本記事は 4月 4日「 人気記事ランキング クラシック音楽鑑賞 」で 第1位 となりました。
皆さまのおかげです、これからも 何卒よろしくお願い申し上げます。


スケルツォ倶楽部
名優ゲアハルト・シュトルツェの演技を聴く
 オルフ「オイディプス王」(クーベリック)D.G.ゲルハルト・シュトルツェ(最小サイズの肖像写真)  目次は こちら

(21)1962年、病苦を克服
  : バイロイト「タンホイザー 」に出演


■ 1962年5月のカラヤン / ウィーン国立歌劇場「指環 」上演
 文章は 前回の時間から前後し、再び1962年の年頭へと戻ります。
 ヘルベルト・フォン・カラヤンウィーン国立歌劇場の芸術監督という重責を1956年以来 背負いながら これと同時にベルリン・フィルの芸術監督、夏のザルツブルク音楽祭、ロンドンのフィルハーモニア管弦楽団、さらに(一時的でしたが )ミラノ・スカラ座も指揮していました。まさに全欧で「帝王カラヤン 」と当時呼ばれていた所以(ゆえん )です。
 
 Herbert von Karajan Staatsoper_Wien.jpg
 (左 )ウィーン国立歌劇場芸術監督時代の ヘルベルト・フォン・カラヤン
 (右 )ウィーン国立歌劇場
 

 この年(1962年 )も 5月~6月に ワーグナー楽劇「ニーベルングの指環 」の完全上演をウィーン国立歌劇場で実施することを計画していたカラヤンは、「ラインの黄金 」のローゲ役には 最高のキャスト、ゲアハルト(ゲルハルト )・シュトルツェを起用しようと 遅くとも1月以前にはオファーを入れていましたが、その「1月 」とは シュトルツェが麻痺性ポリオを発症した、まさしくその月だったのでした(前回の経緯をご参照 )。
 急性期の自分自身の容態から 「5月の舞台出演は無理 」と判断したシュトルツェは、カラヤンからの依頼をキャンセルせざるを得なかったものでしょう。
 結局、この時のカラヤン指揮 / ウィーン国立歌劇場の「ラインの黄金(5月31日 ) 」では、このローゲ役を ヴォルフガング・ヴィントガッセン Wolfgang Windgassen(1914 – 1974 )が 代わって務めることによって( ちなみに ミーメ役は ペーター・クライン )、シュターツオパーにおける「指環 」全曲上演は、6月6日の「神々の黄昏 」まで滞りなく上演され、無事成功を収めています。

■ 過重な負担も はね返す“ ザ・スーパーマン ” ヴィントガッセン
 ヴィントガッセンのローゲ ヴィントガッセンのジークムント ヴィントガッセンのジークフリート
  ヴィントガッセンが演じる(左から ) ローゲ、ジークムント、ジークフリート
  ( バイロイト音楽祭 公式サイト より )

