本記事は 7月29日「 人気記事ランキング クラシック音楽鑑賞 」で 第1位 となりました。
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スケルツォ倶楽部 Club Scherzo 
「 長寿の大作曲家たち 」

サン=サーンス シベリウス ストラヴィンスキー ロドリーゴ

スケルツォ倶楽部 への お便り往信

“スケルツォ倶楽部” 第1号会員“ブルネロ(仮 ) ”先生 からのコメント
「発起人さんが前回のブログ ⇒ こちら で話題にされた、サン=サーンスが 最晩年に作曲した 木管ソナタ3曲は、本当に どれも素晴らしいですね。たとえばブラームスの諦観やフォーレの純化とは また違った年のとり方をしたんだなあと、しみじみ思います 」


“スケルツォ倶楽部”発起人( 妻のほう )
ブルネロ(仮)先生、お便り どうもありがとうございます。ブラームスの『諦観 』、フォーレの『純化 』って、それぞれの晩年の作風にぴったりの表現ですね。それでは、『また違った年の取り方 』をしたサン=サーンスの場合だと、どんな表現が適切かしら。 『老練? 』、『晦渋? 』 ・・・ちょっと違うかな、『保守 』じゃヒドイかな? さすがに『酸化 』じゃ かわいそうだしw 」

私“スケルツォ倶楽部”発起人(夫 ) 
「 ・・・『浄化 』 っていうのは -  どう? 」

ブルネロ(仮 ) ”先生 からのコメント ご返信
「   > 『浄化 』 - いいですねえ。サン=サーンスの場合は、フォーレが語法を変えてまで より音楽の本質を研ぎ澄まし 究極を目指していったのに対し、語法は大きくは変わってないと思います。これはブラームスも同じですが。 明晰な頭脳を持っていたにも関わらず若い頃にあった雑なものが、浄われていった、という解釈かと思いますが、確かにそんな感じがします。簡潔な音楽が、よりさらに簡潔になったというか 」
「どう年をとるかは、考える価値のあるテーマですよね。すると ショスタコーヴィチの後期は、ブラームスの諦念とサン=サーンスの浄化のミックスでしょうか。シベリウスフォーレ型で、その元祖は一気に聖人の域に達したベートーヴェンでしょうが。 尤も 以上挙げた人々は、ある程度『老化する前 』から すでにキャリアを築いていた方たちであります。『これから化ける 』可能性に賭けるしかない者としては、中年を越えてから別人のようになった ブルックナーフランク、あるいは ヤナーチェクにあやかりたいと思う次第ですw 」


  「 さて、『どう年を取るか 』・・・今夜も 深味のあるコメントに、考えさせられるなあ 」

  「ところで クラシックの音楽家って、モーちゃんシューベルトみたいに、若くして亡くなっちゃったイメージもあるけど、他にも長生きした有名な作曲家っているのかしら 」

  「もちろん。けっこう大勢いるんだぞおー 」

  「教えて頂戴。 」

  「よしよし。じゃ 今回は、わが国の介護保険制度における 第1号被保険者の加入対象年齢 - 65歳以上まで活躍していた、古典派以降の作曲家たちに スポットを当ててみようかなー 」

妻  「・・・65歳? と言うことは、惜しくもこれに1年足りず 64歳で亡くなった 『諦観 』のブラームスグリーク、サラサーテ、リムスキー・コルサコフ などは 外すというわけね 」

  「え・・・ 」

  「ほら、始める。 」

・・・ええと、気を取り直し。
以下は、私 “スケルツォ倶楽部”発起人(夫 )の文章になります。

■ 長寿の大作曲家たち

 ハイドン
 フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732 – 1809 )が その最後の作品(未完の弦楽四重奏曲第83番 ニ短調 Hob.Ⅲ-83 )で筆を折ったのは 71歳。でも 亡くなったのは 77歳、その間には めぼしい作品は 書かれなかったようですね。

 ロッシーニ
 ジョアキーノ・ロッシーニ(1792 – 1868 )は、ナント 76歳まで生きていました。現存する最後の作品は、71歳のときの「小ミサ・ソレムニス 」。 ちなみに 彼が 歌劇「ウィリアム・テル 」を最後に オペラから現役引退してプロのグルメに転向(? )しちゃったのは、何と まだ 37歳の時! もったいない・・・

 ベルリオーズ
 エクトル・ベルリオーズ(1803 – 1869 )が 最後の歌劇「ベアトリスとベネディクト 」を書いたのは 59歳。それ以降、有名な作品はなく、66歳で亡くなっていますが、その亡くなる直前まで クープラン作品の編曲などを手掛けていたとか。そそられます・・・。

