本記事は 6月23日「 人気記事ランキング クラシック音楽鑑賞 」で 第1位 となりました。
皆さまのおかげです、これからも 何卒よろしくお願い申し上げます。


スケルツォ倶楽部 Club Scherzo
「アフター・シュトラウス & “ バイ・シュトラウス ”」
After-Strauss & “By Strauss”
  
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(23)1952年 「ウィーン わが夢の街 」の作曲者ジーツィンスキー、
   聖シュテファン教会の上空を 舞う


Foto © APA Rudolf Sieczynski (Wiki )
(左 ) 聖シュテファン教会
(右 ) ルドルフ・ジーツィンスキー Rudolf Sieczyński


 ルドルフ・ジーツィンスキー Rudolf Sieczyński ( 1879 - 1952 ) は、ウィーンの作曲家です。彼は ウィーン大学で法律を修めた後は ウィーン市の公務員職「王宮顧問官 」として務め上げました(申すまでもなく、オーストリアでは すでに王室は存在していませんでしたが、現在でも この「王宮顧問官 」という呼称は“敬称 ”として使用されているのだそうです )。
 ジーツィンスキーの 「世俗の 」本職は市の役人であって、作詞・作曲は趣味で嗜(たしな )む程度でした。このためか 僅かなウィナー・リート以外、歌劇・喜歌劇といった規模の大きい作品は、 残念ながら遺していないようです。
 しかしウィーン市役所を定年退職した後、彼は 作家として また念願の作曲家として活動し、何とオーストリア作曲家協会理事長まで務めていたそうです。その前歴から推察すれば、協会での事務処理能力は まさしく適任だったのではないでしょうか。ジーツィンスキーは その生涯をウィーン市民として この街で一生を過ごし、そして 1952年 5月 5日 同地で亡くなっています。
 そんなジーツィンスキーが残した 最も有名な功績と言えば、1914年頃に作曲された、ウィーンを賛美するノスタルジックな歌曲「ウィーン わが夢の街 Wien、du Stadt meiner Träume 」の創作でしょう。

ウィーン わが夢の街
 Wien、du Stadt meiner Träume
               
                 原詩 : ルドルフ・ジーツィンスキー
                 意訳 : 山田 誠
  ( 第一節 )
  私の心も魂も ウィーンに
  降っても 晴れても 心は いつもウィーンに
  だって ここは わたしの庭
  昼だけじゃない、夜のウィーンも格別
  だって そこは くつろげる わが家

  本当のウィーンを知る人なら、
  お年寄りも 若い衆も みんな温かくて
  意地悪なやつなんか 一人もいないんだよ

  もし いつか この美しいウィーンの街を
  離れなければならなくなったとしても
  きっと わたしの心だけは いつまでも
  ずーっと ここにとどまっているんじゃないかなあ

  そして そのとき はるか遠くから
  きっと聞こえてくる ひとつの歌が、
  わたしの心に 間違いなく聴こえてくる

  (リフレイン )
  ウィーンだ、ウィーンだけだ
  そこは わが夢の街
  懐かしい昔のままの家々が立ち並び
  愛らしい少女たちが挨拶を交わすところ
  ウィーンだ、ウィーンだけだよ
  ここだけが わが夢の街
  わたしが わたしらしく、幸せに満たされるところ
  それこそがウィーンだ、
  ウィーン、わたしのウィーン・・・

  (この歌詞には続きがありますが、それは後述 )


 「ウィーン わが夢の街 」 - 今日、その目的を問わず ウィーンを訪れる あらゆる人々から愛唱され、圧倒的な支持を得ている この小さな歌うワルツが聴ける音盤を、“スケルツォ倶楽部” 発起人の CD棚から ランダムに抜き出して、ここに並べてみました。


■ リューバ・ウェリッチ Ljuba Welitsch(Decca )盤
カラヤン「こうもり 」全曲(デッカ )盤 1960 Ljuba Welitsch.
リューバ・ウェリッチ(ソプラノ )
カラヤン(Decca - LONDON )盤
ヨハン・シュトラウス二世:「こうもり 」第2幕 ガラ・パフォーマンスから
音 盤 : ポリドール(POCL-2278~79 )
録 音 : 1960年
  
