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スケルツォ倶楽部 Club Scherzo
「アフター・シュトラウス & “ バイ・シュトラウス ”」
After-Strauss & “By Strauss”
  
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(20)1948年 アントン・カラス 映画「第三の男 」から
「カフェ モーツァルト・ワルツ 」


映画「第3の男 」ジョゼフ・コットン(1949 ) Anton Karas(UCCD-7146 )
(左 )映画「第三の男 」から プラーター公園の観覧車シーン、
(右 )アントン・カラスツィター演奏集(Decca盤 )のジャケット

アントン・カラス (ツィター )
「第三の男 」 ~ ハリー・ライムのテーマ、 「同 」 ~ カフェ モーツァルト・ワルツ、あてはずれ、ツィター弾き、わが心のあこがれ(以上、カラス )、飲もう 兄弟たちよ(リンデマン )、オッタクリンガー行進曲(フォデル )、グリンツィングに もう一度(ベナツキー )、プラーター公園に また春が来て(シュトルツ )、リリー・マルレーン(シュルツェ )、ウィーン わが夢の街(ジーツィンスキー ) 、我がマッツラインスドルフ(オーベルマイヤー )歌の街 愛しのウィーン(シュトレーカー )、私のママはウィーン生まれ(グルーバー )
録音:1963年
Decca (ユニヴァーサル / UCCD-7146 “Vienna, City of Dreams” )盤

 
 スイス、オーストリア、ドイツ南部の代表的な民族楽器ツィターと言えば、ヨハン・シュトラウス二世が ワルツ「ウィーンの森の物語 」のイントロダクションで用いた、森に生息する野鳥のさえずりを模したようなフルート・ソロに引き続き、朝霧煙る樹々の隙間から流れてくる名フレーズが やはり思い出されます。ウィリー・ボスコフスキーが指揮するウィーン・フィルのレコード(Decca / 1962年録音 )に針を落ろしてみれば、アントン・カラスのツィターが 個性的な節回しで あの魅力的なレントラーを奏でていることは、すでに皆さまもご存知のとおりですよね。

 アントン・カラス Anton Karas(1906-1985 ) Wikipedeia ボスコフスキー ウィンナワルツ名曲集 (SLC-8006 )
(左 )アントン・カラス Anton Karas(1906 ~ 1985 )
(右 )懐かしのボスコフスキー/ウィーンフィル ウィンナ・ワルツ集(キングレコード SLC-8006)LP盤


 しかし このローカルな民族楽器ツィターを 世界的に有名にしたアントン・カラス Anton Karas(1906 ~ 1985 )の功績と言えば、やはり戦後間もない頃に製作、封切りされた イギリス映画「第三の男 The Third Man (1949年製作、原作グレアム・グリーン、製作・監督キャロル・リード、企画アレクサンダー・コルダ、撮影ロバート・クラスカー第三回カンヌ映画祭パルムドール受賞 ) 」の音楽でしょう。
映画「第3の男」タイトル グレアム・グリーン キャロル・リード
(左から )映画タイトル画像、原作グレアム・グリーン、製作・監督キャロル・リード

 映画「第三の男 」のサウンド・トラックは、開幕冒頭からラスト・シーンまで カラスが歯切れよく爪弾くツィター1本だけ、他の器楽やオーケストラなどは一切使用されていません。
アントン・カラスの演奏による チター音楽
映画タイトルから 「ツィター音楽、アントン・カラスによる演奏

 そんな 意表を突いた大胆な起用は この映画の大成功に貢献し、カラスの作曲した主題曲として名高い - あの印象的な「ハリー・ライムのテーマ 」も空前の大ヒットとなり、映画公開後の1950年4月から7月にかけてなんと11週間もの間 全米ヒットチャートの首位を独走し続けたという凄まじい快挙を成し遂げたのです。
 もともとカラスは 週給15ドルでホイリゲ(居酒屋 )のツィター弾きを務めていた辻音楽師に過ぎませんでした。彼の運命が激変したのは1948年 - 当時はウィーン国立歌劇場も空襲で全壊、無音と静寂が支配する「音楽の都 」で 一般に聞くことができた音楽と言えば、ホイリゲの歌声 ひなびたツィターの伴奏ぐらいしか無かったのではないでしょうか - それは 映画の舞台となるロケ地ウィーンに滞在していたキャロル・リード監督が 偶然 立ち寄ったホイリゲで演奏していたカラスのツィターを耳にし、その哀愁を帯びた民族楽器の音色が まさに製作中の映画「第三の男 」にぴったりの効果的な機能を付与し得ることを直観した瞬間でした。
 これによって ひとりの楽師の その後の人生は一変してしまいました。当時の 音楽家としては稀にみる成功を収めることになったカラスの、しかし その後半生は、自分自身が最も愛していたはずのウィーンの街から歓迎を受けなかったばかりか、逆に いわれのない激しい妬(ねた )みや嫉(そね )みを浴び、特にその晩年は不遇であったと伝えられます。