 前回から話題にしているジョン・カルショーの手記「リング・リサウンディング 」によれば、当時デッカが敢行中だった史上初「指環 」全曲レコーディングにおいて、「ジークフリート 」役を務めるヘルデン・テノールが 当初はヴィントガッセンではなかった(! )というウラ情報は、今日すでに完成品であるデッカ全曲盤を普通に耳にしている「未来の聴き手 」である私たちにとっては意外に聞こえる話ですが、これは 関係者を中心に 知る人ぞ知る事実でした。
 「指環 」全曲録音プロジェクト進行時、デッカのスタッフは 新進気鋭( - といっても当時すでに40代 )の、それまでこの役を演じた実績のない某テノール歌手 - 愛称「われらがジークフリート( それが誰だったかは、カルショーの意向を尊重して ネタばらし自粛。 ・・・といっても「彼 」はその後も大成していないので、正解を聞かされても驚くような人選ではありませんが。 ) 」に 大きな可能性を見出し、彼に「指環 」のジークフリート役という重責を託した上、デッカの予算で歌唱コーチまで付けて稽古させたにもかかわらず、結局「その歌手 」には能力的に限界があり、期日までに 役をマスターすることが出来なかったのです。
 「ジークフリート」第3幕、主神ヴォータンが地上に降りた姿とも知らず その孫たるジークフリートが 槍を構えたさすらい人と邂逅する重要な場面、「その歌手 」が失敗を重ねるせいで 畏れ多くもハンス・ホッターゾフィエンザールに集まったウィーン・フィルのメンバーに 何度もやり直しをさせるという イタい 状況を眼前にしたカルショーデッカの制作チーム、さすがに「もうダメだ 」と判断、ただでさえ切迫する録音スケジュールの都合上、「ここでも 」ベテランのジークフリート歌手 = ヴォルフガング・ヴィントガッセンに 急きょ登板要請をせざるを得なくなったのでした。
 快く胸を叩いて これを二つ返事で引き受けるヴィントガッセン - 彼こそスーパーマンでしょう(尤も ヴィントガッセンは 自分の一存で決めてしまったものらしく、その後マネジャー氏とは 大分揉めたようですが・・・ )。
 なにしろ1962年のカラヤン / ウィーン国立歌劇場の「指環 」全曲上演においても、倒れたシュトルツェの代わりにローゲ役を演じたのが このヴィントガッセンだったことは 既に述べたとおり。しかも 彼はその「ラインの黄金 」に続く「ヴァルキューレ 」では ジークムント役も務め、さらに続く二晩( 「ジークフリート 」、「神々の黄昏 」 )に出演する主人公ジークフリート役も一人でこなしていたわけですから ‐ 想像してみてください - 長大な「指環 」四日間のすべて(!)に いずれも主役級の重要な役で出演するという、文字どおりの大活躍を 平気な顔で演じられるほど このヘルデン・テノールは頼れる存在だったのです。
 確かに ローゲジークムントも彼のレパートリーであり、超人的な能力を誇るヴィントガッセンが 一回の公演の中で複数の大きな配役を日常的に兼務することは 当時珍しいことではなかった、という逸話は 皆さんもよくご存知のとおりですが、それにしても ヴォルフガング・ヴィントガッセン・・・ 彼もまた想像を絶する男でした。

■ シュトルツェ、「目標指向的 」リハビリテーションの実践
 前述のとおり、この時期のシュトルツェの身体状況は 年頭にポリオを発症した直後の急性期に比べれば 相当快方に向かってはいたものの、大事を取ってウィーン国立歌劇場への出演については見送り、その代わり 昨年から契約を交わしていた7月のバイロイト音楽祭への出演予定を「挑戦目標 」として、おそらく全力で回復期のリハビリ訓練に取り組んでいたことは 間違いないでしょう。
 その猛烈な努力の甲斐あって、彼は 同年バイロイト祝祭劇場の舞台をその足でしっかりと踏みしめ、自分自身の「目標 」を達成することになるのですが、けれども 考えてみましょう。もしこのような具体的「目標(バイロイト歌劇場で演じるという ) 」を持っていなかったとしたら・・・シュトルツェの症状は これほどまで短期間には 好転し得なかったかも知れないのです。
 これはリハビリテーション(機能回復 )において、患者が生活上 - 時には人生を送る上での - 「目標 」を明確に設定し これを指向するということが いかに重要なことであるかを 深く考えさせられる好例です。「天は自ら助くる者を助く Heaven helps those who help themselves 」などと申します。 シュトルツェは、彼自身が それまで築いてきた能力と環境とによって「自分自身を救った 」のだとは言えないでしょうか。
 目標指向的介護の理論と実際(中央法規出版 )
( 参考 : 大川弥生氏「目標指向的介護の理論と実際 」中央法規 )


■ 1962年「騎士 ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ 」
~ ワーグナー:歌劇「タンホイザー 」


