スケルツォ倶楽部
名優ゲアハルト・シュトルツェの演技を聴く
 オルフ「オイディプス王」(クーベリック)D.G.ゲルハルト・シュトルツェ(最小サイズの肖像写真)  目次は こちら

(19)「サロメ 」その2 : ヘロデの凄さを思いきり語る。

■ 1961年「ヘロデ 」 その2
~ R.シュトラウス : 楽劇「サロメ 」


 R.シュトラウス「サロメ」Decca_0001 R.シュトラウス「サロメ」LONDON
(左)L.P.オリジナル・ジャケットを復刻したCD表紙(海外盤:Decca 475 7528 )
(右)国内CDの表紙(ポリドール POCL-2964~65 )


R.シュトラウス:楽劇「サロメ 」
ゲオルグ・ショルティ指揮/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
  ビルギット・ニルソン(サロメ )、
  エバーハルト・ヴェヒター(ヨカナーン )、
  ゲアハルト・シュトルツェ(ヘロデ )、
  グレース・ホフマン(ヘローディアス )、
  ヴァルデマール・クメント(ナラボート )、
  パウル・クーエン(第1のユダヤ人 )、
  シュテファン・シュベール(第2のユダヤ人 )、
  クルト・エクヴィルツ(第3のユダヤ人 )、
  アーロン・ゲストナー(第4のユダヤ人 )、
  マックス・プレブストル(第5のユダヤ人 )、
  トム・クラウセ(第1のナザレ人 )、
  ナイジェル・ダグラス(第2のナザレ人 )、他
録音:1961年10月 ウィーン、ゾフィエンザール
DECCA-LONDON


 普通のリスナーなら 殆ど考えないことかもしれませんが、楽劇「サロメ 」における「ヘロデ 」を演じる歌手にとって、最も必要にして重要な要素は何でしょうか。私 “スケルツォ倶楽部発起人は ズバリ「狂気 」である ― と 勝手に思っています。狂っていることが必須です。
 預言者ヨカナーンサロメを振り切って 自分から古井戸に降りてゆくと、入れ替わりに妃ヘローディアスと客人・廷臣たちを連れた ユダヤの地方領主ヘロデが、月夜のテラスに登場します。
 彼は 従者に用意させた玉座に座るや否や、そこに吹き荒れている冷たい不吉な風に怯え、真っ暗な上空からは大きな翼の羽ばたきが聞こえてくる、と幻聴を訴えます。ヘロデがすでに深く心を病み、狂気に囚われていることを暗示する 最初のシーンです。
 その場にいる誰ひとり、その風を感じることなく、何も聞くことがない、ということは 唯独りヘロデだけが異常であることを明示しています。けれど R.シュトラウスの音楽は、ヘロデの心象風景を緻密に描写していますから、この時 聴衆は宮殿のテラスを吹き抜けてゆく風や天上からの翼の音など、ヘロデが感じている恐怖や不吉な焦燥感だけでなく、その狂気の深さも手に取るように理解できるのです。
 R.シュトラウスが音楽によって描写した「風」は、現実には吹いていない、という意味において、それは逆説的ですが、だれしも「音楽」を見ることができないのと同様に、その実在のリアリティを舞台の上で高める役割を果たしています。ここでの R.シュトラウスによる素晴らしい弦の動きは、ベルクが1926年に作曲する「叙情組曲第3楽章 弦楽オケ版なら第2楽章 、あの一陣の風のように疾風するスケルツォ楽章を 20年近くも先取りしていると思います。