■ 映画に記録された、大戦直後のウィーンの光景 
 ご存知のとおり、映画「第三の男」は 第二次大戦直後の荒廃したウィーンが舞台です。
 “スケルツォ倶楽部”発起人、今回は久しぶりにDVDで映画を見直し、さらにグレアム・グリーンの原作も 図書館で借りてきて - こちらは初めて - 読んでみました。

 DVD「第三の男」 映画の冒頭シーン
 
( 以下、ストーリー ≪ネタばれ≫ を含みます。もし出来得るなら 映画をご覧になってから お読み頂けますと、きっと興味も倍増です  )

 ・・・第二次世界大戦後 あらゆる物資が不足する かつての「帝都 」ウィーンで、苦しむ病人の弱みにつけ込み 水で薄めて薬効もないインチキ・ペニシリンを闇で売買することで卑怯な荒稼ぎするハリー・ライム(オーソン・ウェルズ )は、警察の追及の手をまぬがれるため 交通事故を装って自分自身が死んだように偽装します。
 この事実を知らずにウィーンを訪れたアメリカ人 - 原作ではイギリス人 - 作家ホリー・マーティンス(ジョセフ・コットン )は、学生時代から親友だったハリーの突然の事故死に不審を抱き、ウィーンにとどまることになります。そこで かつてハリーの恋人だった女優アンナ・シュミット(アリダ・ヴァリ )をはじめ、事故の目撃者や「生前の 」関係者たちと面会を重ねながら 真相を求め、私的に調査を開始するのでした・・・。

 映画の冒頭シーン(シュトラウス記念像 ) 映画の冒頭シーン(ベートーヴェン象)
(左から )映画冒頭に映し出される 戦後ウィーンの映像
 
 終戦直後 一時的に米英仏ソが分割統治していた時期 - ウィーンには もはや旧き良きハプスブルク家の残滓は無く、戦火によって全てが打ち壊された古都の光景が 実写で記録されていたことは、今となっては貴重な映像資料と感じます。
 映画の冒頭シーン(廃墟のウィーン) 映画の冒頭シーン(廃墟のウィーン).

■ グレアム・グリーンによる 原作の序文を読むと・・・
グレアム・グリーン全集「第3の男」
グレアム・グリーン全集11(早川書房 )「第三の男(小津次郎 = 訳 ) 」
併録 : 「落ちた偶像(青木雄造 = 訳 ) 」、「負けた者が みな貰う(丸谷才一 = 訳 ) 」

 
 原作「第三の男 」の序文を読んで驚いたのは、原作者であるグレアム・グリーンによると この作品は もともと最初からキャロル・リード監督が製作する映画の素材として企図されていたもの( 「読んでもらうためにではなく、観てもらうために書いたもの 」 )だった というくだりです、知りませんでした。グリーンは、物語を仕上げずにシナリオだけを サラサラ書いてしまえるほど器用な種類の作家ではなく、この小説は 最初から出版を前提とせずに書かれた物語だったわけです。
 有名な映画シーンの数々・・・夜の街路に佇(たたず )む男の顔を一瞬だけ照らす 住居の窓の灯りの下、カメラがアップになると、親友マーティンスの視線に気づいたのか ハリー(オーソン・ウェルズ )が一瞬 懐かしげにニコッとする その絶妙なる表情!
 ハリー・ライム(オーソン・ウェルズ).

 ・・・また プラーター公園を舞台に選び、大観覧車を大道具に使った あの有名なシーン。
 「プラーター公園の観覧車で待っているから 」 下から観覧車を見上げる

 この映画に登場してからというもの、プラーター公園大観覧車ウィーンを象徴するシンボルとして それまでに増して有名となり、ウィーン音楽などを収録したディスクの表紙やジャケットとして、しばしばお目見えするようになりましたよね。
 たとえば、以下のような。。。。。
 ウィーナー・リート名曲集(TECC-28044 ) Reichert Ensemble 13 Baden-Baden(BVCD-38062 )
(左 )ウィーナーリート名曲集(テイチク、TECC-28044 )
   クルト・リドル(バス )、ハインツ・ツェドニク(テノール )
   「ウィーンの辻馬車の歌 」、「ウィーン、わが夢の街 」、「私のママは ウィーン生まれ 」他 全16曲
   録音:1989年5月、ウィーン

