本記事は、6月16日「 人気記事ランキング クラシック音楽鑑賞 」で 第1位 となりました。
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スケルツォ倶楽部 
「モーツァルト 最期の年 」 
モーツァルト 最期の年     ▶ もくじは こちら



(4)聖シュテファン教会 ホフマン楽長
 
 W.A.は、ロイトゲープに前日教わったとおり、自宅で病気療養中のシュテファン大聖堂カペルマイスター レオポルド・ホフマン師を見舞うため 寒風の中 コートを羽織り、白と黄色の水仙の花束を小脇に携えて 大きな屋敷の門前に佇んでいました。
 そこは、シュテッフェルが建つ市街地とは反対方向へ徒歩30分ほど離れた距離で、閑静な環境に建てられたホフマン師の古い屋敷でした。足元には雪が凍りつき、油断すると滑って転んでしまいそうです。

 自分が持つ高い作曲技術を 楽長ホフマン師に見てもらう、という強い目的意識から、W.A.は過剰なほど張り切って、119小節から成る大規模な管弦楽伴奏による混声合唱のための「キリエ 」の総譜を、ロイトゲープと別れてから わずか24時間ほどで仕上げていました。図らずもW.A.が そのテキストとして「キリエ - 主よ、憐みたまえ 」を選んだのは、カペルマイスターに 文字どおり「憐れみたまえ 」と すがりつきたいほどの自己憐憫の気持ちを無意識に抑えていた心の表出だったのかもしれません。
 そしてW.A.は「キリエ 」の作曲のために消耗したエネルギーによって、自分の身体に大きな負荷がかかったことを実感していました。というのも、今朝もまた 明け方の 4時を過ぎた頃から 銀の小笛が 彼の掌の上に姿を現さなくなってしまったからです。 「・・・昨日から どうもおかしいな 」と、思わずW.A.は呟きました。「さてはコイツ、勝手に営業時間を短縮したか 」と 開いた手のひらをじっと見ながら苦笑しつつ、しかし 小笛の出現と消滅とが どうやら自分自身の健康状態と密接な関係があるらしい - と、直観からうすうす感じ取っていたのでした。
 とはいっても、その段階では 合唱パートもオーケストレーションも すべてW.A.の頭の中で「完成 」していましたから、たとえ掌で小笛の囁(ささや )きを聴けなかったとしても、彼のなすべきことは もはや楽譜上の真白い空間を音符で埋めるという殆ど機械的な作業だけでした。
 これは W.A.が 故郷ザルツブルクからウィーンへ出てきて以来、本当に久しぶりに作曲した教会音楽となりました。こうして彼は、早暁 出来上がったばかりの総譜を入れた大判の書類鞄を 見舞いの花束と一緒に大事に抱きしめながら、ホフマン楽長の屋敷の門前に立ち、固まった氷雪を踏みしめていました。

「お待たせしました。こちらへどうぞ 」
やがて、下男なのか 執事なのか ひとりの背の高い若い男にW.A.は案内され、広い屋敷の中に入りました。調度品には贅沢さは皆無で、とても質素な室内です。昼前だというのに真っ暗な長い廊下の終点まで 先を歩く若い男に導かれ、W.A.は 楽長レオポルド・ホフマンの寝室にようやく到着しました。そこは どこか現実ではないような感じがしました。
 案内役の若者は、意外なほど明るい声で ドア越しに声をかけます、
「カペルマイスター、起きていらっしゃいますか。宮廷から楽長モーツァルトさんがお見えです 」
「・・・かまわぬ、入ってもらいなさい。さ、中へ 」
と、部屋の内側からホフマン師らしい老人の声がしましたが、W.A.は その声に なぜか懐かしさを感じました。声に聞き憶えがあるような気がしたのです。案内の若者は、W.A.から 見舞いの花束を受け取ると 寝室のドアを開け、恭しく彼に入室するよう促しました。
 ベッドから起き、車いすに腰掛けているレオポルド・ホフマン師の姿を見た瞬間、W.A.は 自分の心に湧きあがった懐かしさの理由がわかりました。カペルマイスター、ホフマンは W.A.の尊敬する亡き父と同じ名前の - レオポルド・モーツァルトに その声も姿もそっくり生き写しだったのです。
「お、お父さん・・・ ? 」
「? 」
一瞬怪訝な表情を浮かべたホフマン師の顔を見て、W.A.は 思わず自分の口をついて出てしまった言葉を 必死に打ち消しました。
「い、いえ、初めまして。宮廷作曲家 モーツァルトと申します。高名なるカペルマイスター、レオポルド・ホフマン様に お目にかかれて、恐悦至極にございます 」
車いすに座っているホフマン師は、W.A.の父レオポルドが生きて さらに年齢を重ねていたら、きっと同じであったに違いない その顔に 懐かしい微笑みを浮かべながら、
「ふふ、わしは お前の父ではないぞ 」
と、言いました。
「たいへん失礼いたしました。実は ホフマン様のお姿が、私の亡き父に瓜二つでいらっしゃるので 驚いてしまったのです 」
それを聞いて、楽長ホフマン師は 車いすの肘掛けに付いているハンドルを自分の両手で回しながら その向きを変えると、W.A.にも 腰かけるよう傍らのソファをすすめました。
「わざわざ見舞いに来てくださったそうだな 」
「お加減は いかがですか 」
「不治の病とのことだ。歳だから仕方ない。ゆっくりと毎日 自分の身体が衰弱してゆくのを感じている 」
「非力ではございますが、私に 何かお手伝いできることはないでしょうか 」
「ふん、手伝いか - 」
そうつぶやくと、W.A.の顔を ホフマン師は 黙ってじっと見つめます。その長い沈黙に耐えられなくなって、W.A.は 言葉を継ぎました。
「ご健康すぐれぬホフマン楽長の教会でのお勤めの助手として、私を任命しては頂けないでしょうか。私は 故郷ザルツブルクで 長年 教会様式に則って仕事をしてきた経験がございます。何らかのお役にたてるものと、いささか自負しております 」
「“非力” だが、“いささか自負して ” もいるというわけか 」
W.A.の言葉の揚げ足を取って 鼻先でふふんと笑うと、ホフマン師は 車いすの背もたれから自身の上半身を起こし、
「わしは 長い間 神に仕える聖なる音楽にのみ向き合ってきたので、世俗の音楽作品については 殆ど知らぬのだ。だから失礼ながら、今まで お前の作品を聴いたことがない以上、わしの仕事を任せられる者であるかどうか、お前の作曲技量を判断することは、今 出来ない。言い方がきつくて申し訳ないが - 」
と、表情を変えずに そう言いました。