 これは、ヘルベルト・フォン・カラヤンが 1960年 6月ウィーン国立歌劇場の音楽監督時代シュターツオパー専属の名歌手たち(ヒルデ・ギューデン、エリカ・ケート、ヴァルテマール・クメント、レジーナ・レズニク etc. )を起用してデッカ(ロンドン )でレコーディングした、ヨハン・シュトラウス二世のオペレッタ「こうもり 」全曲盤の第2幕の中に、特別に企画されたユニークなガラ・パフォーマンスとして収録された、たいへん有名な録音です。
 レジーナ・レズニクが演じる オルロフスキー公爵主催の舞踏会の会場に、皇帝フランツ・ヨーゼフからの直電話がかかってきます。従者イワンカイザーの声にびっくり。緊張しながら電話をオルロフスキーに取り継ぎます。気楽に皇帝との電話に興じる公爵、受話器を置くなり パーティの幹事役ファルケ に伝えて曰く 「フランツ・ヨーゼフ帝は ご都合が悪くなられたので 今宵はご欠席だが、お詫びのしるしにと このパーティ会場に宮廷歌劇場の歌手を派遣してくださるって 」 という、レコードでしか叶わない 夢のような饗宴が聴ける、そんな楽しい設定に 思わずわくわくしてしまいます(ジョン・カルショーたち、デッカ・スタッフのアイデアでしょう )。
 そうして 本当にやってきた(笑 )超豪華な歌手たちが、それぞれ 普段は決して歌わないような 珍しい持ち歌を一曲ずつ 順に披露してくれるのです(ガラ・パフォーマンス部分は 当然 別録りの音源を集めてつないだものでしょう、少なくとも カラヤンの指揮ではありません )
 たとえば レナータ・テバルディレハールの「メリー・ウィドウ 」から「ヴィリアの歌 」をイタリア語で、フェルナンド・コレナアンドレ・クラヴォシャンソンの名曲「ドミノ 」を、ビルギット・ニルソンは 何とミュージカル「マイ・フェア・レディ 」から「一晩中 踊れたら 」( って、「サロメ 」の踊りだったら コワイですね )、マリオ・デル・モナコも登場して ヴァレンテの「パッシオーネ(情熱 ) 」を文字どおり熱唱、テレサ・ベルガンサが 素晴らしい「バスク地方の子守歌 」を披露すれば、この当時人気も絶頂だったジョーン・サザーランドアルディーティの歌曲「イル・バッチォ(口づけ )」を、ユッシ・ビョルリンクレハールの「君はわが心のすべて 」をスウェーデン語で、レオンタイン・プライスガーシュウィンの「ポーギーとベス 」から「サマータイム 」を、それぞれ歌ってくれます。そして ある意味 このガラ・パフォーマンス中でも最大の珍品とも言えるのが、ジュリエッタ・シミオナートエットーレ・バスティアニーニによる二重唱(! )で ミュージカル「アニーよ、銃をとれ 」から「エニシング・ユー・キャン・ドゥ 」、曲中で二人が交わす不自然な英会話が 最高に可笑(おか )しいです。
 そして、この豪華なガラのトリに登場するのが、「ウィーン わが夢の街 (と言っても リフレイン部分だけ、しかも一度しか歌ってくれないので、あっという間に終わってしまいますが ) 」を 携えた大物ソプラノ歌手 リューバ・ウェリッチ Ljuba Welitsch (1913 – 1996 ) その人です。
 ブルガリア出身のウェリッチは、若き日 ウィーン国立歌劇場で活躍し、ドンナ・アンナ、アイーダ、トスカ、ムゼッタなどを持ち役としていましたが、リヒャルト・シュトラウス自身から直接「サロメ 」の稽古をつけてもらったことで知られています。1949年にはメトロポリタン歌劇場の「サロメ 」公演に招かれ、そのタイトルロールで センセーショナルな大成功を収めてからはアメリカに渡り、主にニューヨークで活動することになったほどですから、このガラ・パフォーマンスの場面で 敢えて彼女が「ウィーン わが夢の街 」を( たとえリフレインだけでも )披露した、ということは とても意義深いことでした。
 事実、その後 ウェリッチは 歌手を引退した後はヨーロッパに戻ると 最期までウィーンに住居を定め、1996年 9月 1日 この地で天に召されたそうです。


