スケルツォ倶楽部 Club Scherzo
「アフター・シュトラウス & “ バイ・シュトラウス ”」
After-Strauss & “By Strauss”
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クリムト 「ウィーン、旧ブルク劇場の観客席から」(1888)

「アフター・シュトラウス 」
(1)プロローグ


1898年 ジョージ・ガーシュウィン 生まれる
1899年 ヨハン・シュトラウス二世、弟ヨーゼフ と 29年ぶりの再会を 果たす

ヨハンⅡ  「お、おまえは、もしや ・・・ 」
ヨーゼフ  「そうですよ、兄さん! 僕ですよ 」
ヨハンⅡ  「やっぱり ヨーゼフか、会いたかったぞ! 」
ヨーゼフ  「なんて懐かしい・・・ さあ、僕のハンカチーフで どうか その涙を お拭きください 」
ヨハンⅡ  「おまえこそ、その潤んだ目頭を 私のハンカチーフで押さえてくれ。29年前、演奏旅行先のワルシャワのホールで おまえが倒れた、と知らされた時、私は心から悔やんだものだよ。技師だったおまえを過酷な音楽ビジネスの世界へ誘い込んだのは、この私だったのだから・・・。大変な思いをさせてしまって、本当にすまなかったね。29年間ずっと おまえに謝りたかったんだ 」
ヨーゼフ  「何をおっしゃいます。僕の方こそ、これからという時に兄さんのお力になれず、先立ってしまったことを、本当に不甲斐なく思っていたのですよ 」
ヨハン・シュトラウス二世(Wiki ) ヨーゼフ・シュトラウス(Naxos)
ヨハン二世、弟 ヨーゼフ (右 ) の シュトラウス兄弟

ヨハンⅡ  「不本意にも おまえが私より先にここへ来てしまったのは、まだ43歳の時だったからな 」
ヨーゼフ  「でも、それからの兄さんの大活躍を、僕は ここからずっと見ていたんですよ。何と言っても兄さんが、オペレッタであれほどの成功を収めることになろうとは、最初のうち 予想もできませんでしたけどね 」
ヨハンⅡ  「おかげで、何とか食っていけたよ(笑 ) 」
ヨーゼフ  「これほど巨大な存在だった兄さんを失ったウィーンで、この先 一体誰が、ワルツオペレッタを牽引してゆけるのかなーって、僕 ちょっと心配です 」
ヨハンⅡ   「いや大丈夫さ。小粒だが、おまえの弟エドゥアルトがいる。他にも若い作曲家たちが 次々と輩出しているぞ。さあ、私たち二人で、ここから 地上の様子を しばらく観ることにしようじゃないか 」
ヨーゼフ  「それは良いですね! あ、兄さん。ほら、あそこに見えますか、偶然 僕が死んだ年に、入れ違いのように生まれたフランツ・レハールという男ですが、これがウィンナ・ワルツの伝統を背負って立つ才能なんですよ 」
ヨハンⅡ  「なに、レハールだって? 今年の春、偶然 私の代わりに、パウリーネ・メッテルニヒ公爵夫人が主催する舞踏会に新しいワルツを作曲することになった、ドナウ河畔駐屯歩兵連隊の若い楽長の名前ではなかったか 」
ヨーゼフ  「公爵夫人と言えば兄さんがたいへん世話になった恩人でしたね。もし その方が ワルツをご所望だったのでしたら、兄さんが ご自分で作曲して差し上げればよかったのに 」
ヨハンⅡ  「そうしたかったのは山々なんだが、自慢じゃないけど 私は・・・ ほら 死んでしまったからね 」
ヨーゼフ  「あ、そうでしたね・・・。では兄さんは その時にレハールがつくったワルツは まだ 聴いておられないと 」
ヨハンⅡ  「当然じゃないか、一体どんな曲だったのかな」
ヨーゼフ  「では手始めに、そのワルツから聴きましょう。 『金と銀 』という曲ですよ・・・ 」

(2)1899年 レハール「金と銀 」 に続く・・・
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