(右 )シェーンベルク、ベルク、ウェーベルン編曲による
   「ヨハン・シュトラウス、ワルツ名曲集 」
(DHM、BVCD-38062 )
   「皇帝円舞曲」、「南国のばら 」、「酒、女、唄 」、「わたしの恋人 」
   マンフレート・ライヒェルト Manfred Reichert指揮
   バーデン=バーデン合奏団 Ensemble 13 Baden - Baden
   録音:1977年6月、バーデン・バーデン

    ・・・特に、こちらの斬新な写真デザイン、演奏の中身と共に コレ かなり好きです。

 そして この観覧車から降りたところで さりげなく飛び出す、古今の映画芸術の中でも 最も有名な ハリー・ライムの台詞
 「ボルジア家による30年間の統治は 圧政と言っても ミケランジェロやダ・ヴィンチら 素晴らしいルネサンス芸術を生んだじゃないか。その一方、スイス500年もの平和がもたらしたものは? ふふん、鳩時計だけだよ 」 
 ハリー(右 )とホリー(ジョゼフ・コットン  )
 
 この鋭い台詞は さすがの原作にもありません。まるでチャップリンが好みそうな言葉ではありませんか。これは ハリーを演じたオーソン・ウェルズによる才気奔ったアドリブだったそうです。

 ・・・映像化されることによって一層効果的となった名場面の数々は、キャロル・リード監督がグレアム・グリーンと緊密に打ち合わせ、時には原作者に了解を得ながら重ねていった協力作業の結果だったに相違ありません。
 グリーン原作の序文でこうも書いているからです - 「読者は 物語と映画との間に多くの差異を認められるだろうが、そうした変更が、嫌がる著者に強制されたものだなどとは考えないでいただきたい。おそらくは、著者自身が示唆したものであったろう 」 そして 最後に こう述べています - 「事実、この映画は 原作の物語よりも良くなっている 」(小津次郎 = 訳 )

 特筆すべきは 有名なラストシーンウィーン中央墓地から市電の停留所までの長い並木道の素晴らしいロングショット、道端で彼女を待つ ジョセフ・コットン の前を、まるで他人のように一瞥も与えず 足早に通り過ぎてしまうアリダ・ヴァリ

 映画「第3の男 」ジョゼフ・コットン(1949 )ラストシーン 映画「第3の男 」ジョゼフ・コットン(1949 )ラストシーン.

  ・・・しかし このラスト、実は グリーン原作を読むと、映画とは相当ニュアンスを異にした、かなり意外な結末になっていたことに、えっ? て 驚かされます。 
 今回 原作を読んでみた 私 “スケルツォ倶楽部”発起人は、この場面こそ 絶対に「映画は 原作の物語よりも良くなっているグリーン談 ) 」最たる部分である - と信じるものですが、ここは さすがにネタばらし自粛・・・ ご興味をお持ちになってくださった方は 一度ぜひ 原作をお読みになってみてくださいね。 
 なお、グレアム・グリーンの「第三の男 原作の中で 語り手を務めている「 」とは ハリーの親友マーティンスではなく、英国軍警察キャロウェイ大佐ですから ご注意のほど。

■ 「カフェ モーツァルト・ワルツ 」が流れるシーン
 「死亡した 」親友ハリーの死に疑念を抱いたホリー・マーティンスは、事故現場に居合わせたというクルツ男爵(演じるのは プラハ出身の性格俳優 エルンスト・ドイッチュ Ernst Deutsch 1890 - 1969 )と面会します。
 この男 - クルツ男爵 - 彼も 自分がハリーの親友だったなどと自称していますが、もう一目でアヤシイです。
 しかし よく考えてみると、男爵は、この映画に登場する主要人物の中で おそらく唯一、生粋のオーストリア人 なのです。ハリー・ライムマーティンスアンナキャロウェイ大佐も みんな いずれも外国から このウィーンへやってきた人たちばかりが ドラマを進行させていることに お気づきでしょうか。
 クルツ男爵 は 初対面のマーティンスに 不自然なほど好意的で、ハリー・ライムの死は「ただの不幸な事故であった 」と繰り返し、闇取引に関係していたことなども 知らない、知らない。しかし ウィーンではそういう行為は生きるためには仕方のないことで 日常茶飯事、ボクもやったことあるよ、辛(つら)かったなー、アナタはこの事件には深入りしない方がいい、早くアメリカへ帰国した方がいい、などと マーティンスに「親切に 」勧める - という、もしコレがオペラだったら ぜひゲアハルト・シュトルツェに演じてもらいたいようなキャラクターなのです。

