本記事は 6月27日「 人気記事ランキング クラシック音楽鑑賞 」で 第1位 となりました。
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スケルツォ倶楽部 
「モーツァルト 最期の年 」 
モーツァルト 最期の年     ▶ もくじは こちら


(5)ジュスマイヤー

「この音楽は、何と素晴らしい祈りであろう・・・ 」
スコアの最後のページまで ゆっくりと目を通していたカペルマイスター レオポルド・ホフマン師は やがてW.A.の作品「キリエ 」の楽譜を閉じると 顔を上げ、讃嘆しました。
「お前の腕前は一流だ。大規模な式典にも十分通用する、これほどの教会音楽を作れる技術は わしの知る限り 今のウィーンでは他に - ヨーゼフ・ハイドンくらいしか思い当たらぬ・・・ 」
「カペルマイスター 」
長身の若者ジュスマイヤーが 再び 脇から口をはさみました。
「ハイドン師なら、最近 興行主ザロモンに招聘されて ロンドンへ連れて行かれたきりです。今、ウィーンにはいませんよ 」
・・・そのとおりだ、先月12月にロンドンへ発つ“パパ・ハイドン”を ぼく自身 見送ったばかりだった - と、W.A.は 心の中で呟きました。
「つまり 目下これだけの技能を このウィーンでお持ちなのは こちらのモーツァルトさん 唯一人 ということです 」
ホフマン師は、自分が座っている車いすの肘掛に付いているハンドルを回して 再び方向を変えると このいささか口数の多い 青年に指示を与えました。
「ジュスマイヤー、先週 イギリスのノーフォーク公から 最高級のインドの紅茶が届いていただろう。すまぬが、わしとモーツァルト君に 上等のカップで熱いやつを淹れてきてはくれぬか 」
「喜んで 」
快く返事をすると、ジュスマイヤーは 楽長の寝室を 足早に出てゆきました。