タンホイザー1962 バイロイト(サヴァリッシュ )盤 ヴォルフガング・サヴァリッシュ 推定 シュトルツェ? (サヴァリッシュ盤ジャケットより )
(左から)PHILIPS盤ジャケット、
指揮者ヴォルフガング・サヴァリッシュWolfgang Sawallisch
騎士ヴァルターを演じるシュトルツェ(? )


ワーグナー : 歌劇「タンホイザー 」
ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮
バイロイト祝祭管弦楽団・合唱団、
  ヴォルフガング・ヴィントガッセン(タンホイザー )
  ヨーゼフ・グラインドル(領主ヘルマン )
  アニア・シリア(エリーザベト )
  エベーハルト・ヴェヒター(ヴォルフラム )
  フランツ・クラス(ビテロルフ )
  ゲアハルト・シュトルツェ(ヴァルター )
  グレース・バンブリー(ヴェーヌス )
ライヴ録音:1962年7月、バイロイト
PHILIPS(フィリップスPHCP-1334~6 )


 2年目となるヴィーラント演出による歌劇「タンホイザー 」は、前年に引き続きドレスデン版とパリ(ウィーン )版との折衷版の採用、第1幕のバレエ振付をモーリス・ベジャールに依嘱、また「黒いヴェーヌス 」として 今も鮮烈な印象をもって語られているグレース・バンブリーバイロイト初登場、さらにエリーザベト役に22歳のアニヤ・シリア初登場などと、多くの話題と注目が集まった演目でもありました。ヴィーラントと同じく2年目の「タンホイザー 」となるヴォルフガング・サヴァリッシュの指揮も、第2幕の群衆シーン - 有名な「大行進曲 」の場面などでは コントロールに多少若さを感じさせる部分も散見されるのですが、全曲にわたって快い速めのテンポ、推進力も抜群の音楽で舞台進行は引き締まっています。そんなライヴ・レコーディングが 臨場感に溢れたフィリップスのステレオ録音で残されていることは、実に嬉しいことです。
 シュトルツェは、ヴァルトブルク城の騎士のひとり「ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ 」役としてこの舞台に立っており、しかもその歌唱演技は 録音で聴く限り非の打ちどころがありません。覇気に溢れる、素晴らしいキャラクター歌唱です。麻痺性ポリオの後遺症で体調がすぐれなかったにもかかわらず、これほどまで質の高い歌唱を務めていたとは、一体 舞台上ではいかなる演技・動作を実際していたのか、残念ながら 私には想像することもできません。
 第1幕、享楽の園ヴェーヌスブルクから戻ったタンホイザー(タイトルロールを歌うのは、ここでもヴィントガッセン! です )が、ヴァルトブルク城近くの峡谷で領主ヘルマンヨーゼフ・グラインドル )と騎士の一行らに出会う場面。ヴォルフラムエバーハルト・ヴェヒター )をはじめとする騎士達は、行方不明だったタンホイザーに再会出来たことを喜び、ヴァルトブルク城へ戻るよう熱心に勧める、というくだりを まずご傾聴ください。
 シュトルツェの個性的な声は、グラインドル、ヴェヒター、フランツ・クラス、ゲオルク・パスクーダ、ゲルト・ニーンシュテット といった錚々たる騎士たちの男声アンサンブルの中にあっても 全く埋もれることなく、逆に はっきりとそれとわかるように突き抜けて、こちらの耳に届いてきます。
PHILIPS サヴァリッシュ_バイロイト祝祭歌劇場_タンホイザー_オランダ(A02303-05L )盤
▲ 「タンホイザー 」 蘭 PHILIPS (A-02303~05 )オリジナルLP盤