■ リーゼロッテ・マイクル Lieselotte Maikl
  & カール・テルカル Karl Terkal(PHILIPS )盤

ウィーンゆかりの名曲集(Philips ) Lieselotte Maikl Karl Terkal
リーゼロッテ・マイクル(ソプラノ ) & カール・テルカル(テノール )
音 盤 :「会議は踊る ~ 美しきウィーンのしらべ 」

収録曲 :「美しく青きドナウ 」「皇帝円舞曲 」(以上 クルト・リヒター / ウィーン・ワルツ・オーケストラ )、 「甘く美しきご婦人方よ ~ ウィーンによろしく 」(ルネ・コロ )、喜歌劇「メリー・ウィドウ 」から「ヴィリアの歌 」(ミルヤーナ・イーロッシュ )、映画「第三の男 」から「ハリー・ライムのテーマ」(アントン・カラス )、映画「会議は踊る 」から「唯一度だけ 」(ルート・ベルレ )、「プラター公園の春 」(ホルスト・ビンター )、「ドナウ川のさざ波 」「シェーンブルンの人々 」(マックス・シェーンヘル / ウィーン・ワルツ・オーケストラ )、「ウィーン気質」より二重唱(インゲボルグ・ハルシュタイン & ルネ・コロ )、「新しい酒の歌 」(ローゼマリー・モック )、「ドナウ川に葡萄の花咲く頃 」(ヴィコ・トリアーニ )、「2つの心はワルツにのって 」(ロベルト・シュトルツ楽団 )、「天使たちが休暇で今日ウィーンにやってくる 」(ペーター・アレクサンダー )、「博士殿、1912年代をまだ覚えておいでか 」(エーリッヒ・クンツ )、喜歌劇「メリー・ウィドウ 」から愛の二重唱「黙っていても 」(ミルヤーナ・イーロッシュ & ハロルド・セラフィン )、「ウィーンはウィーン 」(シュピラール・シュランメルン )、「ウィーン わが夢の都 」(リーゼロッテ・マイクル & カール・テルカル )
ウィーン音楽のオムニバス(コンピレーション )盤
日本フォノグラム PHILIPS (PHCP-10157 )

 このディスクは、わが国におけるウィーン音楽研究の権威 白石隆生氏によって選曲された 旧き良きウィーンの調べ の数々を コンパクトに集成した逸品です。今となっては入手困難で貴重な音源が多数収録されており - たとえば 今日の耳にも可憐に響くルート・ベルレが歌う「唯一度だけ 」で聴ける快適なアレンジと スネアをブラシがすぱすぱ刻む心地良いリズム、スイス出身のヴィコ・トリアーニ Vico Torriani が歌う 素晴らしい「ドナウ川に葡萄の花咲く頃 」の背景に流れ落ちるマントヴァーニ楽団のようなストリングスの効果、エーリヒ・クンツによる 懐かしい昔語りが心に染み入る「博士殿、1912年代をまだ覚えておいでか 」、そして「メリー・ウィドウ 」二重唱でミルヤーナ・イーロッシュとのデュエットを聴かせるダニロ役は 若き日のハロルド・セラフィン(! )だったり - これを日曜日の午後などに 部屋で流しながら、三越デパートの「カフェ ウィーン 」で買ってきたザッハートルテと お気に入りのカップ・ソーサーに熱いメランジェを注ぎ、その香りを楽しみながら 懐かしいウィーンの記念写真を綴じ込んだアルバムをゆっくりと開く・・・そんな至福のひと時のB.G.M.には 最高ではないでしょうか。
 この秀逸な名曲集の巻末に収められた「ウィーン わが夢の都 」を歌うのは、かつてウィーン国立歌劇場の専属歌手だった リーゼロッテ・マイクル(ソプラノ )と カール・テルカル(テノール )、主役級のレコーディングなどは残されておらず、特に目立った活躍もない人たちですが、その数少ない歌唱録音のひとつである この二重唱を聴く限り、堅実で確かな技術を持った名歌手であったことが伺えます。


