本記事は、2月22日「 人気記事ランキング クラシック音楽鑑賞 」で 第1位 となりました。
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スケルツォ倶楽部
名優ゲアハルト・シュトルツェの演技を聴く
 オルフ「オイディプス王」(クーベリック)D.G.ゲルハルト・シュトルツェ(最小サイズの肖像写真) 目次は こちら

(20)1962年、病苦を克服
  : カルショー=ショルティ「ジークフリート 」に参加


■ ジョン・カルショーの手記にまつわる、個人的思い出から
 
 カルショーデッカの制作チームが、ウィーン・フィルショルティを起用して成し遂げた 歴史的な「ニーベルングの指環 」全曲盤録音の成立について、プロデューサーのカルショー自身が記した興味深い著作「リング・リサウンディング 」という一冊の本があります。
 私 “ スケルツォ倶楽部発起人が、強烈にワーグナーに目覚めた中学 ~高校時代(1975 ~ 1980年前後)頃、最初に同書を翻訳した黒田恭一氏による邦訳「ニーベルングの指環 ‐ 録音プロデューサーの手記音楽之友社、1968年刊 ) 」が、当時すでに 絶版で入手不能であることを知り、生まれて初めて神保町の古書店街を彷徨(さすら)い、お店を1件1件 足を棒にして訪ね歩き(見つからず )、同じく 生まれて初めて音楽之友社「レコード芸術 」誌上の「求む 」欄に「探してます」と掲載してもらったり( ・・・けれど、全く何の反応も無く )、結局 すべてが徒労に終わったことに 深く落胆、低音弦とバスーンが弱々しく“さすらい人 ”ヴォータン の 「挫折の動機 」を奏する幻聴さえ頭の中で 響いたものでした。
 楽譜 ヴォータンの「不機嫌の動機 」 by R.Wagner

 ・・・それが今から数年前、この名著が山崎浩太郎氏の素晴らしい新訳(学研)によって再び(私にとっては 初めて )読めるようになったことは、本当に大きな喜びでした。山崎さん、良いお仕事を どうもありがとうございます
 
 ジョン・カルショー カルショー「リング・リザウンディング」縮小
 (左)ジョン・カルショー
 (右)「ニーベルングの指環 リング・リサウンディング山崎浩太郎氏=訳 ) 」表紙


 ゲアハルト(ゲルハルト )・シュトルツェが「ジークフリート 」録音に関わっていた時期の興味深い記述も(少し )あり、そこから読み取れる シュトルツェの、精神的にも優れた不屈の一面を察する感動的なエピソードなど、それは 私にとって 初めて知ることの出来た貴重な情報でした。

■ 1962年「ミーメ 」
~ ワーグナー : 楽劇「ジークフリート 」


ショルティ「指環 」デッカ=ロンドン RING-1「ジークフリートL.P.内箱 」 ジークフリート(ショルティ)
ワーグナー:楽劇「ジークフリート 」
ゲオルグ・ショルティ指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
  ヴォルフガング・ヴィントガッセン(ジークフリート )
  ゲアハルト・シュトルツェ(ミーメ )
  ハンス・ホッター(さすらい人 )
  グスタフ・ナイトリンガー(アルベリヒ )
  マルガ・ヘフゲン(エルダ )
  ビルギット・ニルソン(ブリュンヒルデ )
  ジョーン・サザーランド(森の小鳥の声 )
録音 : 1962年 5月&10月、ウィーン
DECCA-LONDON(ポリグラム POCL-4345~8 )


 デッカの録音スタッフは、楽劇「ジークフリート 」を1962年の5月と10月の2回に分けてレコーディングする計画を立てていました。
 打ち合わせするショルティとカルショー(右)キングレコード
 打ち合わせするショルティカルショー(右) 