■ シュトルツェ、「騎士ヴァルター 」に イヤ味キャラを付与(? )
 シュトルツェの演じる「騎士ヴァルター 」は、続く第2幕歌合戦の場で、タンホイザーとは考えを異にすることが判明し、互いに争うことになる(正確には、タンホイザーひとりが孤立する )立場へと分かれてしまうわけですが、ここでシュトルツェヴァルターのキャラクターとして、すでにこの第1幕から タンホイザーに 余所余所(よそよそ )しい態度を演じているように、私には聴こえます。
 他の騎士達と一緒に 再会を喜ぶ同じ歌詞を 大声で歌ってはいるものの、少なくとも本心から歓待していない - という立場を 敢えて「意図的に演じている 」ことを感じるのです。
 そう思って(先入観を持って? ) 台本を読んでみると(渡辺護氏の同国内盤の対訳を参考にさせて頂きました )、最初に タンホイザーが荒野でひざまずいているのに気づいた領主へルマンが「熱心に祈るあの男は誰か? 」と指差して、連れの騎士たちに訊いています。最初に応える騎士ヴァルターは、興味深いことに、それがタンホイザーであることを認めず、無関心に「多分 懺悔している男でございましょう 」などと言い捨てているのです。ヴァルター以外の従者たちは「衣服から察すると騎士ではないか 」、「ハインリヒ(タンホイザー )ではないか 」と、皆すでに気づいているというのに。
 挨拶するタンホイザーを囲んでヴォルフラムら旧友たちが 口々に安否を尋ねる中、ビテロルフと共にヴァルターが発する台詞は、なんと「君は友として来たのか、それとも敵として?(しかも この『敵として? 』をしつこく何度も繰り返す素晴らしい嫌らしさ ) 」。 ・・・これでは険悪に(苦笑 )ならざるを得ないでしょう。
 そんな冷たい空気を 苦労人らしいヴォルフラムが必死にとりなした後にも、ヴァルターの和解らしい言葉は、「お前が平和の心を抱いて帰ってきたならば、歓迎しよう 」という、何とも上から目線の条件付き。あんた スネ夫か。
「騎士ヴァルターは、タンホイザーの帰還を歓迎していないとしたら 」― 台本の行間に注目すれば、当然このような解釈も成り立ちます。そして まさにシュトルツェが演じている脇役キャラ作りはこれだ! との確信を 私は深めます。オペラの幕が上がる前に 二人に一体何があったのか、その前史ストーリーにおいて 彼らの間に生じていた 何らかのわだかまりまでも 聴衆が想像出来るように、実は ワーグナーが意図的に書いたのかも知れない、とさえ考えてしまいます。さらに 台詞の行間を汲んだ有能な歌手がこれを生かすことによって、第2幕歌合戦の場でのタンホイザーと騎士たちとの決裂は、決してあの場で突発的に生じたアクシデントではなく、言うなれば「必然 」だった、というリアリティを持ち得るのです。
 城内大広間での歌合戦の場、ヴォルフラムに賛同して「貞淑なる泉 」の詩を 吟遊詩人騎士ヴァルターに扮してシュトルツェが歌う時、それが「タンホイザーに何らかのわだかまりを持って 」歌っている - という設定のもとに演じられている意図的な「演技 」であるとすれば、シュトルツェにとっては どちらかと言うと 彼の本領とは言えない、朗々と格好良く声を張り上げる ここでの唱法は、もちろん 役に応じた「演技 」だからなのです。
役柄の立場や背景を考察して、自分が演じる脇役に深みをつける、その結果としてドラマに深みを与えることにも貢献する、さらに重要なことは、そのための工夫・努力の痕跡も極めて自然な形で聴き手に伝わるということ・・・これこそが、名優シュトルツェに備わった才能の本質でした。

