本記事は、6月21日「 人気記事ランキング クラシック音楽鑑賞 」で 第1位 となりました。
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スケルツォ倶楽部
名優ゲアハルト・シュトルツェの演技を聴く
オルフ「オイディプス王」(クーベリック)D.G.ゲルハルト・シュトルツェ(最小サイズの肖像写真)  目次は こちら

(24)プフィッツナーを聴く前に、
   「パレストリーナ 」を予習する


■ プフィッツナー : 楽劇(音楽的伝説 )「パレストリーナ 」
プフィッツナー_Hans_Pfitzner パレストリーナ_Giovanni_Pierluigi_da_Palestrina_Public Domain
(左 )作曲者 ハンス・エーリヒ・プフィッツナー(1869 - 1949 )
(右 ) オペラで描かれる 偉大な パレストリーナ(1525頃 - 1594 )

 
  ハンス・エーリヒ・プフィッツナー (1869 - 1949 )Hans Erich Pfitzner の 楽劇(音楽的伝説 )「パレストリーナ 」は、1917年 ブルーノ・ワルターの指揮によって ミュンヘンのプリンツレゲンテン(摂政宮 )歌劇場で初演された、ワーグナー以後の近代楽劇の中でも特筆すべき傑作 - 本当に名作だと思います。
 楽劇に登場するのは ルネサンス時代に実在した歴史的人物たちが中心なので、事前に歴史・音楽史を予習しておくとさらに楽しめるという 渋い内容、その質の高さにもかかわらず 近年の上演・録音機会の稀少さには 首を捻りたくなります。作曲者のハンス・プフィッツナーは、音楽創作の理想と現実に悩む ジョヴァンニ・ピエルルイジ・ダ・パレストリーナ(1525頃 - 1594 )を 自分自身に投影させていると言われているとおり、その台本も自分で書いているという点からも 独自の作品です。
 その題材は、16世紀後半イタリア教会音楽の 代表的な作曲家パレストリーナの 有名な逸話から取られており、そのエピソードとは ご存知の方も多いと思いますが、音楽史においても有名な一件です。
 以下、少し長くなるかも知れませんが、私自身の浅い理解を助けるための覚え書き ということで ご辛抱頂き、ドラマの歴史的背景と経緯とを併せて整理することを どうぞお許しください。

■ 楽劇「パレストリーナ 」の背景について
  16世紀、宗教改革の嵐に圧される形で、カトリック教会は 内部変革を迫られていました。キリスト教の教義プロテスタントの考え方と調整させることは可能なのか、どちらかに誤りがあるとしたら それをいかに正すべきであるか、ということを議論するため、偉大なパウルス三世(在位1534年~1549年 )は、初めてプロテスタント側との対話を求め、トリエント(Trient は独語、トレント Trento は イタリアの都市名 )公会議を召集しました。
 パウルス三世は、ユリウス二世以来 システィーナ礼拝堂の天井画を描き続けていた ミケランジェロに、ヴァチカンにおける ミッションの総仕上げとも言える 祭壇の大壁画 「最後の審判 」を 依頼した教皇としても知られていますね。
パウルス三世_Paulus III ミケランジェロ「最後の審判(部分)」
(左 )パウルス三世:在位1534年~1549年、
(右 )ミケランジェロ最後の審判 」(部分 )


  パウルス三世の没後、その精神を引き継いで 次に教皇に就任したユリウス三世(在位1550年~1555年 )は、もともと1545年から始まっていたトリエント公会議の第一会期の指導的人物でしたが、公会議は フランスはじめ諸侯の政治的思惑から中断を余儀なくされ、結局、十分な成果を挙げられずに閉会しています。
 この教皇は、建築や芸術・音楽を愛し、パレストリーナをローマに招いて「マエストロ・ディ・カぺッラ(教皇礼拝堂付楽長 ) 」に任命したことでも知られています。
ユリウス三世_Pope_Julius III
(写真 )ユリウス三世(在位1550年~1555年 )の像
  
  このユリウス三世の後継者 マルケルス二世(在位1555年4月9日~4月30日 )は 人柄も能力も優れ、その活躍を大いに期待されていましたが、就任からわずか21日で急逝してしまいました。
 プフィッツナーのオペラ「パレストリーナ 」の中でも重要なテーマとなっている 主人公の作曲家パレストリーナが作った 名曲「教皇マルチェルスのミサ 」は、このマルケルス(マルチェルス )二世が もし仮に 存命であったなら きっと執り行ったに違いない、理想の(架空の )治世を偲んで作曲したものとされます。
マルケルス二世_Pope_Marcellus II
(写真 )マルケルス(マルチェルス )二世の肖像(在位1555年4月9日 ~ 4月30日 )