 5月、録音プロデューサーのジョン・カルショーは、グスタフ・ナイトリンガーアルベリヒミーメと第2幕で争う場面の録音をするためにゾフィエンザールへ招いたシュトルツェの姿を見て、唖然とすることになります。
 前述のカルショー手記によると、この時のシュトルツェは「階段を昇ることさえほとんどできなかった。ポリオを患っていたのだ! もともと体格の大きい人ではなかったのに、去年の半分の大きさになったようにさえ見えた。片腕はほとんど使えなかった山崎浩太郎氏=訳 ) 」という 録音プロデューサーの文章からは、驚きと(ちょうど同時期に ジークフリート役として - ヴィントガッセンではなく - 当初予定していた別の歌手 - 愛称「われらがジークフリート 」 - が、能力的な問題で使えない という深刻な事態が確実となったため、これに加えて さらにミーメ役まで新しく探さなければならないのかという )当惑も その手記の行間からは にじみ出ています。
 スタッフは、その時の衰えた身体状況のシュトルツェが「ミーメ 」のような厄介な役をやりこなせるのかと、大いに不安をおぼえています。なぜなら オペラのステレオ効果を存分に発揮させるため、デッカの録音チームは レコーディング時、歌手に歌いながら指定された録音位置に自分で動いてもらうことを要請していたからです。ミーメアルベリヒ兄弟の動きには、とりわけ激しいアクションが想定されていました。
 ナイトリンガーの方には、予定どおり 歌いながらデッカ・スタッフの巧みな誘導でホール内の指定場所から別の指定場所へと歩きまわってもらいましたが、身体の自由が利かないシュトルツェには やむを得ず 座ったままで歌ってもらい、その声だけを録音ミキサー上 必要な位置に「パン( 歌手の声の位置をマニュアル操作で定位 ) 」させる、という音像技術によって不都合なく急場をしのぐことになります。
 それにしても、歌い手としての生命線 - 呼吸器系への障害や後遺症 - が シュトルツェに皆無だったことだけは、不幸中の幸いでした。録音をプレイバックして声だけを聴いてみる限り、とても身体に不調があるとは思えない・・・いえ、むしろ絶好調だったのではないか、とさえ思える歌唱完成度です。
 ここでのアルベリヒを演じるナイトリンガーとの激しい口論のシーンは、ショルティの煽るような速いテンポを背後に 獣が噛みつき合うような二人の凄さに ホント総毛立ちます。
 「リング・リサウンディング 」に拠ると、この短い部分の録音を終えた後 シュトルツェは、カルショーデッカの録音スタッフのそばまで 不自由な身体でよろめきつつ自力で歩み寄り、彼らに はっきりと宣言したそうです・・・
どうか自分を信頼してほしい - 秋には声ばかりでなく、身体の動きの方も充分に出来るようにしておく 」と - 。
 凄まじい歌唱を演じ切った直後のシュトルツェの気迫に呑まれたに違いないデッカの技術陣は、彼の言葉をきっと信じたことでしょう。

■ シュトルツェの症状から ポリオ(小児麻痺 )を診る
 
 私事で恐縮ですが、私の実母も戦後間もない( 彼女の幼少の )頃、ポリオ(小児麻痺 = 急性灰白髄炎 )に感染、一命は取り留めたものの、後遺症として 重篤な麻痺が 一生その右腕に残ってしまっています。母親を苦しめた 同じ病を克服しようとするシュトルツェの姿に、私は他人事とは思えない 深い共感を抱いています。
 この疾病は、ウイルスが原因の感染症で わが国でもワクチンが普及する1962年(シュトルツェが感染したのは まさにその年でしたが )まで毎年2,000~3,000人もの感染届出があったそうです。この同じ時期、全世界で流行していたのです。
 麻痺型ポリオの場合、ウイルスは血中を介して中枢神経に達し、運動神経細胞を破壊、感染が治まった後も手足の弛緩性麻痺をもたらすことがあり、発症後 数時間から数日間の急性期が最も危険であると言われていますが、しかし 普通は その状態さえ脱すれば、数ヶ月で運動機能も回復に向かうことが多いようです。
 シュトルツェの場合には、病気を発症したのが1962年初頭だったと書かれていますから、5月にゾフィエンザールを訪問した時には ‐ 憶測ですが - 急性期はすでに脱しており、回復期を迎えていたのではないかと思われます。
 少なくとも 機能回復訓練リハビリテーション )はスタートさせており、これに手応えも感じていたのではないでしょうか。彼がカルショーらスタッフに 秋までの回復を約した言葉も、実は ある程度 自分の身体の回復度合いを実感していたがゆえの裏付けある発言だった、と考える方が自然だからです。
 疾病の進行状況もかなり個人差はありますが、身体機能はリハビリの効果によって ほぼ完全に回復する場合と、その後の改善が進まず一生麻痺が残ってしまう場合とがあるそうです。幸いにして、シュトルツェの場合は 前者だったようです(といっても未確認 )。それはおそらく、再び歌劇場の舞台に立つことを機能回復の具体目標として指向し、リハビリテーションを春から夏にかけて相当努力した成果であったろうと考えられます。

■ 病苦を 圧(お )し、バイロイト音楽祭で 大活躍

 このような経過を経ながら、(さすがに5 ~ 6月のウィーン国立歌劇場への出演は キャンセルしていますが )発症から約半年後にバイロイト音楽祭の舞台に立っていたという事実は、奇跡的なことです。
 それでも 舞台上で激しい動きを要求されるミーメダーヴィットは 偶然か必然か 当年演じる予定こそなかったものの、それでも ハンス・クナッパーツブッシュ指揮の「パルジファル(小姓 ) 」、カール・ベーム指揮の「トリスタンとイゾルデ牧人、しかも8/22のみではあるが ゲオルク・パスクーダの代役で第一幕の“ 若い水夫 ”の声だけで出演 ) 」、ヴォルフガング・サヴァリッシュ指揮「ローエングリンブラバントの貴族 ) 」といった比較的手馴れた小さな役ばかりではなく、「タンホイザー 」では 騎士ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ役 という中堅どころを務めたり( 次回に詳述 )、ルドルフ・ケンペ指揮する 三年目の「指環 」の「ラインの黄金 」では ローゲ役といった重要な配役も全うするなど、事前にシュトルツェの病気について聞かされていた関係者らは、彼が もう殆んど病を克服してバイロイトの舞台に立っている姿を見て、しかも絶好調の歌唱を聴かされた時には、その精神力の強靭さ に感動し、絶賛を惜しまなかったに相違ありません。