 ワーグナー
 リヒャルト・ワーグナー(1813-1883 )が 舞台神聖祭典劇「パルジファル 」を完成させたのは 69歳、その翌年 ヴェニスに死す。70歳・・・大往生ではないでしょうか。

 リスト
 今年(2011年 )が 生誕200周年のフランツ・リスト(1811-1886 )も高齢で 75歳まで生きていました。その晩年には、「灰色の雲 」、「悲しみのゴンドラ 」、「ワーグナーの墓に 」、「調性のないバガテル 」といった 一連の不思議な曲を書き続けます。で、亡くなる年には「チャールダーシュ第2番 (発起人、未聴 ) 」 という曲を書いており - これが最後の曲らしいです。

 フランク
 セザール・フランク(1822-1890 )が亡くなったのが 68歳って、意外に早かったんですね。その死の(前 )年に書かれたのが、渋くて長大な最後の作品 弦楽四重奏曲ニ長調でした。

 ブルックナー
 アントン・ブルックナー( 1824-1896 )が 最高傑作の交響曲第9番ニ短調を 惜しくも未完のまま残して亡くなったのは もう皆さん ご存知のとおり 72歳。あー、もう少し頑張って欲しかったです( でも 9番は あれで良かったような気も・・・ 心中複雑 )。

 ヨハン・シュトラウス 2世
 ヨハン・シュトラウス二世(1825-1899 )は 74歳まで生きましたが、64歳の時に書かれた「皇帝円舞曲 」以後で目ぼしい作品といえば「新ピッツィカート・ポルカ 」くらいでしょうか、しかし 晩年に力を注いだのは ご存知のとおり舞台作品でした、喜歌劇「ウィーン気質 」が 最後まで手がけていたオペレッタでした。また 最後のワルツは、おそらく死の前年に書かれた「ライムントの思い出 」という曲。

 ヴェルディ
 ジュゼッペ・ヴェルディ(1813-1901 )は、高齢になるほど天井知らずに その作品の質を上げ、傑作を書いています。61歳で「レクィエム」、74歳で 最高傑作「オテロ 」、 80歳で「ファルスタッフ 」、そして 88歳で没したのでした。

 サン=サーンス
 「浄化 」のサン・サーンス(1835-1921 )が 木管のための傑作ソナタ3曲 を書いたのは、前回の文章のとおり 86歳。さまざまな夾雑物が流れ落ち、調和の取れた その品質の高さには、私も調べながら かなり驚きました。スゴイですよね。

 フォーレ
 「純化 」のフォーレ (1845-1924 )が あの美しくエレガントな弦楽四重奏曲ホ短調を書いたのは 79歳、その年に亡くなっています。

 プッチーニ
 プッチーニ(1858-1924 )が 66歳で亡くなる直前まで渾身の力を注いでいたのが 歌劇「トゥーランドット」。 あと僅かだったのに、未完に終わってしまって 本当に惜しいですね。

 ヤナーチェク
 興味深いのが ヤナーチェク(1854 – 1928 )です。彼は 74歳で亡くなるんですが、傑作として現代に残されている曲の多くが、殆ど 晩年に集中しています。まさに 晩年に「化けた 」印象です。69歳のとき「弦楽四重奏曲“クロイツェル・ソナタ” 」、 70歳のとき「歌劇“利口な女狐” 」、72歳のときには 「グラゴルミサ 」 そして「シンフォニエッタ 」という2大名曲を物します。
 もし ヤナーチェクがロマン派前期の楽聖たちのような短い寿命しか与えられていなかったら、音楽史にその名が残ることは あり得なかったのではないでしょうか。

 エルガー
 エルガー(1857-1934 )は 77歳で亡くなってしまったため、未完に終わった交響曲第3番アンソニー・ペインが 残されたスケッチを元に 補筆構成した情報は、以前ご紹介した記事 ⇒ こちら のとおり。

 ラフマニノフ
 セルゲイ・ラフマニノフ(1873-1943 )は 70歳で亡くなる年に、円熟の「交響的舞曲 」を書いています。 意外に高齢だったんだなー、というのは 主観的な印象です。

 リヒャルト・シュトラウス
 リヒャルト・シュトラウス(1864-1949 )は 戦後 間もなく 80歳の時の「メタモルフォーゼン 」は大傑作。さらにその 2年後には「クラリネットとファゴットのための二重小協奏曲 」を残し、それから 3年後 85歳で亡くなりました。