 暗い部屋に二人だけになると、ホフマン師は 今度は W.A.に向き直り、
「お前の目的を聞かせてもらおう。モーツァルト 」
と 唐突に尋ねました。
「は? 」
「正直に言ってご覧 」
「ええと、ですから 私は 教会でのホフマン様の補佐役を・・・ 」
「残念だったな、モーツァルト。その役は 実はもう決まっているのだ、フランツ・クザーヴァー・ジュスマイヤーにな 」
「え・・・」
W.A.は ひどく落胆して 椅子に座りこみました。その顔を見つめながら、車いすのレオポルド・ホフマン師は 語ります。
「・・・あのジュスマイヤーという若者は、かわいそうに 5歳で母親に死に別れた。わしは やつの父親をよく知っている。そいつは女房に先立たれた後も 一生懸命 教会で孤児たちに勉強を教えておったよ。しかし過労から 今度は自分が病で倒れ半身不随となってしまった。その死の床で、若い頃から親友だったこのわしにジュスマイヤーの父親は、この時 たった一度だけ、頼みごとをしおった。“レオポルド、もし俺の子に音楽の才能があったら、どうか君の力で支えになってやってはくれまいか ”。 ・・・親友の頼みだ、わしは 約束してやったのじゃよ。この友誼が わかるか、モーツァルト君 」
 - にもかかわらず、その時 W.A.の頭に浮かんでいたのは、愛するコンスタンツェの顔でした。しかし その傍らで、レオポルド・ホフマン師は 語り続けています。
「・・・ジュスマイヤーは 家を出て、12歳からベネディクト会の修道院で聖歌隊員を務めるようになった。美しいボーイ・ソプラノだったが、変声期を迎えると 今度は 修道院のオーケストラでヴァイオリンを弾き始めた。いささか才能があったのじゃ。間もなくコンサートマスターになり、修道院の当時の合唱指導者に楽典や作曲を学び始め、めきめき腕を上げおった 」
けれど、さきほどからW.A.の頭の中では ぐるぐると同じ想いが回っていました。もし自分がシュテファン教会の楽長職に就くことが出来なければ、自分をウェーバー家に認めさせることも出来なくなる。そうなったら・・・。
「・・・その頃、わしは すでにシュテファン教会で現職を務め始めていた。もちろんジュスマイヤーの父親との約束を忘れてはいなかった。これを果たそうと心に決め、昨年成人したジュスマイヤーをウィーンに呼び寄せ、直接 手許で音楽を教え始めたというわけなんじゃ 」
W.A.の頭の中では 単純なカノンのように、同じ想念がずっと堂々巡りを続けていました。 それは ・・・ウェーバー家に自分を認めさせる機会がなければ、自分はコンスタンツェと結婚することは永久にできない・・・という固定観念でした。
「聞いておるのか、モーツァルト! 」
突然、車いすからホフマン師が大声で怒鳴りました。明らかに うわの空になっているW.A.に気づいたのです。その表情は 父レオポルドに こわいほど生き写しでしたから、W.A.
「・・・す、すみません。カペルマイスター 」
と詫びつつ、かつてザルツブルクを出奔しようとしたW.A.の進退を巡って 亡き父レオポルドが その声を荒げた晩のことを彼は一瞬のうちに思い出していました。父と同じ名前、同じ顔、同じ声のレオポルド・ホフマンが 口の中で小さく呟くのが聞こえます。
「お前は、今 わしの心証を 圧倒的に悪くした 」
「・・・も、申し訳ありません 」
W.A.は ひたすら平謝りです。
「ふふん、まあ よい。わしも いささか勝手に余計なことまでしゃべりすぎたわ 」
ホフマン師は そこで機嫌を直して、くすっと笑いました。そして
「もう一度訊こう。お前の目的は 何だろう? 」
「目的・・・ 」
「それでは 言い換えてみるか、お前は一体 何が欲しいんだ? 」
「私の欲しいもの・・・ 」
W.A.は少し考えてから、何だかとても素直な気持ちになり 正直に答えました。
「私が欲しいのは、ひとりの女房なんです 」
意外な答えに、ホフマン師は興味を持ったようでした。
「私には、もう10年前から結婚の約束をしていながら 家族の都合で未だに結ばれずにいる女性がいます。彼女の名はコンスタンツェと申し、その家族が望んでいるのは 結婚相手である私の将来性なのですが、宮廷作曲家という仕事は - 」
「詳しくは知らぬが 宮廷内の政治的な権力紛争は聞き及んでおるぞ。やはり そこもイタリア人が重用される世界なのじゃろうな。皇帝から作曲や企画の指示があっても、今の宮廷楽長アントニオ・サリエリ辺りが まず一手に引き受けてしまい、その取り巻きであるイタリアン・マフィアの連中で取り分けられた上、まるで食べ残しの残滓のような仕事しか お前らのような同国人には回ってこぬのであろう 」
「よくご存知でいらっしゃいます 」
「お前もそれなりに苦労してきたのじゃろう。それで シュテファン教会の楽長にでも - などと考えたわけか 」
「いいえ、やはり 私のような人間には そのような重責は務まらぬと思います。これでも私は 身の程をわきまえた謙虚な人間です。ただ 妻と呼べる女性がそばにいてくれて、普通に食事ができて、あとちょっぴりお酒があれば、正直 他には望むものなんか何もないんです。私は、シュテファン聖堂の楽長職などを望んだわけでは決してなく、ただそれによって 心から愛し続けてきた女性を妻にすることが許されるなら、とだけ考えたのが真実なのです。カペルマイスター、どうぞお許しください 」
これを聞いて、ホフマン師は 静かに微笑んで言いました。
「気づいておったよ、モーツァルト君。お前には野心はない。しかしお前の作曲能力は この“キリエ”を拝見しただけで 桁外れに優れていることが判った」
と、カペルマイスターは 膝の上に置いた楽譜の表紙を軽くたたきながら 言葉を継ぎました。
「 - 逆に、まだ24歳のジュスマイヤーのやつは、経験も足りなければ、技能も能力も人並みだ。編曲作業などは そこそこ器用にやるが、いまだに基本的な間違いをやらかすし、創造性も足りない。性格的にも、人は好いのだが、わしの目には 軽率なところも映る・・・。ひとことで言って、まだ若いということだ。そこでだ、お前に相談をしたい 」
「はい。カペルマイスター、どうぞ何なりと 」
と、W.A.は姿勢を正して ホフマン氏の言葉を聴きました。
「しばらくの間 ジュスマイヤーを 君のそばに置いて指導してやってほしいのじゃ。将来、あやつが わしの後継者として 教会での仕事が務まるように - 」
「はあ・・・ 」
W.A.は 少し困惑しました。彼は 今まで貴族の子女に嗜(たしな )みとしての音楽を指導してきたことはありましたが、同じ畑の音楽家として他人を育てた経験はなかったのです。 断ろう - と思いました。
「すみません、それだけは 自信がありません 」
すると ホフマン師は 両手で車いすのハンドルを回し、W.A.にうんと近寄りながら 声をひそめて そっと言いました。
「・・・もし引き受けてくれたら、君に教えてあげることを 約束しよう、モーツァルト。 君がコンスタンツェさんと結婚できる秘法を - 」
「え? それは 願ってもないことです! 」
「よーし、よく聴けよ モーツァルト。これから約一年の間、すなわち 今年のクリスマスまでに お前が作曲した仕事に対して、もしも 心から“ありがとう”という感謝の言葉を発してくれる者が 十人でもいたら・・・いや 五人もいればいい。お前の音楽に対して、心からの感謝の言葉を 少なくとも 五人の人間から 得られたならば、その瞬間、お前の願いは叶えられ、コンスタンツェさんは お前の妻となっているであろう! 」
「そ、それは 本当でございますか 」
 ・・・そんな程度のことでよいのなら 容易なことではないか - と、内心W.A.は思いました。そんな彼の心の底を見透かすように、まるで魔法使いのように鋭い目を光らせながら、ホフマン師は 言い添えました。
「わしは偽りは申さぬ。だが その代り、もし期限までに 五人の依頼人から 感謝の真心を得られなかった時には・・・ 」
「・・・その時には? 」
「この老いぼれた わしよりも先に、まだ若いお前の生命(いのち )の灯(ともしび )は、消え失せるであろう 」
ホフマン師の言葉の魔力に 凍りつくような恐怖を感じたW.A.は、楽譜を入れてきた薄い書類鞄が自分の手をすべり落ち、大きく開いたまま足元に落ちていたことにさえ気づきませんでした。

 ― つづく ( この物語は パラレル・ワールドのフィクションです。史実との違いを お楽しみください )


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