■ コヴェント・ガーデン王立歌劇場へ客演している筈ですが ・・・詳細不明!
 同年、その身体には まだ若干麻痺の後遺症を残しつつも、見事 舞台復活を遂げたシュトルツェ、大事な発声器官の方は文句なく絶好調、ロンドンコヴェントガーデン王立歌劇場にもデビューしています。
 それは、デッカの楽劇「ジークフリート 」録音によって 彼の能力に信頼を置いたゲオルク・ショルティが音楽監督を務める(1961年~1971年 )ロンドンでの「指環 」連続公演において ミーメ役でたびたび客演することになったと伝えられているのです。シュトルツェは、その後1967年までショルティに協力し、同演目に出演していたそうです。
 また、この地 コヴェント・ガーデンにおいて、ベンジャミン・ブリテン Benjamin Britten( 1913 – 1976 )作曲の歌劇「真夏の夜の夢 」で シュトルツェ妖精の王「オーベロン 」を演じた(!)という魅力的なキャスティングの記述を 何かで読んだ記憶 - のみ(・・・すみません、未確認 ) - があり、しかし 今回いくら探してもこれについて書かれた資料は少なく、詳述出来ないことをお詫びします。
 果たして その他のキャスティングはどうだったのでしょうか、やはりシュトルツェはファルセットで歌ったのでしょうか、英語で、しかもあの声で?(シュトルツェが発音するイングリッシュ、想像出来ない! 聴きたい! )、実況録音はないのか、など 調べましたが、すみません、現時点では録音記録も無く、結局 これ以上は 私には何もわかりませんでした。ただ このオペラの 少なくとも「ドイツ初演では 」同役を演じた(渡辺護氏による記述あり )ことは 間違いなさそうです。この当時 シュトルツェが 如何なる形で ブリテン=シェイクスピアの世界を表現していたか、たいへん興味深いところです。
 
 これより4年後(1966年 )、作曲者ベンジャミン・ブリテン自身の指揮、ロンドン交響楽団等によってスタジオ録音されることになる歌劇「真夏の夜の夢 」全曲Decca盤(UCCD-3642~3 )では、アルフレッド・デラーがオリジナル指定どおりカウンター・テノールで「オーベロン 」を演じているのを 聴くことができます。
Benjamin_Britten_1945.jpg ブリテン 真夏の夜の夢 UCCD‐3642. アルフレッド・デラー
 (左から)ベンジャミン・ブリテン、「真夏の世の夢 」デッカ盤ジャケット、アルフレッド・デラー
 注 : この録音には シュトルツェ不参加です。

  「オーベロン」は女声が演じることもある役ですが、カウンター・テノールヨッヘン・コヴァルスキがレパートリーにしていたことでも かつて話題になりましたね。

 以上、このコヴェントガーデン王立歌劇場出演に関わるシュトルツェの項目、資料がとても少なく 殆ど 間接的な情報しか入手することが出来ませんでした。
 けれど 数年前にはルドルフ・ケンペが指揮する1957年のコヴェントガーデン「指環 」公演の全曲ライヴ録音が 突然 テスタメント社からリリースされたりしているほどですから、録音後50年という著作隣接権の消滅期間なども関係しているのか(実は あまり詳しく知りませんが )、そうだとすれば 1962年以前の録音なら 来年2012年以降には 聴けるようになる可能性があるということではないでしょうか? ショルティコヴェントガーデンで活躍していた時期の仕事には とても関心があります。もし聴けるようになるのであれば、それは大歓迎です。
 いずれにせよ 本稿、ロンドンにおけるシュトルツェの活動を詳しくお伝えできぬ情報収集力の低さを 重ねてお詫びしなければなりません。しかし聴いたこともない演奏について 感想を書くことは出来ませんから、最後に恐縮しながら、もし お詳しい方 いらっしゃいましたら どうかご教示のほどよろしくお願い申し上げます。