カフェ モーツァルトでクルツ男爵と会う.
カフェ モーツァルトクルツ男爵を演じる エルンスト・ドイッチュ (右 ) 
 このシーンのカフェ モーツァルトとは、ウィーン国立歌劇場裏手のアルベルティナ広場に1854年のウィーン会議当時からあったという ウィーンを象徴する老舗でした。かつてはモーツァルトの像があり、それでこの店名が冠されていました。今はもうありません。現在 ウィーン観光案内ガイドなどに 掲載されている同名のカフェは、その後(近所ですが )当時とは別の場所に移転されたものだそうです。
 そこでお会いしましょう - と 最初に電話でマーティンスに提案したのは クルツ男爵の方でしたが、この人物を オーストリア没落貴族の自称「男爵 」という設定に仕立てたのも リード監督のアイデアでした。
 そもそも1919年、共和制となったオーストリアは、もし 王権の放棄を宣言しなければ ハプスブルク家の人間の財産は共和国国家に没収する、という厳しい法令を公布しました。その結果、王家の人々はそのほとんどが近隣諸国へ亡命してしまうのですが、貴族の一部の末裔は 普通の人となって オーストリアで生活を続けることになったのでした。
 映画のこのシーンでのクルツ「男爵 」の台詞 - 「ボクが闇市でタイヤを売っていたなんて聞いたら、亡き父は さぞ嘆くだろうなー 」とは、まさしく 彼ら没落貴族の哀れな境遇を通し、かつて繁栄を極めたウィーンという街が もはや すっかり形を変えてしまっていること - その「諸行無常 」を表現する小道具のひとつとして、この場面 - わざわざ かつてのウィーンの象徴であるカフェ モーツァルトを 舞台背景に選んだ上に - リード監督は そのサウンド・トラックでも アントン・カラスに そこでわざわざ ワルツを演奏するよう指定したのではないか - と考えてしまいます。
 ・・・はい、そうです。ワルツが象徴するものとは、長い時間をかけ ヨーロッパの芸術遺産を熟成させた - まさに失われし過去のハプスブルク帝国そのものだからです。

■ 映画のオリジナリティを生かした演奏を聴きましょうね
 カラスは、映画「第三の男 」の主題として有名な「ハリー・ライムのテーマ 」と共に、このワルツ「カフェ・モーツァルト 」の録音も生前 数えきれないほど残しましたが、いくつかの異なるヴァージョンでは(PLATZ 日本コロムビア盤など )いささか無神経で賑やかなシュランメルンの伴奏がオーバー・ダビングされてしまい、せっかくの風情を尽く台無しにしていますから、映画の雰囲気を大事にした演奏を聴きたい人は ディスクを選ぶ際に 要注意です。
 そもそも映画の全編にわたって なぜキャロル・リード監督が サウンド・トラックをカラスツィター 一本だけに絞ったのか - という真意を知れば、これを尊重したくなるのは 自然なことではありませんか?
 少なくとも冒頭にご紹介したDecca(ユニヴァーサル / UCCD-7146 )盤における「カフェ モーツァルト・ワルツ 」は、正しく 一台のツィターによる カラスのソロ演奏ヴァージョンが聴けます。私 “スケルツォ倶楽部”発起人が推薦するのは こちらですから。

1949年  北大西洋条約(NATO ) 西側12カ国がワシントンで調印。
      米英仏ソ ベルリン封鎖解除声明。
      ドイツ連邦共和国(西ドイツ)、ドイツ民主共和国(東ドイツ)成立。
      イスラエル、国連決議に反し 首都をテルアビブからエルサレム移転
      ショスタコーヴィチ、オラトリオ「森の歌 」
      三島由紀夫「仮面の告白 」
      NHKラジオ「大作曲家の時間 」、「シンフォニーホール」、「音楽の泉 」放送開始
      リヒャルト・シュトラウス、メーテルリンク、没。

1950年  朝鮮半島38度線全域で 韓国-北朝鮮軍衝突、朝鮮戦争始まる。
      世界平和会議ストックホルム総会、核兵器絶対禁止要求をアピール。
      プロコフィエフ、交響曲第5番。
      ルロイ・アンダーソン「ワルツィング・キャット 」
 に続く・・・

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