音楽 」が始まる瞬間の 衝撃の弦の音(尤も、ここは単にミキサー担当者が音量を大きくしただけかもしれませんが )など、特筆すべき個所も枚挙に暇がありません。歌手の録音方法も特殊らしく、これもまたマイクにたいへん近くで録られており、オーケストラから歌唱パートだけ浮き上がって聞こえてくるような仕上がりです。
 これも憶測ですが、ソロ歌手はオーケストラとは隔離された部屋でヘッドフォンでモニタリングを受けながら歌い、スタジオのトラック・ダウン時に、録音された声にミキシング操作で音量やパン・バランスなどが加えられたものではないでしょうか、ポピュラー音楽のスタジオ作業などでは当時から普通の技法でしたが。そう考えてしまうほど、このレコードは最初聴いた時には相当違和感がありましたが、数年を経て後(のち)も繰り返し聴いているうち、その各楽器も歌手の声も明晰に聴こえてくる面白さに病みつきになり、高校生の頃は暫くこのレコードばかりヘッドフォンで聴いていた思い出があります。
 このディスクで大尉を歌うのは、ヘルデン・テノールのフリッツ・ウールです。彼は、当時34~35歳くらいの筈ですが、意図的かどうかはわかりませんが、その声は老人のようです。太く渋く鈍重で、「大尉 」らしい高飛車な表情は出ていますが、高音が求められている個所でも殆んどファルセットを用いません。ヴォツェックを嘲笑する時の笑い声は自然であるとも言えますが、逆に「嘲(あざ )笑う」感じが薄いのは「大尉 」という性格表現上、マイナス評価です。
 一方 ここで「医者 」を演じているカール・デンヒの 軽量級のクレイジー具合は なかなか気持ちよく、その捨て身の演技の素晴らしさには 大きな拍手を贈りたいです。

GoldenMelodram(G.M.5.0074-2CD)
 大尉 : ゲオルク・パスクーダ
 カルロス・クライバー / バイエルン国立歌劇場管弦楽団
 (1970年11月27日 ライヴ録音、ゴールデン・メロドラム GM.5.0074-2CD )海外盤

☆ こちら については スケルツォ倶楽部” ⇒ 過去の記事 をご参照ください

ヴォツェック ケーゲル盤
 大尉 : ライナー・ゴールドベルク
 ヘルベルト・ケーゲル / ライプツィヒ放送交響楽団
 (1973年4月9日コンサート形式でのライヴ録音、
  ライプツィヒ・コングレス・ハレ、ベルリン・クラシック 002068-2BC )海外盤

 ケーゲルの強烈な演奏です。
 「大尉ライナー・ゴールドベルクの鋭い声質も、細く突き刺さるようで、キャラクター・テノールとしての個性的な持ち味は十分に合格点。個人的にもかなり好きです。
 音を長く伸ばす時の 極めて振幅の大きなヴィブラートも独特ですが、少し掛け過ぎている気がしないでもありません。しかしオペラ冒頭の 髭剃りの場面で「風の音がねずみのようだ! 」という個所で 裏声に掛ける捨て身のヴィブラートは物凄いうねりで、強く印象に残ります。

ヴォツェック アバド(D.G. )盤
 大尉 : ハインツ・ツェドニク
 クラウディオ・アバド / ウィーン・フィル
 (1987年6月ライヴ録音、ウィーン国立歌劇場、
 ドイツ・グラモフォン/ユニヴァーサル・クラシックスUCCG-3267~8 )国内盤

 自然で自発的な演奏と素晴らしい録音とで、やはり注目に値します。
 ここで「大尉 」を演じる名手ハインツ・ツェドニクは、バイロイトでもシュトルツェ以後の歴代ミーメとしては最も有名なキャラクター・テノールのひとりではなかったでしょうか。「サロメ(メータ / ベルリン・フィル Sony盤 ) 」の へロデは、大きな期待に反して (私にとっては )今ひとつでしたが、「大尉 」では合格点を差し上げたいです。甲高い軽量級な声質、表情を一瞬のうちに切り替えて聴かせる技巧にも優れています。細かいことですが、髭を剃らせるヴォツェックのことを嘲笑する声が「ハ・ハ・ハ 」でなく、なぜか「ヘ・ヘ・ヘ 」と聴こえるのも 変なツェドニクのオモシロイ特徴。
 他にも意味不明な個所で突然笑い出す不気味さや、激怒した時の素っ頓狂なファルセットも強烈、その個性的な声の持つ鋭い響きは、シュトルツェの「大尉 」解釈に、さらに新しく付け加える サムシン’ エルス があります。

ヴォツェック バレンボイム盤
 大尉 : グレアム(グラハム )・クラーク
 ダニエル・バレンボイム / ベルリン・シュターツカペレ 他
 (1994年 4月、ライヴ録音 WPCS-12081~82 )国内盤

 「ライヴ録音 」と銘打たれていても 臨場感に乏しいレコーディングも多い昨今、このバレンボイム盤は たいへん優れた仕上りだと思います。指揮者ダニエル・バレンボイムを正当に評価する文章を目にすることは少ないですが、個人的には、これは 彼のオペラ指揮者としての手際の良さ、舞台(=ドラマ )を盛り上げる才能が発揮された名盤だと思います。グルントヘーバー、マイヤーら、主要な歌手陣も素晴らしいです。
 当代最高の「ローゲ 」「ミーメ 」歌手、グレアム・クラークが「大尉 」役として卓越した名演技を聴かせます。オペラ開幕冒頭から ヴォツェックに絡む異常性格ぶりが大爆発。その極めて特異な声は シュトルツェD.G.スタジオ盤で達成した偉大な表現を さらにもう一歩深めた、と言い得る仕事です。性格俳優として、その個性的な声質も、十分な声量も、相手を嘲笑する毒気も、そのすべてが理想的です。また 舞台上で積極的に動くことによって 所々オフ・マイクになってしまうのも、この状況では むしろ良い印象に作用し、臨場感を高めているのに貢献しています。


次回 (27)「ばらの騎士」、ヴァルツァッキを演じる に続く・・・

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