スケルツォ倶楽部 Club Scherzo
「アフター・シュトラウス & “ バイ・シュトラウス ”」
After-Strauss & “By Strauss”
  もくじ Index は ⇒ こちら

(4)1904年 ジャン・シベリウス
   「悲しいワルツ 」 と メメント・モリ
         
シベリウス「悲しいワルツ」ヘラスヴォ(FINLANDIA)盤 フィンランディア・シンフォニエッタ(FINLANDIA )
 
ジャン・シベリウス 「悲しいワルツ 」
  ペッカ・ヘラスヴォ 指揮 Pekka Helasvuo
  フィンランディア・シンフォニエッタ Finlandia Sinfonietta
併録曲:ヤーネフェルトの劇「クオレマ 」への付随音楽から(4曲 )、「弦楽オーケストラのための即興曲 」、「プレスト 」、「美しい組曲 」作品98a、「田園組曲 」作品98b、「ロマンス 」作品42など
録 音:1985年1月、4月、12月 ラハヤ、ラウレンティウス・ホール
音 盤:FINLANDIA ( ワーナー・クラシカル・ジャパン / WPCS-5711 )


 「死の床に伏す母の傍らで、介護に疲れた息子は つい うとうとしてしまった。
 母は夢うつつの中で、聴こえてくる美しい音楽に目覚め、
 ずっと以前に先立たれたはずの夫とワルツを踊り始める。
 いつのまにか彼女は、夫と共に若き日の美しい容姿を取り戻している。
 その踊りはいつまでも終わることなく続き、彼女は疲れ果ててしまうが、
 やがて重々しいノックの音が聞こえ、ふいに幻の夫も音楽も消え去ってしまう。
 ついに“ 死 ”が 戸口に現われたのである。
 目が醒めた息子は、床に伏している母が、冷たくなっていることに気づく・・・。」


 幽界からの招者の誘惑によって 愛する肉親を引き離され、為す術(すべ)なく 残された家族が 感じる無力感と慟哭だけが 余韻のように残される、これもまたゲーテの「魔王と共通する 劇的なテーマを扱っています。フィンランドの劇作家ヤルネフェルトの戯曲「クオレマ(その意は“ ”)」に付された音楽ですが、扱われている主題は 中世ヨーロッパにさかのぼる 普遍的なモティーフ  “ 死の舞踏 ”です。
 万人を最後の審判へと連れ去る “ 死の舞踏 ” に相応しい舞踏曲として シベリウスが ここで選んだのは、意外にも 優雅で生命力溢れる「ワルツ」でした。
 「死を表現するために、生を描く=ワルツを使う」との結論に至ったシベリウスの 優れた着想と判断力には、今 あらためて感服せざるを得ません。それは、「死」と表裏をなす「生」を直視するという 中世ヨーロッパの伝統的な思考法に沿っており、またヤルネフェルトの題材とも整合します。おそらく長い懊悩と逡巡の末に、天啓のように「そうだ、ワルツを使ってみたら・・・ 」 という アイデアと この優れた旋律がひらめいた瞬間、シベリウスが浮かべたに違いない 会心の微笑みを見ることは、私たちには許されていません。
 所詮「未来から鑑賞する 」立場である私たち現代人にとって、この場面の音楽として ワルツ以外の曲を想像しようとすることは、今日(こんにち )もはや 不可能でありましょう。
シベリウスの肖像(1915年 シベリウス博物館)
ジャン・シベリウス 「最初はグー 」

 連想するのは、シベリウスと同じ北欧(ノルウェー )の画家エドヴァルド・ムンクも、死の舞踏を テーマに作品を残していることです。 
ムンク「少女と死 」(1893年 オスロ、ムンク美術館蔵 )  
ムンク 「少女と死 」 オスロ・ムンク美術館蔵
 骸骨と抱き合ってダンスする全裸の少女の周りには 何故か精子と胎児が配されているという不思議な構図で、これは 評論家の野村太郎氏によれば 「生と死の抱擁の場面が、そのまま生命の謎を秘めた交合・受胎の場であることを象徴している。死と表裏をなす生の現実を直視することこそ “ 常に死を思え(メメント・モリ Memento mori ) ” にかかわるムンクの命題 」であった、と解釈されています。これは、結果的に シベリウスの着想 - 死を思うことによって 生を肯定すること - と 根本で繋がっているようです。