エーリヒ・クンツ Erich Kunz(Ariola-Eurodisc )盤
エーリヒ・クンツ「ウィーン わが夢の街 」オイロディスク エーリヒ・クンツErich Kunz
エーリヒ・クンツ(バリトン )
ウィーン・シュランメルン
アントン・パウリク指揮 / ウィーン・フォルクスオーパー管弦楽団

収録曲 : 「ウィーン わが夢の街(ジーツィンスキー ) 」、「グリンツィングの大通り(フェーデル ) 」、「郊外のヴァハウでは(アーノルド ) 」、「ベンツィング教会(マーニヒ ) 」、「ウィーンによろしく(カールマン ) 」、おやすみ、わたしのかわいい坊やよ(アイスラー ) 」、「ようこそ皆さん アダムの登場(ツェラー ) 」、「プラーター公園の春(シュトルツ ) 」、「ウィーンの辻馬車の歌(ピック ) 」、「世界が花束だったなら(タイフル ) 」、「ロバウにて(シュトレッカー ) 」、「わたしのママはウィーン生まれ(グルーバー ) 」
録 音 : 1958年5月16 ~19日 ウィーン
音 盤 : 日本コロムビア(COCO-78154 )

 戦後から1960年代位まで ウィーンザルツブルクを中心に活躍した歌劇場の男声歌手の中でも エーリヒ・クンツは、とりわけ個性的なバリトンでした。オペラにおけるレパートリーも、バイロイトでこそベックメッサーくらいしか出番はなかったものの、その本領はフィガロ、レポレロ、グリエルモ、パパゲーノ といったモーツァルトの歌劇には欠かせぬ軽妙な脇役でした。
 またシューベルトシューマンなどのリートより、その守備範囲は ドイツ民謡シュランメルンが伴奏するような親しみやすいウィーンの唄に本領を発揮するタイプで、特に「ウィーンの辻馬車の歌(フィアカー・リート ) 」の見事さなどは 記憶に残ります。オペレッタなどにおける活躍も特筆すべき功績がありましたが、1995年9月8日(享年86 )、ウィーンでその生涯を閉じました。


バーバラ・ボニー Barbara Bonney(Decca )盤
バーバラ・ボニー「ウィーン わが夢の街 」デッカ
バーバラ・ボニー(ソプラノ )
ロナルド・シュナイダー(ピアノ )

収録曲 : 喜歌劇「オペラ舞踏会 」~ 別室へ行きましょう (ホイベルガー )、喜歌劇「デュバリー 」~ 私が心を捧げる人 (ミレッカー )、喜歌劇「小鳥売り 」~ 私は郵便配達クリステル、「坑夫長 」~ 悪く思わないで (以上、ツェラー )、喜歌劇「お気に入り 」~ わが心の皇帝 (シュトルツ )、喜歌劇「小鳥売り 」~ 桜の花の咲いた頃 (ツェラー )、喜歌劇「踊り子、ファニー・エルスラー 」~ ジーフェリンクのリラの花、「ヴェネツィアの一夜 」~ ほろ酔い気分、「こうもり 」~ 侯爵様 あなたのような方は (以上、J.シュトラウス二世 )、喜歌劇「白馬亭にて 」~ あなたに愛されたら きっと素敵に違いない、ザルツカンマーグートでは (以上、ベナツキー )、喜歌劇「最愛の人 」~ あなただけが私の幸せ (N.ドスタル )、喜歌劇「どこかのいとこ 」~ 輝く月 (キュネケ )、喜歌劇「メリー・ウィドウ 」~ ヴィリヤの歌、「フリーデリケ 」~ 野ばら、「ロシアの皇太子 」~ きっと来る人、喜歌劇「ジェディッタ 」~ 熱き口づけを (以上、レハール )、「ウィーン わが夢の街 」(ジーツィンスキー )
録 音 : 2002年8月29日 ~ 9月 1日 スワンシー
音 盤 : ユニバーサル(UCCD-1090 )