 するとそこへ、先ほどW.A.に屋敷の中を案内してくれた 長身の若者が、水で満たしたガラスの器に 水仙の花束を部屋に運び入れながら、二人の会話に口をはさみました。
「カペルマイスター、宮廷楽長のモーツァルトさんは、お若い頃、ローマ教皇から音楽家として最高の名誉“金の軍騎勲章”を授かっているんですよ。またボローニャでは、カペルマイスターもご存知のマルティーニ神父の推薦で まだ当時10代だったのにアカデミア・フィラルモニカの会員資格を与えられたほどの実力をお持ちです 」
W.A.は、自分の経歴を詳しく知っている この年下の若者の言葉に驚きました。
「なに、この者は マルティーニ神父が推薦したほどの人物なのか? 」
ホフマン師は 長身の青年を信頼しているらしく、その言葉を疑うことはしませんでした。
「・・・恐れ入ります。おっしゃるとおりです 」
と、W.A.は 内心 誇りと嬉しさで胸が高鳴りました。そして、今がその時とばかりに 鞄の中から「キリエ」の総譜を取り出すと、自分に好意的な青年に これを手渡しつつ、カペルマイスターにも顔を向けると 申し添えました。
「これは 私の最近の作品でございます 」
「その譜面を わしに見せてくれ、ジュスマイヤー 」
ホフマン師に「ジュスマイヤー 」と呼ばれた 長身の若者は、W.A.の書いたスコアを丁寧に開き その向きを正すと、恭しい態度で 楽長に差し出しました。カペルマイスターは、車いすに座ったまま 食い入るように、その譜面を見つめました。

 ― つづく ( この物語は パラレル・ワールドのフィクションです。史実との違いを お楽しみください )


■ 今宵の一枚

リリング盤「レクイエム 」hauml;nssler (COCO75120 )
   
Kyrie キリエ ニ短調 K.341(285a )
ヘルムート・リリング指揮 Hermuth Rilling
バッハ・コレギウム・シュトゥットガルト Bach-Collegium Stuttgart
ゲッヒンゲン聖歌隊 Gächinger Kantorer Stuttgart
録 音 : 1991年12月 フランクフルト、ヘッセン放送大ホール

併 録 : レクイエム ニ短調 K.626 ( レヴィン版 )
音 盤 : hänssler 日本コロムビア(COCO-75120 )  
  これほどの大きな楽器編成の割に 6分30秒という比較的短い作品ですが、その深みと緊迫感とを併せ持った繊細な音楽性を聴くにつけ、素晴らしい、たいへんな傑作だと思います。
 この曲もまた ひと昔前までは、1781年「イドメネオ 」上演のために滞在していたミュンヘンの地で バイエルン選帝侯に就職斡旋を依頼する目的から 25歳の若きモーツァルトが作曲したものと推論され続け、これが殆ど定説となっていました。
 しかし1987年の(これもまた )アラン・タイソンの報告を受けて、1991年に発行された「モーツァルト事典海老澤 敏吉田泰輔 監修、東京書籍 ) 」では、最新の研究成果が反映され、「おそらく1787年から1791年(最後の年 )の間に作曲されたもの 」であろう、との 従来の説が大幅に修正されており、この執筆者でいらっしゃる小林 緑氏によれば、「キリエ 」には その「冒頭トゥッティによるニ短調の深々とした響きと、弦のみによる愁いを帯びた半音階的な楽想は、調性を同じくする『レクイエム』の表現世界と無理なく重なり合う - 」、「 - 合唱に彩りを添える木管群の絶妙な使い分け方も、後年のクラヴィーア協奏曲を思わずにおかない 」といった優れた洞察がされていました。これには「晩年の作品の様式に違いない 」と考える“スケルツォ倶楽部”発起人も 諸手を挙げて同意したい 目のつけどころです。
 もし自筆譜さえ残っていれば、近年流行の 使用された紙やインクなどによって年代測定を試みるという方法も可能でしょうが、残念ながら それはかないません (紛失され、現存しないため )。しかし その結果、自由な想像が許される余地も生まれました。
 モーツァルトが その最後の年に シュテファン大聖堂楽長職(補佐 )に志願したのは史実ですが、レオポルド・ホフマンに面会に行く際、持参した自作の教会音楽が この「キリエ 」だった - という部分は、私 発起人の完全なフィクションであります。けれどストーリー上では、この後 重要な「レクイエム 」へのつながりを強く予感させる作品「キリエ 」を、この優れたリリングヘンスラー )盤で繰り返し聴くにつけ、「あぁ やはり この場面には これしかない(!) 」という想いを勝手に強くする、そんな不思議なエネルギーを秘めた 隠れた名曲であることを あらためて感じるのでした。 


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