■ カルショーとの約束を果たす 

 そして、いよいよ10月、デッカの「ジークフリート 」録音の続きのため、見事に復活したシュトルツェゾフィエンザールで再会したジョン・カルショーは、今度はまた別の意味で 目を瞠(みは)ることになりました。
 この時の印象を カルショーはその手記において「約束は正しかった。(シュトルツェは )調子を万全に取り戻し、片腕にまだわずか麻痺が残っていた以外には、動きに不備はなかった(前掲書より ) 」と、どちらかといえば淡々と書いていますが、シュトルツェが 自分自身の宣言に偽りなく 身体を回復してみせた、その仕事に賭ける執念には(最悪だった体調の様子を その目で見ていた僅か半年後だけに )カルショーも 深く安堵したことでしょう。

■ 楽劇「ジークフリート 」録音 完了

 第2幕の「ミーメ最期の場面 」、ここでシュトルツェは、まるでフォルカー・シュレンドルフ監督の映画「ブリキの太鼓 」で主人公オスカルが上げる超音波のような嬌声を思わせる「裏声 」で哄笑(この声は、なぜか この カルショー=ショルティ盤でのみ聴かれる独特の特徴です。これには正直 初めて聴いた時 違和感がありました。他の録音 - カラヤン盤やバイロイト・ライヴ盤等では この奇声は聴かれません。おそらく健康上に起因する 何らかの理由があったのだと思います )、ジークフリートに毒薬ドリンクを勧め 無理やり飲ませようとする「最期のスケルツォ(ロンド ) 」では、まるで何物かに追われているかのごとく狂ったような切迫感、ウィーンフィルの一糸乱れぬ前のめりのアンサンブルに騎乗するミーメになり切った鬼気迫るその表現は、 「明日はない」燃焼度の高さ とでも言いましょうか、歌い手が異常な精神状態にでもなければ 決して表出できぬような種類のものです。
 その根拠とは - これも想像の域を出るものではありませんが - やはり身体の自由が利かなくなっていたがゆえに、疾病が再発・悪化し、最悪の場合 このまま再起不能となる可能性までをも シュトルツェは自分で想定内としていたのではないでしょうか。デッカの優秀なレコーディング・スタッフに対しては、自分の絶唱を まるで遺言のように「オペラ歌手としての自己の高い表現能力の記録を最善の形でどうか残しておいてくれよ 」と、言外に切望していたのではないか、とまで感じるのです。
 それでも、こうして デッカのスタッフは、ワーグナーの楽劇「ジークフリート 」におけるミーメの出演する残った場面すべての録音を ヴィントガッセンのタイトルロールと共に 予定通り完了させることが出来ました。

ゲオルグ・ショルティ ハンス・ホッター ビルギット・ニルソン ヴォルフガング・ヴィントガッセン グスタフ・ナイトリンガー ゲルハルト・シュトルツェ ジョーン・サザーランド Joan Sutherland
▲ (左から ) ショルティハンス・ホッター(さすらい人 )、ビルギット・ニルソン(ブリュンヒルデ )、ヴォルフガング・ヴィントガッセン(ジークフリート )、グスタフ・ナイトリンガー(アルベリヒ )、 シュトルツェ(ミーメ )、ジョーン・サザーランド(森の小鳥 )
 ・・・ これはシュトルツェのプロフェッショナルな芸術家としての、不屈の意志を示すエピソードであり、また同時に ここで聴けるのは、極めて質の高い 稀にみる迫真のミーメ歌唱です。本人にとっても、おそらく生涯で最も苦しい時期の仕事のひとつだったに違いない この録音時の挿話は、歴史的なデッカの「指環全曲制作に係った 多くの人々すべてが払った努力のひとつとして、初の全曲盤の歴史的価値をさらに高めることに ささやかに貢献したのでした。

次回 (21)1962年、シュトルツェ 病苦を克服する:バイロイト「タンホイザー 」 に続く・・・

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コメント

メタボパパさま

わあ、お久しぶりです。
おぼえていてくださって うれしいです!
まったく メタボパパさまの おっしゃるとおり、この素晴らしい録音の仕上がりからは、制作者たちの苦労も きれいに水面下に隠され、決して目に見えませんね。
わたしたちは 特等席で、表面に現われた音楽の美しさだけを味わわせていただける そんな贅沢 - これぞ まさしく 「レコード芸術 」 。

URL | “スケルツォ倶楽部” 発起人 ID:-

レコードからは想像もつきません

こんばんは

私も故黒田恭一氏の本が欲しかったのですが、手に入りませんでした。

ショルティ&カルショウのリングは録音期間も長く、様々な苦難があった
ことは想像に難しくありませんが、このレコードを聴いていると、そんな
ことは微塵も感じさせませんね。

URL | メタボパパ ID:-

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