 後述することになる エリーザベト・シュヴァルツコップフの名盤「ウィーン・オペレッタ名曲集 」(EMI )と同じ - ホイベルガーの「真夜中の鐘 」で始まり、ジーツィンスキーの「ウィーン わが夢の街 」で締めくくられる - という偶然(? )とは思えぬ一致。もちろん その歌唱までシュヴァルツコップフと同じ次元・視点に立っているわけではなく、それより遥か現代的に歌い直された印象です。洗練された明晰で知的な解釈、それでいて才気煥発です。
 私“スケルツォ倶楽部”発起人も大好きなベナツキーの喜歌劇「白馬亭にて からは、「あなたに愛されたら きっと素敵に違いない 」、「ザルツカンマーグートでは 」の二曲が選ばれていますが、興味深いことに前者は 本来男声の歌うアリエッタですから、女声の歌唱が聴ける珍しいヴァージョンであると言えます。J.シュトラウス二世の「ヴェネツィアの一夜 」からの「ほろ酔い気分 」の原曲とは、言うまでもなく あの楽しい「アンネン・ポルカ 」ですね。
 この手のオペレッタ名曲集といった企画には よくある歌劇場のオーケストラ等を起用したりせず、すべてピアノ伴奏 というのが ありそうで意外に少ない、貴重な録音と思います。


ハインツ・ツェドニク Heinz Zednik(Polygram Musikunternehmen )盤
ウィーナー・リート名曲集(TECC-28044 ) クルト・リドルとハインツ・ツェドニク(右 )
ハインツ・ツェドニク(テノール ) - 写真 (右、小柄な男性のほう ) -
クルト・リドル(バス )
フィルハーモニア・シュランメルン
収録曲 : 「親父が家持ちだったから 」、「ウィーンの辻馬車の歌 」、「あっしもいつか死ぬとき 」、「シュテルツミュラー舞曲 」、「すべては神様の思し召し 」、「母さんはウィーンの女(ひと )だった 」、「オーストリアとは 」、「ウィーン、女、ワイン 」、「ヘルナルスの小さなカフェでは 」、「きれいな女の子もいるだろうね 」、「ウィーン、わが夢の街 」、「きれいな女の子を発明したのは 」、「リースリンクの舞曲 」、「グリンツイングにお供を連れて 」、「神様から心をもらった人は 」、「いつも陽気で粋で朗らか 」
録 音 : 1989年5月、ウィーン
音 盤 : テイチク(TECC-28044 )

 比較的めずらしい 男声二重唱によるウィーン歌曲のアルバムです。
 と言っても 純粋な二重唱は 収録曲のうち4曲だけ( 「親父が家持ちだったから 」、「オーストリアとは 」、「きれいな女の子もいるだろうね 」、「いつも陽気で粋で朗らか 」 )で、シュランメルンによる2曲のインストゥルメンタル( 「シュテルツミュラー舞曲 」、「リースリンクの舞曲 」 )を除けば、他は テノールとバスが交互にソロで歌っています( 「ウィーン、わが夢の街 」もツェドニクの独唱です )。
 クルト・リドルの歌う「フィアッカー・リート 」は、深く豊かな低音の魅力は特筆ものですが、細やかな味わいや基本的な声質という点では、やはり往年のエーリヒ・クンツには 今 一歩及びません。
 ゲアハルト・シュトルツェ以後、現代バイロイトにおける最高の「ミーメ 」役者だった、またウィーン国立歌劇場における性格テノールとしてその名を馳せた ハインツ・ツェドニクが歌う「ウィーン、わが夢の街 」では、実は ここでは 少し珍しい工夫がされています。他の演奏家による歌唱は(おそらく )その殆どが通常であれば「第一節( 私の心も魂も ウィーンに~ ) 」から始めるところ、ツェドニクだけはいきなりリフレイン(ウィーン、ウィーン、そこは わが夢の街 ~ )から歌い出すので、あっ! と思います。続けて 彼は第一節の最初から歌い継ぎ、再びゆっくりとリフレインに入ると、これを繰り返した後 静かに締めくくっています。