【 若干の補足情報あり。 コメント欄を ご参照ください 】

(22)「ポッペーアの戴冠ネロ帝を演じる に続く・・・

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コメント

Kurwenal さま、ご推察のとおりかも

Kurwenal さま、重ねて 正確な追加情報 誠にありがとうございます。
たまたま 本日、音楽之友社「指揮者のすべて(1996年 ) 」というムックを開いていたところ、浅里公三氏のお書きになったき アルフレッド・デラー の項の中に 興味深い文章をみつけました。
それによると、ブリテンは カウンター・テノールのデラーのために 「真夏の夜の夢 」のオーベロンのパートを書いたのだそうです。そして デラーが 1960年の初演では オーベロン役を務めていた・・・という記事です。
普通に考えれば、ブリテンが「真夏の夜の夢 」初演から まだ間もない この時期に ロンドンのコヴェントガーデンで 外国人 - ドイツ人 - たる シュトルツェを オーベロンに起用するということは 少し不自然ではないか ・・・たしかに Kurwenal さまのご賢察のとおり、 これは シュトルツェが 「真夏の夜の夢 」のウィーン初演時に オーベロンを務めていた という情報が 私の記憶の中で 混線したものかも知れません。
考察を深めた 貴重なお便りを頂戴し、重ねてお礼申し上げます。

バイロイトにおける歴代ローゲの記事、Kurwenal さまの 多くの情報量とご見識、楽しみにさせて頂いております。 貴「本日のライヴ録音 」http://liverecording.blog49.fc2.com/ 勝手ながら、 “スケルツォ倶楽部” にも リンクさせていただきました。 こちらこそ どうぞ よろしくお願い申し上げます。

URL | “スケルツォ倶楽部” 発起人 ID:-

失礼しました

グローヴの記事を読み返してみたのですが、「CGで」とはありませんでした。申し訳ありません。わたしの記憶違いのようでした。大変失礼しました。

グローヴ(わたしも同じく安月給ですから手持ちのこの記事は複写です…)にはハロルド・ローゼンタールの記述でシュトルツェの記事があり、おそらくミーメで1960年にCGにデビューしたというくだりと、「真夏の夜の夢」のオーベロンなどを適役としている、という記述から記憶がごっちゃになったものと思います。

となると、やはりブリテンがこの曲を作曲したのが1960年ですので、シュトルツェのこの時期以降の活動拠点になっていた、ウィーンでオーベロンを歌ったのではないかな、と愚推する次第です。

彼のローゲ(とミーメ)でわたしもオペラにハマってしまいましたので、若干発起人さまと記事が重複することになりますが、その集大成として現今バイロイトのローゲの記事を準備中です。まだ先のことになるとは思いますが…。
僭越ながら、これを機にリンクさせていただきました。こちらこそ今後ともよろしくお願いいたします。

URL | Kurwenal ID:-

Kurwenal さま!

Kurwenal さま、初めまして!
「シュトルツェ ファン 」との高貴な名乗りを伺い、嬉しさに興奮しております。
知ったかぶりの 私 発起人も 知らなかった 貴重なコヴェントガーデン情報、どうもありがとうございます。
新グローヴ世界音楽大事典(! )とは、あの20冊以上ものヴォリュームがある 世界的権威の音楽百科事典ですね (思わず ひれ伏す 発起人 )。こういう時に 使えるわけですねー。
しかし 実は 安月給サラリーマン = 私 発起人には なかなか手が出なかった大辞典なのです。やっぱり座右に備えておかなければいけないなー、 よし、これから1か月 晩酌を断って せめて新グローヴ オペラ事典 だけでも 購入しようかなー ・・・などと ひそかに計画。

ところで Kurwenal さまは、 あの情報豊富な blog 「本日のライヴ録音 」http://liverecording.blog49.fc2.com/ のAuthor でいらっしゃいます! 
お便り、どうもありがとうございました。これからも お気づきの点がありましたら 何卒 ご指導のほど お願い申し上げます。

URL | “スケルツォ倶楽部” 発起人 ID:-

コヴェント・ガーデンのシュトルツェ

同じシュトルツェファンとして毎回読ませていただいております。
CGでオーベロン歌った記述ってのは新グローヴ世界音楽大事典にありますね。
ただ、その後公開されたCGのアーカイヴサイトでは記されてないけども。
おそらくプレミエではなくて(CGのアーカイヴサイトはプレミエ時の配役のみ記載か)レパートリー上演時の出演なのか、あるいは単純にグローヴのミスなのかは判りませんが。
また、ここで歌ったミーメは存在を確認しております。

URL | Kurwenal ID:-

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