「病気ね、アナタは(鼻息 ) 」。
妻のヘローディアスが、ことも無げに冷たく言い放ちます。この台詞こそが真実です。
「わしは 病気ではないぞ 」。
ヘロデにとってはこちらが真実ですが、周りはシーンとします。彼は、無力で徹底的に哀れな姿を演じなければなりません。
 かつて歌劇場の舞台に登った あらゆる王・権威者という役の中で、かくも痛ましくも滑稽なる存在があったでしょうか。皇帝ネローネは我儘な暴君であっても まだしも畏れられる存在として描かれており、フィリッポ2世には気高き苦悩があり、敗れてもアモナスロには不屈の闘志があり、マルケ王には寛容があり、アムフォルタスでさえ同情を得ています。
 ヘロデには、そのいずれも伴っていません。彼にあるのは、ただ狂気と幼児性のみです。この役には支配者としての権威や王の力強さなどは求められていないのです。ここを勘違いしている(ように聞こえる)ヘルデン・テノールの何と多いことでしょうか。あるいは、この意図に相応しい性格テノールを起用出来るディレクターの何と少ない(ように見える)ことでしょうか。
 ゲアハルト(ゲルハルト)・シュトルツェを抜擢・起用したカルショーの慧眼には、心から拍手を送りたいです(・・・尤も、当時ウィーン国立歌劇場の総監督だったカラヤンが、若い頃からのレパートリーだった「サロメ」をウィーンで上演する計画を立てており、かなり早い時期からシュトルツェヘロデ役を研究しておくように勧めていましたが、この時期には難役サロメに適したソプラノが居らず、カラヤン自身も1964年には この歌劇場を辞してしまったため、上演計画も立ち消えになったのでは・・・というのは、当時の状況から憶測する、ここも私の想像です)。
 
 サロメに舞いを強く所望する場面で、再度 領主は冷たい風が吹き荒れるのを感じ、また巨大な黒い鳥の羽ばたきさえ耳にします。興奮と不吉な予感とがないまぜになって体温調節さえ出来なくなったヘロデの狂気の発作。先刻まで寒い寒いと震えていたのに、次の瞬間 いや熱いんだと叫び マントを脱ごうと紐を解きかけては止め、いやこれが重いからだ とばかりに被っていた王冠をかなぐり捨て 贅沢なご馳走の並ぶ食卓めがけ投げつけます。テーブルからは果物の籠が落ちて林檎が散乱し、ワイン・グラスは 粉々に砕け散ります。
 ヘロデを演じるシュトルツェ
舞台でヘロデを演じるシュトルツェ
(出典 : MYTO 2MCD 001.212 SALOME, WIEN 1965,解説書より


 これを演じるシュトルツェの沸騰したような凄さは、ここでまさに頂点に達しています。
 デッカご自慢の「 ( 偽 )ソニック・ステージ 」を楽しむつもりでオーディオ・スピーカーの正面に座って鑑賞すれば、シュトルツェが暴れまくりながらリスナーの目の前を、左から右へと通過してゆくところを明瞭に聴き取ることができます。
 さらに、ヨカナーンの首を要求するサロメ(ビルギット・ニルソン)を相手に、何か別の褒美に変更するよう 病的なほど説得を重ねる場面も、私たちに息をつかせません。
 ヘロデが思いつく限りの贅沢品 - エメラルド、孔雀、真珠、トパーズ、オパール、そして聞いたこともない たくさんの宝石の名前 - が次々と出てきますが、ここでは まるでコルンゴルトを先取りしたかのような R.シュトラウスのキラキラした華麗で多彩なオーケストレーションを楽しむことができます。水晶はともかく祭司長のマントや神殿の垂れ幕なんかイラナイですよね。信仰厚いユダヤ人の宗教学者たちも おおそれだけは止めてくれ と悲鳴を上げる中、とにかく預言者の命の代わりであれば、これはどうだ、あれはどうだ、と言わんばかりに シュトルツェが必死に広げまくる言葉の水柱も噴き上がり、それはあたかもワーグナー「マイスタージンガー 」第1幕でも同様に過剰な言葉の噴水を聴かせてくれたザックスの従弟ダーヴィットの「前世の姿(?) 」を垣間見せられるかのようです。
 もしもヘロデを聴き比べようと思ったら、ぜひ「サロメ 」のこれらの場面をサンプルにしてみてください。他の歌手と比較して、シュトルツェが いかにヘロデの狂気・幼児性・閉塞感・病的なまでの焦燥感と発作的な爆発をどれほど熱く体現し得ているか、証明されると思います。
 ・・・ しかし( “ Jeeetzt ! ” ) そういう理由で、この ショルティ盤 を(悪い意味でなく )楽劇「サロメ 」のファースト・チョイスとしては 決して「選ばぬ 」ように、もう一度 重ねて ご注意申し上げるものです。シュトルツェの「ヘロデ 」を聴く機会は そういう理由(わけ )で、出来るだけ 後まわしにして、楽しみは 取っておきましょう (笑 )。

