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スケルツォ倶楽部 Club Scherzo
「アフター・シュトラウス & “ バイ・シュトラウス ”」
After-Strauss & “By Strauss”
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1899年 フランツ・レハール「金と銀 」 
スケルツォ倶楽部_シュトラウス ケンペ Rudolf Kempe
ワルツ「金と銀 」
ルドルフ・ケンペ指揮 Rudolf Kempe
シュターツカペレ・ドレスデン Staatskapelle Dresden
録音:1972年12月 1973年1月 ドレスデン、ルカ教会
Airola-Eurodisc(日本コロムビアDENON /COCO-80013 )

 1548年創立 と伝わる、世界最古のオーケストラのひとつ ドレスデン・シュターツカペレ。かつては シュッツウェーバーワーグナー といった偉大な音楽家たちもタクトを振った、歴史あるドイツ最高の団体です。
 このオーケストラの独特な音色が聴けるレコードには、クラシック録音史上 個性的な位置を占める名盤が多いことに注目させられます。
 ・・・ カール・ベーム指揮によるベートーヴェン歌劇「フィデリオ(1969年D.G.)」、
カール・ベーム指揮によるベートーヴェンの歌劇「フィデリオ ベーム KARL BÖHM

カラヤン指揮によるワーグナー楽劇ニュールンベルクのマイスタージンガー(1970年EMI)」、
カラヤン ワーグナー ニュールンベルクのマイスタージンガー カラヤン Herbert Von Karajan

クルト・ザンデルリンクブラームス交響曲全集(1972年DENON)、
クルト・ザンデルリンクのブラームス交響曲全集 ザンデルリンクKurt Sanderling

サヴァリッシュシューマン交響曲全集(1972年EMI)、
サヴァリッシュのシューマン交響曲 サヴァリッシュ Wolfgang Sawallisch

カルロス・クライバーによる ウェーバー歌劇「魔弾の射手(1973年D.G.)」、
カルロス・クライバーによる ウェーバーの歌劇「魔弾の射手 ヤング・カルロス Carlos Kleiber

オイゲン・ヨッフムブルックナー交響曲全集(1975~1980年EMI )
オイゲン・ヨッフム ブルックナー交響曲全集(EMI) オイゲン・ヨッフム Eugen Jochum

ブロムシュテットベートーヴェン交響曲全集(1975~1980年D.S.)
ブロムシュテットのベートーヴェン交響曲全集 ブロムシュテット herbert Blomstedt

 などなど・・・ もう枚挙に暇(いとま )がありません。
 が、中でも 私の個人的なイチ押しの愛聴盤は 1970年代のルドルフ・ケンペが指揮を執った R.シュトラウスの管弦楽曲集(EMI)です。
R.シュトラウスの管弦楽曲集(EMI) リヒャルト・シュトラウス管弦楽曲全集第2集 リヒャルト・シュトラウス管弦楽曲全集第3集
 このセットは、収録されたすべての演奏 どれもが最高に気合いの入った名演で、「常に座右に備えておきたい究極の名盤」などと独断で決めつけたとしても、決して 異論は 出ないものと思います(この別格のセットについては また機会を改めて、熱い感想を述べたいと企てております)。

 そして、レハールの「金と銀」という超名曲に言及するとき 決して忘れてはならないのも、このケンペドレスデン・シュターツカペレによる 個性的な一枚です。
 導入部の噴水が迸(ほとばし)るような清涼感、ハープのカデンツァの粒立ちの見事さ、ひとつひとつ繰り出される3つのワルツの それぞれ 丁寧でありながら濃厚なる表情(特に05:21からの豊麗な波状攻撃には もうため息のみ)など、音楽を聴く悦びに身を委ねたければ コレです。私は 昔から この録音が好きで好きで、語りだしたら もう自分を止められないことがわかっていますので、予め ここでやめておきます。
 これは カペレの創立425周年(!)を記念して行われた録音で、この由緒あるオーケストラと 所縁(ゆかり)の深い名匠ルドルフ・ケンペを 指揮台に迎えたことは、正に「最適の配材(家里和夫氏)」だったことでしょう。
 そう言えば もう一枚、このケンペ/SKD盤と 偶然にも 同じ オイロディスク・レーベルが録音した、旧き良き時代のウィーンの香りを湛えたロベルト・シュトルツ指揮による ウィーン交響楽団のレコードも 押さえておきたい名盤ですね。
「金と銀」シュトルツ/ウィーン響(DENON)盤 ロベルト・シュトルツ Robert Stolz
 そのウィーン交響楽団は、レハールが「金と銀」を作曲した時代に 当時 新しく創設されたばかりのオーケストラでしたが、なんと そのレハールが ここの指揮者になろうとして 試験を受けていた記録が 残っているのだそうです。興味深いことに、試験官の書いた記録によれば 受験生としてのレハール君へのコメントは、「ワルツなどの軽音楽を統御する適性に欠ける(!)」というものだったとか。
 まだ無名の存在だったレハールが、シュトラウス以後アフター・シュトラウス)、「金と銀」を 世に送り出した功績によって、ワルツの正統な後継者とみなされることになり、やがて「メリー・ウィドウ」で ウィンナ・オペレッタの歴史的金字塔を打ち建てる偉大な功績を 現代から振り返ってみた時、たかが試験などで 人の資質を 見極めることなど 決して 出来ない、 ということは 明白な真実ですよね。
フランツ・レハール(資料 ユニバーサル ミュージック) 
▲ フランツ・レハール
「 ボクのライバルは、オスカー・シュトラウスかな・・・」



注 : ワルツ 「金と銀 」の作曲年について
 音楽之友社最新名曲解説全集 第6巻 《管弦楽曲Ⅲ》 (第1刷、昭和55年 )、三省堂クラシック音楽作品名辞典<改訂版> (第4刷、1999年 )等、従来から 代表的な資料には 円舞曲「金と銀 」の作曲年は 「1899年 」 であるとされてきました。
 しかし近年 Wikipedia をはじめとする ネット情報では、この曲がメッテルニヒ侯爵夫人の舞踏会で初演されたのが 1902年であるためか、レハールの作曲年も 同年(1902年 )であるとみなすサイトが 意外に多いことに 最近になって 気づきました。
 果たして歴史的には いずれの説が 正しい作曲年であるか、もはや それは 私 “スケルツォ倶楽部発起人 の判断できるレベルではないのですが、少なくとも 拙稿 「アフターシュトラウス & “バイ・シュトラウス” 」 におきましては、ウィンナ・ワルツの後継者となる 若き日の フランツ・レハールが、彼の最初の成功作となるワルツの インスピレーションを得た年が まさに ワルツ王 ヨハンシュトラウス没年(1899年 )であった - という偶然が この 20世紀ワルツ物語を回し始める端緒になるわけですから、実は ここが覆(くつがえ )ってしまっては、いささか具合がよろしくないわけです。
 そこで、拙ストーリーの流れのほうに 勝手に重きを置き、あくまで この文章では 従来からの説のほう - 1899年説 - を採らせていただいております。 この辺のオトナの事情を、何卒ご賢察のほど よろしくお願い申し上げます。


1899年  ボーア戦争(~ 1902年)
      サティ、シャンソン歌手で詩人ヴァンサン・イスパのピアノ伴奏者となる
      シベリウス、交響詩「フィンランディア」
      プーランク 生まれる
      ジョン・バルビローリ 生まれる

1900年  ツェッペリン飛行船建造
      フロイト「夢判断」
      ニーチェ没

      サティ、カフェ・コンセールのシャンソン「やさしくTendrement」  に続く・・・

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