 しかし、続く教皇パウルス四世(在位1555年~1559年 )は 徹底的な反ユダヤ主義者で政治的にも強権を発動したことで知られています。プロテスタントとの対話を拒否異端審問を強化し、反対する枢機卿たちを投獄することさえしました。ユダヤ人の迫害ばかりでなく、「最後の審判 」のキリストをはじめとする裸形の登場人物たちに あろうことか「腰巻 」を描き加えさせたり、礼拝堂付楽長だったパレストリーナ解雇してしまうなど、文芸面に及ぼす影響も大きかった教皇でした。
パウルス四世_Pope_Paul IV われながら ほれぼれするほどのヒール(悪役)ぶりじゃのぉ
 
(写真 )パウルス四世(在位1555年~1559年 )の肖像 

  このパウルス四世の死後、選出されたのが、このオペラ「パレストリーナ 」の舞台となった時代、そしてオペラにも登場する賢皇ピウス四世(在位1559年~1565年 )でした。トリエント公会議を再招集し、成功裏に導いた教皇です。
ピウス四世_Pius IV カルロ・ボローメオ_Carlo_Borromeo Public Domain[1] ジョヴァンニ・モローネ_Giovanni_Morone Public Domain
 (左から )ピウス四世は、枢機卿カルロ・ボローメオ(教皇の甥に当たる )、ジョヴァンニ・モローネ (三人は いずれもオペラ「パレストリーナ 」に登場する人物 )の助力を得て、ユリウス三世以来10年にも渡って中断されていた公会議を再開・議決、1564年 1月に 勅令「トリエント信条 」を布告まで行なうのです。これが当時のカトリック世界全体に大きな影響力を与えるものになったとされます。

 トリエント公会議では、教会音楽の改革も議論の的となったそうです。
教会には、典礼文の言葉が聴き取りにくくなるようなポリフォニー音楽は相応しくない、今後は 聴きやすい単旋律のグレゴリオ聖歌だけに限定して、その他は すべて教会から排除すべきである 」などといった強硬な考え さえ 提出されていたのです(! )

■ 宗教改革は ルネサンス期の教会音楽の変革をも迫った
  音楽史の教科書を開くと、ルネサンス期の音楽文化の中心はアルプスの北 フランドルだったことが書かれています。
 15世紀から16世紀にかけて ギヨーム・デュファイオケゲムジョスカン・デ・プレイザークといったフランドル出身の音楽家達の作品を、当時のイタリア人は 自国の作曲家など そっちのけで愛好していた(! )という事実です。
ギヨーム・デュファイ_Dufay Public Domain ヨハンネス・オケゲム_Johannes Ockeghem ジョスカン・デ・プレ_DESPREZ
(左から ) 代表的な フランドル系 作曲家
ギヨーム・デュファイ、ヨハンネス・オケゲム、ジョスカン・デ・プレ


  特に宗教音楽の分野でのフランドル・フランス系音楽の優位は、当時 絶対的なものがあり、ローマやイタリアの教会で活躍していた聖歌隊が歌う宗教曲のレパートリーの大部分は、フランドルのポリフォニー様式によるミサ曲モテットでした。総本山のシスティーナ礼拝堂はじめ、イタリア中の聖堂や礼拝堂で鳴り響いていた宗教曲も、その殆んどが イタリアで作曲された音楽ではなかったのです。
皆川達夫先生 近影  中世・ルネサンスの音楽 (講談社学術文庫)
(左 )皆川達夫
(右 )推薦図書「中世・ルネサンスの音楽(講談社学術文庫 ) 」

 
  この部分、皆川達夫氏の名著「中世・ルネサンスの音楽(講談社学術文庫 ) 」を参考にさせて頂いておりますが、ここで 皆川氏はたいへん重要な指摘をされています。それは当時「イタリアの音楽家は、フランドルのポリフォニー様式の宗教作品に対して一目も二目もおかなくてはなら 」なかったが、「その反面、フランドルの宗教音楽があまりにも技術的に複雑すぎて、教会における典礼音楽としてかならずしも適切なものとみられていなかった 」という点です。事実、トリエント公会議で提起された問題は、「ポリフォニーの線の絡み合いが複雑になればなるほど、そこで歌われている(典礼文の )言葉は聞き取りにくくなる 」というものだったそうです。
 さらに もうひとつの問題点は、ブルゴーニュ・フランドルの(ギョーム・デュファイに代表されるような )宗教作品の一部が、神聖なミサ曲の中に フランス世俗歌曲の旋律をしばしば借用する傾向があったということです。
 極端な話、それは システィーナ礼拝堂の中でミサ曲として「恋のシャンソンが定旋律として鳴り響く 」ようなことを意味しており、「典礼の立場から言えば 決して歓迎されることではな 」く、むしろ「教会当局としては具合の悪いこと 」だったに違いありません。
 宗教改革は、当時の典礼音楽の現状に対しても必要を迫っていたわけです。

■ 議論の焦点を「音楽 」にすり替え、
  でも 教会側の真意は 別のところにあったのでは?
 