■ 本日 おススメの一枚は - 
 さて、このディスクにおける「悲しいワルツ」の演奏は、フィンランドの名門ヘルシンキ・フィルのメンバーによって編成された室内オーケストラによるものです。少編成の弦楽メンバーに近いポイントでマイクもセッティングされているらしく、最初の微細なピッツィカートの静かに弾ける響きが ホールの隅々へと ゆっくり広がってゆく臨場感も豊か。堅めの撥で叩かれるティンパニの音も好ましく、私にとってはもちろん未知の ラウレンティウス・ホール ですが、この残響豊かで自然な録音を聴く限り、きっと素晴らしい音響空間なのでしょう。
 指揮のペッカ・ヘラスヴォは、ヘルシンキ音楽院で教鞭をとるかたわら、ヘルシンキ・フィルの第2ヴァイオリンのトップも務め、指揮者としての活躍こそフィンランド国内オーケストラの客演に限られているものの、自国シベリウスのスペシャリストとして 高く評価されているそうです。


■ 以下は、「おススメの一枚 」を 夫が入手した時のこと
 - 余計な話題なれど( by 妻 ) - 

 いつもありがとうございます。発起人(妻 )です。
 ちょっと聞いてください。ウチのヤツ(ダンナ )ったら、寒い冬になると、わざわざ静かな真夜中に起きてきて ヒーターの前で シベリウスを 2時間でも 3時間でも黙々と聴いてるんですよ、絶対ヘンですよね。
 心配になって 昨日の夜中、わたしも起きてみて、遂に 現場を押さえました!
 それは すでに午前3時、厚い白靴下を履き、黒いタートルネックのセーターを着込み、冷たいブルー色のLEDデスク・ライトの灯の下で、「タピオラ 」を カラヤン / ベルリンPo.(EMI )盤なんかで 聴いていやがる。
 うーん、どうやら 北欧のフィヨルドに想いを馳(は )せている らしい。 
 ⇒ 評判のわるかった記事は、こちら(笑 )をクリック 

わたし  「コラコラ、灯油代も電気代も モッタイナイじゃないのっ。それに 夜中に独りでなにを飲んでんのよっ」
    「あれれ、起きてきちゃったのか。 熱い紅茶に ブランデーとストロベリー・ジャム少し入れると ホッとする美味しさなんだぞ。オマエも 自分のティー・カップ持ってこいよ 」
わたし  「え ♡ 作ってくれるのー (いきなり上機嫌になり )。夫と一緒に 北欧のフィヨルドに想いを馳せることにしましたw ) 」
    「あ、そうそう、シベリウスの めずらしいワルツの 国内盤を、御茶ノ水のユニオンで見つけたんだった、聴くか? ほら この堀出物 」
-  本日 おススメの シベリウス:室内オーケストラのための小品集(WPCS-5711 )を見せる -
シベリウス作曲「美しきワルツ? 」

わたし  「・・・本当だ、“美しきワルツ”ですって? たしかに聞き慣れないタイトル。さすが FINLANDIAレーベル、こんなワルツもあったのねー 」
    「BIS 15枚組 “シベリウス主要作品全集”の中にさえ入ってない、オレも 全然知らない曲だったんで、思わず興奮してレジに走ったさ、かけてみよう 」
わたし  「わーい 」
-  で、聴いてみると・・・  -

    「うーむ、この静かなピチカートの出だし なんか“悲しいワルツ”に 似てるなー 」
わたし  「 ・・・ あのさ、 」
    「 ・・・ ? 」
わたし  「コレって、“悲しいワルツ”じゃん 」
    「 ・・・ うーん、やられたな。裏ジャケ誤植か 」
わたし  「(嘲笑 )よく見なさいよ、“美しきワルツ”w の脇に ちゃんと“Valse triste”って、しっかり書いてあったじゃないの。第一 “クオレマ” の中に、もともとそんなタイトルの曲、無いでしょ。“悲しいワルツ”のミスプリだって お店で気づかなきゃダメじゃん。アナタ、それでも 一人前のクラヲタなのかしら?」
    「 - むむっ、そ それは 否定も肯定もしたくない・・・」


1904年  日露戦争(~ 1905年)
       ロマン・ロラン、「ジャン・クリストフ」
       プッチーニ、歌劇「蝶々夫人」
       ドヴォルザーク没

       マーラー 交響曲第5番 初演  に続く・・・

↓ 清き一票を
にほんブログ村 クラシックブログ クラシック音楽鑑賞へ
にほんブログ村
blogram投票ボタン
人気ブログランキングへ
Club Scherzo, since 2010.1.30.

関連記事
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

トラックバック

トラックバック URL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)