Salomé

■ 補足 : ヘロデ・アンティパスの最期
 さて、「その後の 」ヘロデについて、歴史的な補足を させてください。
 「救い主 」としてエルサレムに入城し、民衆の支持を得ていた時期のイエス・キリストのことを聞いたヘロデは、「もしやその男は、かつて自分が処刑した洗礼者ヨハネ(ヨカナーン )の生まれ変わりではないか 」と、疑い畏れたと言われています。
 ヘロデは、たった一度だけ そのキリストと会うことになります。
 それは、イエス・キリストが ありもせぬ反乱の指導者として、あろうことか同朋であるユダヤ人当局から支配層ローマ総督府に訴えられ、逮捕・審判を受けている最中のこと。審判者側であるローマ総督ピラトは、ユダヤの宗教指導者たちが処罰を求める「イエスという名の預言者 」になんら叛意を見出せなかったため、ユダヤ領主ヘロデのもとへ送り、判断を委ねようとしたのでした。
 しかし、その時ヘロデはまるで手品を見たがる子供のように、キリストが目の前で奇跡を演じるのをせがんだ、と言われています。
 当然のようにイエスはこれを無視、その態度にヘロデは癇癪を爆発させます。
 宗教画でよく目にする、あの赤いマントを この時キリストに着せたのは ヘロデです。もちろん厚意からではなく「ユダヤの王のマント 」として嘲笑し、イエスを罵倒する目的から侮辱的な意味で与えたものだったのです。
 「イエスとヘロデ 」画デューラー
 デューラーの描く「キリストヘロデの対面 」

 ヘロデは捕らえられたキリストの生与の権を握っていながら、ここでも自分で決断することから逃げ、裁判の主導権をローマ総督ピラトへと返してしまうのです。ですから、彼もまた間接的にキリストを十字架に追いやった者のひとりである と言い得るのです。

 その後 紀元39年頃、ヘロデは突然 当時のローマ皇帝カリグラに「父ヘロデ王のように、そろそろ私にもユダヤの王位を認めてほしい 」との要望書を送ってしまうのですが、これは ヘロデが妻ヘローディアスの度重なる我儘な懇願に折れた結果の 軽率な行動でした。
 カリグラ帝はこれに不興を覚え、ヘロデには王位を与えるどころか領主の座も財産もすべて剥奪し、当時は辺境の地だったガリア(フランス )のリヨンへと追放してしまいます。
「ユダヤ戦記 」を著した歴史家フラウィウス・ヨセフス(紀元37年頃~100年 )による信頼のおける著述によると、配流先へ向かう途中「ヘロデ・アンティパスは 妻と共に ヒスパニア(イベリア半島 )で死んだ 」とだけ記されているそうです。
 「妻と共に 」・・・ 二人一緒に?  護送の途中で一体何があったのでしょう。
 自決したのでしょうか、それなら無理心中か? それとも何者かに暗殺されたのでしょうか、想像力は昂ぶりますが、史実において その真相は 不明のままなのです。

次回 (20)1962年 病苦を克服する:カルショー=ショルティ「ジークフリート 」 に続く・・・

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