スケルツォ倶楽部
名優ゲアハルト・シュトルツェ Gerhard Stolze の演技を聴く
 オルフ「オイディプス王」(クーベリック)D.G.ゲルハルト・シュトルツェ(最小サイズの肖像写真)   目次は こちら

「 これは、と思う演奏家が見つかったら、自分のすべてを賭け、
 心中するつもりで紹介しなければならない。 」   - 宇野功芳



(1)はじめに

 ゲアハルト(ゲルハルト )・シュトルツェ (1926~1979 ) Gerhard Stolze - あるいは Stoltze - は、私 “スケルツォ倶楽部”発起人 が 心よりその才能を愛する、一世代ほど前のドイツの名テノール歌手であります。
 彼はワーグナー楽劇「ニーベルングの指環」におけるミーメローゲなどをその代表的な役柄とする性格テノール(Charaktertenor ) で、真に実力派の演技者でした。1950~60年代にメジャー・レーベルに残された数々の名録音を通して 世界的にその評価は極めて高く、我が国においても有名な存在でしたが、オペラでは専ら脇役専門と見られてしまったせいか、最近では さすがに表立って話題にのぼる機会も減ってきました。しかし、かつては黒田恭一氏や 美術研究の宮下 誠氏(お二人とも昨年2009年、惜しくも他界されました)が、この名優について熱心に語っておられたのをご記憶の方も多いことでしょう。
 あらためて、この名優の主要な録音を聴き直しながら、資料に基づいて綴ったゲアハルト・シュトルツェ小史、彼と関係のあった演奏家についての情報、シュトルツェが演じてきた配役や オペラについての考察、また蛇足ながら 私自身の感想、音盤にまつわる個人的な思い出から 駄話まで、語らせて頂きたく存じます。何卒お付き合いのほど、よろしくお願い申し上げます。

■ 「性格テノールを聴く 」という、屈折した醍醐味 
 主にワーグナー以降のドイツ・オペラで活躍する「キャラクター」テノールの存在は独特で、イタリア・オペラにおけるテノーレ・ブッフォTenore Buffo(この分野にも かつてピエロ・デ・パルマという逸材がいましたが、)とも微妙にニュアンスは異なり、歌唱力以上にドラマを演じる能力と声の表現に求められる大きな比率は 文字どおり個性=キャラクターなのです。
ピエロ・デ・パルマ(D.G.) 
ピエロ・デ・パルマ

 彼らは、舞台では主役を引き立てる損な役回りが多い代わりに、一度その演技力をアピールすることに成功すると、主人公を超えるほどの強烈な印象を聴衆に与えることも 決して不可能ではありません。
 鮮明な視覚情報の伴わない過去音源を鑑賞することが多い私たちにとって、たとえば楽劇「ジークフリート」を思い出して頂くとわかりやすいと思いますが、延々と二人のテノール歌手がやり取りする情景が続くような場面、歌手の技能によっては じっと聴き続けることに苦痛を感じる瞬間って 正直 ありませんか(私だけでしょうか)。本来であれば、二人のテノール歌手(ヘルデンキャラクターと)の声質や個性の差異をこそ 聴いて楽しめなければウソだと思うのです(尤も 受容する聴き手側に問題がある場合は、別ですが)。同じテノール歌手であっても、ミーメ役がジークフリート役と際立って異なる声質を備えており、その上で演技やキャラクター作りで勝負してくれたとしたら、「ジークフリート」前二幕を聴く鑑賞者側の楽しみは、間違いなく倍増します。
 シュトルツェの功績は、正に 性格テノールとはいかに在るべきか を、自身の能力を最大限に使って、明確に示現したことに尽きると思うのです。

ゲアハルト・シュトルツェの 特異なおもしろさ 
 シュトルツェの歌唱は、キャラクター・テノールの先輩格世代にあたるユリウス・パツァークパウル・クーエン(キューン)らと比較しても、その違いは 一目(耳?)瞭然。いわゆる「オペラ歌手」、いわゆる「テノール歌手」にあるまじき「美しくない」地声でありながら 正確無比な音程とリズム感、そして計算された表現力と抜きん出た演技力を同時に備えていました。
ユリウス・パツァーク(Preiser) パウル・クーエン(キング・レコード) 
(左から) ユリウス・パツァーク、 パウル・クーエン 
 
 生前、アメリカの批評家からは「神経症のシュプレッヒシュティンメ」などと 時に貶(けな)されることさえあった独特の歌唱は、言うまでもなくシュトルツェが意図的に選択した表現手法でした。舞台上で配役になり切って台詞を発する時、その旋律表現よりリズム表現に強く重点を置いた方が、聴衆の前で遥かに大きな効果を発揮することを、おそらく先天的な才能によって直感的に知り尽くしていたのでしょう。
 たとえば、「マイスタージンガー」の徒弟ダーヴィットを 彼が演じる時、それはあたかもワーグナーが創作した中世ドイツの架空の世界から 若い靴職人が「シュトルツェの肉体を借りて」現実の舞台上に飛び降り、親方ザックスの機嫌を取ろうと 右往左往する姿を、生き生きと体現し始めるようです。
 おそらくシュトルツェは新しい配役を与えられる都度、譜面の習得だけでなく、その登場人物のキャラクターを自分のものにするため、あらかじめ台詞一行の隅々から 休符ひとつに至るまで すべてのフレーズを研究するだけでなく、どこに、いかなる発音を、強弱を、抑揚をつけるか、ひとつひとつ綿密に検討を加えながらリハーサルを繰り返し、時間をかけてその性格の肉づけを深めていったに違いありません。
 その結果、聴く側にとっては それらの個性すべてが新しく、戦前・旧世代の歌唱とは一線を画している(はっきり言って「おもしろい!」という)ことに気づかされます。当時のオペラ愛好家からは、その存在を熱烈に支持されたに相違ありません。
 現在の私たちは、残された録音からしかシュトルツェを語ることが出来ない立場ではありますが、数少ない音盤はどれも 聴けば聴くほど「真に語り継ぐ価値のあるアーティストである」という、本物だけが与えてくれる感銘を 深めてくれる名唱ばかりなのです。 
エルヴィン・ヴォールファールト(PHILIPS) ハインツ・ツェドニク(D.G.) Graham Clark
(左から )エルヴィン・ヴォールファールトハインツ・ツェドニクグレアム・クラーク  
 シュトルツェの先駆けた大いなる功績があったからこそ、その後に続いた後輩世代 - 狂ったように哄笑するミーメが印象的だったエルヴィン・ヴォールファールト、卓越した演技力が映像などでも実証されているハインツ・ツェドニクグレアム・クラーク ら - の跳躍もあったのだ、と 断言したいです。

(2)シュトルツェ 初期の楽歴 に続く・・・

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