■ 「ウィーン わが夢の街 」の歌詞には、知る人ぞ知る 第二節が・・・
 実は、ジーツィンスキー自身によって書かれた、この「ウィーン わが夢の街 」のオリジナル歌詞には、知る人ぞ知る 続き(第二節 )の歌詞があった ということを、ご存知でしょうか。
 上記、ここまで紹介してきた音盤で聞ける「ウィーン わが夢の街 」は、いずれも第一節までしか歌われてはいないのです。その後 あの魅力的なリフレインが繰り返されて 一応は締めくくられていますが、しかし、それは まだ途中で、歌詞には 続きが存在しているのです。
 そして その歌詞をきちんと最後まで読むと、この歌が 単なる「ウィーン賛歌 」であるにとどまらず、実は ひとりのウィーンっ子の(普遍的な )人生を歌った詩であるということが判るのです。

ウィーン わが夢の街
 Wien、du Stadt meiner Träume
                 
                 原詩 : ルドルフ・ジーツィンスキー
                 意訳 : 山田 誠
  ( 第二節 )  
  しかし 否が応でも
  いつかは その時が やってきてしまうのだろうな、
  - なるべく遅けりゃ いいんだけど、
  それは わたしが この世を去らねばならぬ時のこと
  もうお別れだ、素敵な恋心とも 美味しいお酒とも
  もの皆すべて 生まれる時があれば、朽ちる時もある

  ああ、でも それもまた良いかも
  だって もう歩かなくていいんだもん
  その時には うんと空高く 舞い上がるんだよ
  天に座して、
  そこから 大好きなウィーンの街を見おろしたら、
  聖シュテファン教会が わたしを見上げて 挨拶してくれるかも

  そして そのとき はるか遠くから
  きっと聞こえてくる ひとつの歌が、
  わたしの心に 間違いなく聴こえてくる

  (リフレイン )  
  ウィーンだ、ウィーンだけだ
  そこは わが夢の街
  懐かしい昔のままの家々が立ち並び
  愛らしい少女たちが挨拶を交わすところ
  ウィーンだ、ウィーンだけだよ
  ここだけが わが夢の街
  わたしが わたしらしく、幸せに満たされるところ
  それこそがウィーンだ、
  ウィーン、わたしのウィーン・・・


 訳語を考えながら 繰り返し読み直すたびに、前より一層 この歌が 好きになってきました。
 それでは、オリジナルの第二節まで しっかりと歌いおおせた歌い手の名録音を 以下、ご紹介しましょう。

ユリウス・パツァーク Jurius Patzak(Platz )盤
ユリウス・パツァーク「ウィーン わが夢の街 」 ユリウス・パツァーク(Preiser)
ユリウス・パツァーク(テノール )
ハンス・トッツァウアー指揮
グリンツィング・シュランメルン

収録曲 :遊びにゃ年季が入ってる、ぼくはウィーンっ子、歌えなくなったら 葬っておくれ、ゲンマ ゲンマ ( 行こ、さ 行こ! )、シュテファン寺院の古い高塔、リヒテンタールの向う、ぼかぁ 生粋のウィーンっ子、グリンツィングにお伴を連れて、親父が家持ちだったから、きょう夢みたよ、おお 天なるわが父さま、ラーヴェルスバッハ行進曲、ウィーンはきれいな女のひと、靴屋の小僧のギャロップ、ウィーン わが夢の街
録 音 : 1962年 ウィーン
音 盤 : 日本コロムビア Platz(PLCC-660 )オーストリア・ポリグラム