 シベリウス
 ジャン・シベリウス( 1865-1957 )の 92歳とは、古今の著名な作曲家の中では最高齢ではないでしょうか(昭和32年ごろまで生きていたということか )。しかし残っている最後の名曲は、61歳の時の「タピオラ 」。途中まで書いて結局放棄したと言われる第8交響曲のスコア、もったいない どうして燃やしちゃったんでしょうね・・・。
 この話題は また いつか(? ) ⇒ こちら! ( シベリウス 幻の「交響曲第8番 」を聴く )


 RVW.jpg
 RVWこと ヴォーン・ウィリアムズ(1872-1958 )は 85歳で亡くなっています。第9交響曲が 亡くなる年に初演された 最後の作品でした。

 クライスラー
 フリッツ・クライスラー(1875-1962 )、意外なことに 87歳という高齢。彼は 世界大戦中にヨーロッパを脱しアメリカ国籍を取得し、1950年には健康上の理由で 惜しくも演奏活動から引退しますが、それから亡くなるまでの10年間以上に 過去の誰かのスタイルによる(? )自作を残したかどうかは、確認出来ませんでした。

 ストラヴィンスキー
 イーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971 )は、シベリウスに次ぐ長命を維持しました - 89歳。 でも、現代のコンサートホールのプログラムに残っている最後の作品は、84歳の時の「レクイエム・カンティクルス」でしょうか。

 ショスタコーヴィチ
 ドミトリー・ショスタコーヴィチ(1906-1975 )は 意外に若く、69歳でした。最後の作品として知られているのは、「ヴィオラ・ソナタ 作品147 」。これを最終的に完成させたのが、何と 亡くなる4日前だったそうですよ。

 メシアン
 オリヴィエ・メシアン(1908 – 1992 ) 83歳でした、1983年に完成した 神秘的な歌劇「アッシジの聖フランチェスコ 」が晩年の傑作ですが、90年代にも数曲残しているそうです(それらは未聴 )。

 シベリウス、ストラヴィンスキー、クライスラー、そしてサン=サーンスあたりが 最高齢なのかなー と思っていたら、上には 上がいました。
 ロドリーゴ
 「アランフェス協奏曲 」が突出して有名なホアキン・ロドリーゴ(1902-1999 )は 超高齢 - 97歳、かなり最近まで存命だったということになります。1996年、若い頃に作曲したピアノ協奏曲(英雄的協奏曲 )を改編したコンチェルトを残しています。マドリッドにて没、アランフェスの墓地に眠っているそうです。


 ■ そこへ・・・
 木曽のあばら屋 さま からも 新しい情報が 到着!
 ロドリーゴの最長記録に挑戦する(? )もうひとりの作曲家が。
 それは・・・ コメント欄を ご覧ください!
 木曽のあばら屋
( ↑ 木曽のあばら屋 さま、適宜 的を射たお便り、いつも感謝です! )


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コメント

お便り ありがとうございます。

通りすがりの会員さま、良コメント どうもありがとうございます !
「飛行機に乗って自殺 Suicide in an Airplane 」で有名な 未来派の前衛作曲家で ピアニストとしても知られる レオ・オーンスタイン(1893 – 2002 )、な 何と108歳( ! )という長寿だったんですね。ロドリーゴ(97歳 )をも超える高齢だったとは・・・ ムムッ 全然知りませんでした。

あ、そういえば 「木曾のあばら屋 」さまが応援なさっていた フランスのアンリ・デュティユー Henri Dutilleux(1916 – 2013 )、あれから2年後に 97歳で亡くなってしまいましたね、とても残念でした。最後の大作は 2007年に サイトウ・キネン・フェスティヴァルで小澤征爾指揮で世界初演されて話題になった「時間 大時計 Le Temps L'horloge 」。

URL | “スケルツォ倶楽部”発起人 ID:-

こんにちは。いつの楽しく記事を読ませていただいております。
偶然この記事にたどり着いたので、ここに是非並べて欲しい作曲家が一人。
アメリカの作曲家、レオ•オーンスタイン(満108歳没)を挙げさせていただきます。

URL | 通りすがりの会員さま ID:-

ロドリーゴを越えるのは・・・?

こんにちは。
リヒャルト・シュトラウスの晩年の作品が大好きな木曽のあばら屋です。
ロドリーゴ、長生きですね!
彼の記録を抜くかもしれないのが、フランスの作曲家、アンリ・デュティユー。
1916年生まれですから、現在95歳。
ググってみたところ、まだご存命のようです。
なるかロドリーゴ越え!! がんばれデュティユー!

デュティユーの作品では、二つの交響曲、ヴァイオリン協奏曲、チェロ協奏曲、ピアノ・ソナタなどが好きです。

URL | 木曽のあばら屋 ID:GHYvW2h6[ 編集 ]

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