  私 “スケルツォ倶楽部”発起人は、しかし こう考えることも自然ではないかと思うのです、すなわち トリエント公会議において 当局が教会から排除したがっていたものとは、実は 「ポリフォニー音楽 」ではなく、(その本音は )フランス・フランドル系の「宗教勢力 」だったのではないかと - 。
 教皇側であるカトリック勢力は、当時 プロテスタントの勢いが強大になりつつあったフランス・フランドルの香りと共に、いろいろな問題を抱えていた宗教音楽も一緒くたに(坊主憎けりゃ“ 音楽 ”まで? )と、この機会に教会から排除すべきである、と考えたものではないでしょうか。
 ・・・尤も、イタリア国内に埋もれている才能ある自国の音楽家たちにも門戸を開き、イタリア独自の優美な旋律線を生かした新しいスタイルの宗教音楽の誕生を期すような考えまであったかどうかは、わかりません。
 
 伝承によれば、パレストリーナは ここで 彗星のように「教皇マルチェルスのミサ 」を提示することによって、「多声音楽 」と「典礼文の歌詞の伝達 」とが両立し得る新しいミサ作曲が可能であることを 審議の場で証明し、教会音楽からポリフォニー表現が粛清されてしまう危機を救ったのだ、と言われています。
事実だったとすれば それは もちろん大変な功績です。しかし、その「どこまで 」が真実だったのでしょう?

■ パレストリーナは、本当に「音楽の救い主 」だったの?
  参考に、今なら ブリリアントのライセンス盤でなら入手可能な プロ・カンティオーネ・アンティクヮ Pro Cantione Antiqua(ブルーノ・ターナー指揮 )による名盤で、オペラ「パレストリーナ 」第1幕で重要な役割を果たすことになる、名作「教皇マルチェルスのミサ 」を 聴いてみましょう。
パレストリーナ「教皇マルチェルスのミサ」 Pro Cantione Antiqua
録音1978年頃、Brilliant Classics 海外盤 5CD-99711
  
  - 録音会場となった 聖アルバン教会カテドラルの 長い残響を生かした、本当に美しい歌唱です。
 オペラ「パレストリーナ 」中に登場する「キリエ 」はもちろん、重要なことは 「グローリア 」他 いくつかの楽曲では、たしかに 多声音楽でありながらも典礼文の歌詞内容を聴き取りやすく工夫されていると 感じられないこともなく、たしかに音楽史のエピソードに合致しているように聴き取れる要素もある ということです。
 
 しかし 歴史的には、すでにこの時 ある程度までのポリフォニー教会音楽容認されるとの穏健な方向へとすでに公会議決定は修正されており、パレストリーナその指導に沿った形式でミサを作曲したに過ぎなかった、という説が 今日では有力なのだそうです。しかも、公会議の審議の場で 試演された音楽は「マルチェルスのミサ 」であったかどうかさえ、実は特定出来てはおらず、むしろ実際に演奏されたのは パレストリーナではない 他の作曲家の作品だった(! )、という研究さえあるそうです。
 ・・・バチカン教会からフランドル(音楽 )の勢力を一掃し、ローマ・イタリア(音楽 )の巻き返しを図ることによって公会議で優位に立とうとしたカトリック勢力から、パレストリーナ作曲家本人でさえ自覚しないところで 政治的に「音楽の救い主 」として機能的に利用され、高く祭り上げられてしまったのではないでしょうか。
 「教皇マルチェルスのミサ 」が成立した時の あまりにも劇的なストーリーが、音楽史の中でも極めて稀で 特異なエピソードである その理由とは、まさに そこにあったのではないでしょうか。このミサ曲を「伝説 」として、わざわざヨーロッパ中に喧伝までしたのは、実は そこに 本来の 目的(たとえば システィーナからのフランス・フランドル系の「宗教勢力 」の排除 )を 巧妙に隠したかったからではないのか、とさえ思えるのです。
 
 けれど たとえ音楽史に伝えられるところと真実は異なっていたとしても、また私の愚説が取るに足りないものであったとしても、パレストリーナが作曲した「マルチェルスのミサ 」の あの均整のとれた構成、荘厳さ、イタリアの旋律美を生かした透明な美しさ・・・、純粋に偉大な名曲である、という事実(これこそが真実! )は、まさしく不変のものですよね。

  ・・・あ、ところで 肝心の ゲアハルト・シュトルツェは 今回 一体どこに出てくるんだ! と憤っておられる皆さま、申し訳ありません。えー、シュトルツェは、オペラの第2幕にだけ登場する端役で、次回の この文章の続きの回に ご紹介させて頂きます。ホント、毎度すみません。

 次回 (25)「パレストリーナ」枢機卿ノヴァジェリオを演じる に続く・・・

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