 テノールによる「ウィーン わが夢の街 」の名唱と言えば、以前にもご紹介した ロベルト・シュトルツ指揮(編曲も )ウィーン・フォルクスオーパー管弦楽団で、名歌手フリッツ・ヴンダーリヒが歌い残したウィーン歌曲集を集めた音源がドイツ・グラモフォンにありましたね。ここでは、イエルク・デムスとのシューベルト「冬の旅 」、ブルーノ・ワルター、カスリーン・フェリアー、ウィーン・フィルとのマーラー「大地の歌 」、フルトヴェングラー「指環 」におけるミーメ役・・・などを歌った、これも個性的な声を誇った性格テノール、ユリウス・パツァーク (1898~1974 )による独特な一枚をおススメします。これを聴いていると、思わずこんな場面を想像してしまいます。
 ・・・ウィーンホイリゲで飲んでいたらシュランメルンの演奏に合わせ 突然立ち上がって歌いだした酔っ払い親父。これを見て眉をひそめる観光客・・・あの変なじいさん誰だ? 何、お前知らないのか、あの人こそ、昔はウィーン国立歌劇場の舞台に立っていた名歌手 ユリウス・パツァークだよ。ほら、クレメンス・クラウスウィーンフィルを指揮した「サロメ 」のヘロデ王を 聴いたことないのか?


エリーザベト・シュヴァルツコップフ Elisabeth Schwarzkopf 盤
シュヴァルツコップフ ウィンナ・オペレッタ集
エリーザベト・シュヴァルツコップフ(ソプラノ )
オットー・アッカーマン指揮
フィルハーモニア管弦楽団

収録曲 :喜歌劇「オペラ舞踏会 」~ 別室へ行きましょう(ホイベルガー )、「小鳥売り 」~ 私は郵便配達のクリステル、チロルのバラの歌、「坑夫長」~ 気を悪くしないで (以上、ツェラー )、「ロシアの皇太子 」~ 私は恋人が現れるのを待っている、「ルクセンブルクの伯爵 」~ アンジェル・ディディエ万歳、今日 私は花嫁になる、「ジュディッタ」 ~ 唇に熱いくちづけを (以上、レハール )、「カサノヴァ」~ 尼僧たちの合唱とラウラの歌 (J.シュトラウス二世 )、「デュバリー」~ 私が心を捧げる人、私がことを始めたら (以上、ミレッカー )、「ボッカチョ」~ 恋はやさし(スッペ )、ウィーン わが夢の街 (ジーツィンスキー )
録 音 : 1957年6月 ロンドン
音 盤 : 東芝EMI(TOCE-3087 )

 世紀の存在シュヴァルツコップフは、1952年 カラヤンの指揮する「ばらの騎士 元帥夫人役で大成功を収めて以来、これを代表的な役柄として演じてきました。R.シュトラウスヴォルフの歌曲解釈にも優れ、録音にも恵まれましたが、実は 喜歌劇の録音にも非常に熱心でEMIには多数のレコーディングが残されています。
 このオットー・アッカーマンとの「ウィーンのオペレッタ名曲集 」は、今日 シュヴァルツコップフの録音歴の中でも決して忘れられない、独特の位置を占める代表的名盤でしょう。「ウィーン わが夢の街 」でも、まるで 心から湧き上った歓喜が 胸いっぱいに溢れて こぼれ落ちてしまわぬように、恥じらいの微笑みをたたえつつ 揃えた指先でそっと抑えるような、そんな シュヴァルツコップフ独特の 発声が聴けます。

 それでは、本日 最後の一枚です・・・

ロバート・マクダフィ Robert McDuffie(TELARC )盤
ウィーン わが夢の街(Telarc ) ロバート・マクダフィ「ウィーン わが夢の街 」Telarc
ロバート・マクダフィ(ヴァイオリン・ソロ )
エリック・カンゼル指揮
シンシナティ・ポップス・オーケストラ

収録曲 :ヴァイオリンとオーケストラのための小協奏曲変ロ短調、ハンガリー幻想曲、コンサート・ポルカ「忘れな草」(以上、レハール )、真夜中の鐘(ホイベルガー「オペラ舞踏会 」による、踊る人形(ポルティーニによる )、中国の太鼓、愛の悲しみ、ウィーン奇想曲、美しきロスマリン、狩り(カルティエのスタイルによる )、愛の喜び、セレナーデ ( レハールの「フランスキータ 」より )、ウィーンのメロディ (ゲルトナーによる )、ベートーヴェンの主題によるロンディーノ(以上、クライスラー )、「結婚前奏曲 」(J.シュトラウス二世 )、ウィーン わが夢の街(ジーツィンスキー )
録 音 : 1995年11月11、13日 シンシナティ
音 盤 : ポリグラム(PHCT-1034 )
  
 最後に、インストゥルメンタル演奏のCDを聴きましょう。
 そう言えば、この「ウィーン わが夢の街 」のメロディは、比較的最近まで NHK-FMの番組「ミュージックプラザ 」第一部(クラシック枠 )オープニングとエンディングのテーマ曲として使われていましたが、そこで実際に流されていた音源は コレだったはずです。このヴァイオリン・ソロとオーケストラによる美しい演奏も、リフレイン部分(“ウィーン、ウィーン、そこは わが夢の街 ~ ” )のメロディから いきなりスタートするというアイディアでは ハインツ・ツェドニク盤と同趣向です。
 インストゥルメンタル演奏であれば、個人的には アンドレ・リュウ指揮 / ヨハン・シュトラウス・オーケストラ(Mercury )による キラキラ輝くような華麗な編曲演奏の方が好みですが、このマクダフィ盤のディスクには レハールヨハン・シュトラウス二世の珍しい曲が カップリングされているのが魅力です。

■ 聖シュテファン教会の上空を飛んだのは 
  ジーツィンスキー本人だったかも

雪のシュテッフェル  
 「ウィーン わが夢の街」 - さらに調べていくと、この最終節に至る前に ジーツィンスキーは、 実は さらに数節分、この歌のために 歌詞を残していたらしいのです。それは 懐かしきウィーンという街に欠かせない、音楽ワイン、そして美しい女性などが その詩の中には 登場するそうで、さらに 後から付けられた軍歌の替え歌まで存在するらしいのですが・・・すみません、それらの詳細は 未確認です。
 しかし 自分の死の時を想像するという センチメンタルなウィーン歌曲が持っているテーマのひとつの典型でもある この最終節歌詞の存在があることによって、この歌は 単なる都市の賛歌であるにとどまらず、ひとりのウィーンっ子の生涯を振り返るような深みのある内容となり、これに付けるべき メロディを考えたジーツィンスキーの心の内からは ワルツのリズム以外のメロディが湧き上がってくることなど 絶対になかったのでしょう!
 そして 最終節の歌詞にあるとおり、「お召しの時 」が訪れ 高き天の座から遥か地上を見下ろして 聖シュテファン教会からも 挨拶をもらえる人物とは、その一生をウィーンで過ごした この歌の作者ジーツィンスキー自身の姿(! )であったに違いありません。その時には、紺碧の空にそびえる シュテファン教会を 地上から 高く見上げながら ウィーンの人々は、誰しもみな このリフレインの歌詞を きっと 心のうちに思い浮かべたことでしょう。
    
  ・・・ ウィーンだ、ウィーンだけだ
  そこは わが夢の街
  懐かしい昔のままの家々が立ち並び
  愛らしい少女たちが挨拶を交わすところ

  ウィーンだ、ウィーンだけだよ
  ここだけが わが夢の街
  わたしが わたしらしく、幸せに満たされるところ
  それこそがウィーンだ、
  ウィーン、わたしのウィーン・・・



1953年  スターリン 没。  同日、プロコフィエフ 没。
      シュヴァイツァー博士、ノーベル平和賞を受賞。
      映画「ローマの休日(ウィリアム・ワイラー監督 )」、
         「聖衣(ヘンリー・コスター監督 )」、
         「恐怖の報酬(アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督 )、
      ショスタコーヴィチ、交響曲第10番
      コルンゴルト、組曲“シュトラウシアーナ ”
・・・に続く


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